見出し画像

読書録/サロメ

▪️「サロメ」オスカー・ワイルド 作/福田恒存 訳  岩波文庫

 高校生のとき、その妖しい挿絵に惹かれて手に取った戯曲『サロメ』。新約聖書の記述を題材にしたこの戯曲を今一度読んでみたくなり、本を開いてみることにしました。
 作者のオスカー・ワイルドは19世紀ヴィクトリア朝を代表する作家で、他に『幸福の王子(子供向けの童話)』『ドリアン・グレイの肖像』という小説を書いています。

 『サロメ』を改めて読んで思ったのは、この作品が、いわゆる「二次創作」の作品だということです。『サロメ』には元ネタがあり、オスカー・ワイルドはそこに自己流の解釈を加えて一つの異彩を放つ戯曲に仕立て上げました。

 元ネタになっているのは、新約聖書の記述です。当時ローマ帝国の属国だったユダヤの領主ヘロデ・アンティパスは、異母の兄を殺害してその地位を手に入れた人 物です。それと同時に、兄の妻だったヘロディアを自分の妻にしますが、当時、救世主の到来を預言して活発に活動していた預言者(それは300年ぶりにイスラエルに現れた預言者でした)バプテスマのヨハネに、「自分の兄弟の妻と結婚することはゆるされていない」と罪をとがめられてしまいます。そこでヘロデはヨハネを捕らえ、幽閉します。
 ヘロディアスはヨハネを憎み、彼をどうにかしたいと思いを募らせていました。ある日、ヘロデが宴会で、ヘロディアスの娘に踊りを披露するよう所望しました。ヘロディアスはこのとき、娘に褒美をせがむように告げ、娘は母の意に従って、「バプテスマのヨハネの首」を欲しいとヘロデに告げます。ヘロデは宴客の手前その申し出を断ることができず、ヘロデの首を刎ねて娘に与えた…、というお話です。

 聖書の中のコンテクストから、この数行の記述から読みとるべきことは、イスラエルが繰り返してきた罪のパターンが、ここでも同様に行われたということです。イスラエルの罪を指摘する預言者を王が迫害し、処刑するというパターンがここでも繰り返されました。

 さて、こんな新約聖書の記述を題材とした二次創作が、オスカー・ワイルドの『サロメ』です。サロメの登場人物名は、以下のように表記されています。

 ヘロデ → エロド
 ヘロディアス → エロディアス
 ヘロディアスの娘(名無し) → サロメ
 バプテスマのヨハネ → ヨカナーン

 ストーリーの概要は上記に紹介した新約聖書の内容とほとんど同じです。ただし、大きな改変があります。それは、ヨカナーン(ヨハネ)の首を所望したのが、エロディアス(ヘロディアス)の入れ知恵によるものではなく、サロメ(ヘロディアスの娘)自身の要望であったということです。サロメはこの禁欲的に生きる預言者ヨカナーンを一目見て恋に落ち、彼をどうしても手に入れたくなったのですが、ヨカナーンはサロメを「穢れた女」と激しくなじり、拒絶します。そこで、義理の父エロドの要望に応えて踊りを披露し(それは、今でいうストリップティーズでした)、褒美としてヨカナーンの首を希望します。そして、首だけの姿になったヨカナーンに狂おしく口づけし、そのおぞましい姿に恐れを抱いたエロドによって殺されます。

 ここで注目すべきは、サロメというキャラクターです。新約聖書では名前の記述のなかったこの娘に、名前と、預言者ヨカナーンに恋心を抱き、自らの欲望に目覚めて堕落してくというキャラクター設定を与えてます。つまり、サロメはオスカー・ワイルドのオリジナルキャラクターであり、いわゆる二次創作における「メアリー・スー」なのです(※メアリー・スーとは、二次創作の作者が描く、作者の分身であるオリジナルキャラクターのこと)

 オスカー・ワイルドは、『幸福の王子』『ドリア ン・グレイの肖像』などの作品で人気作家として絶頂を迎えますが、同性間の性行為の罪で逮捕され、刑務所に服役することになります(ちなみに、彼は妻子持ちでした)。服役中に破産宣告がされ、妻子はスキャンダルを恐れて身を隠し、出獄後は創作意欲も失われて貧困のうちにこの世を去りました。『サロメ』はそんなオスカー・ワイルドの破滅を予兆させるような作品ではなかったでしょうか。

 『サロメ』でオスカー・ワイルドは恐らく、サロメという キャラクターを通して、自らの中にある抗いがたい欲望(それは、純粋にして本能的なもの)と、純粋さゆえの醜悪というものを描こうとしたのではないかと思います。そこには、単なるワイルドの願望だけでなく、そこから昇華された人間の生と性の有りようという普遍的なテーマが流れていることがわかります。

 多くの二次創作は、単なる自己の妄想や願望を具現化するものとして創作されているように見受けられますが、創作者としては、やはりそこに、表現すべき普遍的なテーマを付加させて、作品として昇華させていく努力をすべきだなあ、と思いました。

 「サロメ」では、ピアズレーの挿絵もまた強烈な印象を残します。挿絵は、以下のサイトでご覧いただけます。白と黒のコントラストで見せる絵、ちりばめられた性的なモチーフ…。ワイルドは、この挿絵が大変気に入らなかったそうですが、私は絶妙、と思います。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?