「典拠」と『源氏物語』について

お久しぶりですね。本日は「典拠」について書こうと思います。

といっても、タイトル通り『源氏物語』の中の「典拠」について書くわけではありません。そんなもん、ネタがあったら学術論文にしますよ。

さて、「典拠」という言葉が分かりにくければ、「元ネタ」といえばわかりやすいでしょうか。

「元ネタ」的な考え方はそれはそれは古くからある。少なくとも、日本においては漢籍の受容から日本漢文なり日本語文なりといったテクストが編まれてきた。

テクスト(text)は元々ラテン語で「織物」を指す言葉から派生した言葉で、文字通り手に取った既存のものから編まれた織物のようなものである。

さて、そういった文字だとかあるいは語彙レベルである種「元ネタ」は介在するといえばするし、それはJ・デリダが「ある観念についてブリコラージュ(寄せ集め)であるということについて、そもそも言葉そのものがブリコラージュであるといわざるを得ない」と指摘したように、言葉そのものがある種元ネタありきなのであるが、当面「文学の読み手」がどう捉えるのか、といった側面から考えてみたい。

例えば、我々が「元ネタ」と認定する時、どういった場合であろうか? 文言がそのまま引用される、ないしはオマージュであると自明な場合、これは確かに「元ネタ」であろう。これはおそらく現代的な読み方であるし、合理的な読み方でもある。

「現代的」と書いたのは、「かつてはそうではなかった」ということである。例えば、『源氏物語』なり『伊勢物語』なりをはじめとした古典文学の注釈書では、今の我々では「関係あるのか、これ」としか思えないようなものまで元ネタとして上がってきていたし、さらに当該の作品が成立した後のものまで「元ネタ」と同列で引っ張ってきていたりする。

後者に関していえば、「現実にいたんだけど、丁度こんな感じの立ち位置の人」みたいな意図の注釈であろう。

さて、こうした注釈書を考えた時、ある一つの逆説的な事柄が立ち現れる。すなわち、「元ネタとして挙げられた作品の読み方を後の時代の作品が規定しうる」といった事柄である。

「え? そんなことある?」と思われるかも知れないが、実際現代でもあるだろう。物語作品に限らず歴史的事実でもそうである。例えば沖田総司を想像しろ、と言われたら多分色白で細身のイケメンを想像するのではないだろうか?

ところが、現実の沖田総司は大してイケメンでもなければ、割と筋肉質な体型である。こういった「沖田総司像」は沖田総司が亡くなった後の創作によって形作られてきたといえる。

これを考えるに、ある意味で当事者が全く意図していなかった「物語」が事後的に作り出されることは往々にしてある、というわけである。

話はやや脱線するが、それは物語を書いた本人自体にもいえることである。

実感を持っていえる例として日記でも似たようなことがいえる。日記の中である場面を誇張ないし創作して書いて五年くらい経ってから読み返したとしよう。誇張ないし創作して書いた部分を追想したとき、恐らく実際にはなかったであろう光景があたかも実在したかのように錯覚されることだろう。

物語がある種の「記録」であったとして、そこから導き出される「記憶」なり、想起されうる「情景」といったものは、その「記録」が作り上げられて時間が経った時、当初あったはずの「記録されたもの」とは別の様相を呈しているはずである。

閑話休題。「物語が事後的に改変されたイメージで読み取られる」といった事についてつらつらと記してきた。例えば、体感でいうと「光源氏ってどんなイメージ?」と聞いた時、多くの人が「イケメンでロリコンのプレイボーイ」と答える。

ところが、実際のところ「ねびゆくさまゆかしからむ」と、「成長する様が気になる」といった具合で、新枕も十四歳であり、当時としては結婚してもおかしくない年齢だった。

更にいうと、光源氏に限らず他の貴公子もプレイボーイだし、『源氏物語』の童貞ムーブの申し子とでもいうべき薫君ですら、下仕えの女房ならば普通に抱くわけである。

となった時、恐らく「ロリコンでイケメンのプレイボーイ」といった光源氏像はあくまでも「現代の我々から見て」であるし、その解釈のもと登場人物なり作品の名前が引用された『源氏物語』は「括弧付け」された『源氏物語』であったといえる。

いうなれば、薄い本の二次創作の設定を本編に持ち込んだ読みが成されうるし、されてきたし、これからもされるであろう作品、といえる。

そういった意味で『源氏物語』は「元ネタらしい元ネタ」として、優秀な作品であるように思われる。

だって、主人公がロリコンでマザコンで、しかも四十歳上まで抱こうとするし、なんならとんでもない醜女すら抱くし、同性愛ムーブも見せる、といったら話題に事欠かないし。

『源氏物語』を少しだけ齧っている私でも、あるいは「なんとなく知ってます」といった人でも

「この前中学生が困ってたみたいで、ちょっと声かけたんだけど」

に対して

「お前光源氏かよ」

と返されたら多分キレる。元ネタ(=典拠)というと、「その本編を理解していないと使えない」みたいな印象を抱くかもしれないが、案外そうでもないのかも知れない、と思ったりもする次第である。

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