言葉は”ナイフ”である。そんなあなたは言葉をどう使う? 【雑談師の書き溜め】
・はじめに。
「誹謗中傷」の問題ってあるじゃないですか。
自分も精神やモラル的な判断力が若かりし頃、とある界隈で炎上した過去があるので色々分かることがあって。
悪口って、刺さるんですよ。想像以上に。
周囲から”10の応援”があったとしても、
それが”1つの暴言”でかき消されてしまう。
議論をするならしっかりと議論してほしいし、不毛な水掛け論とか大っ嫌いな人間なので、今回は「言葉」をテーマにしてあれこれ書いていこうかなと思います。
・その言葉は自分に返ってくる。
この世にあるものに完璧なものはありません。
批判しようと思えばいくらでも批判できます。
リカちゃんやメルちゃんの人形を見て「女性をモノとして売るな!」とか言えてしまいますし(スーパー曲解な思想)(あくまでも例え話)
批判するための重箱の隅は常にガラ空きです。(なおその点を支持してくれる人が多いとは限らない)
ただし、このような言葉は
月日が流れていく中でいつか
必ず自分の元に返ってきます。
先程の例のようにリカちゃん人形に「女性をモノとして売るな!」と怒ったとしましょう。その人が半年後に「〇〇くんのフィギュア買った!上裸姿がカッコ良すぎる!!!」とでも言ってたら、あなたはどう思いますか?
言葉や投稿自体には何も問題はありません。
しかし、リカちゃん人形を非難したのにも関わらず、男性の上裸フィギュアを好んでいる。という構図はリカちゃん人形が好きな人たちから「お前が言うな!」ってなりますよね。(だってリカちゃんは服を着ているんだもの)
だからもし何か批判をするのであれば、「今非難しようとしていることよりもっと優先的に声を上げるべきものが無いか」だとか「しっかりと対話や発信をして反対意見を他者に受け入れてもらう」などの準備を整えないといけないのかなって思う。
・論点が違えばそりゃ納得なんてしない。
僕の大っ嫌いな水掛け論。
時間だけが一方的に過ぎて、結局結論が出ないまま終わってしまうすごい不毛な行為なんですけど、ただ単に毛嫌いしているわけじゃないんです。
「第3者(現状を整理してくれる人)がいるだけで解決するじゃん!」みたいな瞬間が水掛け論の中では結構あるのがすごくもどかしくて。
これの特徴として「結論は同じなんだけどその過程の道筋が異なっている」という点があるんじゃないかとジャスさんは思っていまして。
例を出すと(思いつくまでに15分かかった)
「12 × 12」という計算式があるとする。
Aさんは筆算を用いて解を出した。
Bさんは12を12回足して解を出した。
Aさん「これはパパッとできますね!」
Bさん「12が12個あるんからこの方がいい!」
Aさん・Bさん「なんだと〜!?!?」
Aさん「この方がいい計算だよ!」
Bさん「こっちの方がいい計算だよ!」
(以下、どうでもいい論争が続く)
この場合、Aさんは「筆算で解を出す利便性」を主張しているのに対して、Bさんは「直感的な分かりやすさ」を主張しているわけで。
ここで先生が「2人とも144を求めていることに変わりはない。算数には道のりがたくさんあるからね。」みたいなことを言えばきっと2人は納得するでしょう。
こんな風に「現状を整理しつつ、議論や議題をどんどん進めていける司会進行」がいるだけでも、水掛け論の半分は解決するんじゃないでしょうか?(自分の非を認められる人同士に限る)
【 追加のひとこと 】
Abema Primeの平石アナウンサーのファシリテート技術は、本気で天才レベルだと思っている。とても見習いたい。
・言葉の価値を自らで上げていこう。
言葉で人を殺すことは容易です。
だからこそ大事に扱っていきたい。
言葉って本来とても美しいものなはず。
素敵な文学作品も数え切れないほどある。
ではなぜ僕らは暴言や悪口を目にするのか。
それは、言葉が「無限に出せてしまう」から。
限りない資源として言葉が使えてしまうから。
でもそんな言葉たちを乱雑に扱うことなく
大切にすれば「ことばの価値」は上がります。
全然知らないお店の店員さんに「ありがとう」って言われるだけで幸せな気分になるのって、よくよく考えてみるとすごく不思議な現象じゃないですか?
温かい言葉が流れる場所には、温かい言葉が流れ続けます。一方で罵詈雑言が飛び交う場所では、罵詈雑言が常に飛び交う戦場になります。
自分が少しでも幸せでいたい時、もし罵詈雑言がある空間にいるのならば、別の世界へ赴いてみよう。今まで行ったことがない喫茶店や、別の趣味として新たにSNSアカウントを作ってみたり。それだけでも、自分を取り巻く環境の言葉は大きく変化していきます。
自分がゲーム廃人だった頃は、ネットを使うならネットスラングは常識レベルで知らないとネットの世界は楽しくいられないと思っていたんですが、SNSの界隈をガラリと変えてみると、言葉でお互いを高め合う人たちがいたり、優しい雰囲気が集まる空間が見つかったりなど”見える世界が一変”した結果、こうやって定期的にnoteを更新しているわけで。
意外と軽視されやすい「言葉」ですが、その軽さとは裏腹に人の命を簡単に奪えてしまうナイフです。
そのナイフをどう使うかは自分次第。人を刺すのに使うのか、人に料理を振る舞うのか。皆さんはどちらで使っていきますか?
それでは。ジャスさんでした。
ーーー お わ り ーーー
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