南極

読書録/エンデュアランス号漂流記

エンデュアランス号漂流記 
アーネスト・シャクルトン著 木村義昌 谷口善也 訳 中公文庫

 ずっと以前に、妹から「これ、すごく面白いよ」と勧められたときは、「ふーん、そんな話もあるんだな。でも漂流した話なんて、辛くて読みたくないよ」と内心思った。その本のタイトルは「エンデュアランス号漂流」で、本書とは違うと思う。妹がいうには、南極大陸横断に向かう途中で船が沈没して、氷に閉ざされた中でびしょぬれになったりボートを濃いだしりながら、全員が無事救出される、という実話で、とにかくみんな、すごい困難な状況でもくじけず、明るく、前向きなんだと。そこが何となく、出来過ぎのような気がした、ということもある。

 しかし、最近遭難ドキュメントや漂流の記録にはまって読んでいるうち、ふとこの妹の話を思い出し、いてもたってもいられなくなった。ネットで調べてみると、当事者への取材やシャクルトンの残した日記などから書き起こされた「エンデュアランス号漂流」は現在絶版になっているらしく、手に入らない。そこで手に取ったのが、シャクルトン自身がまとめた報告書を抄訳した本書である。

 探検家だったシャクルトンは、1909年、当時「誰が一番に到達するか」と注目されていた南極点をめざし、ゴールまで97マイルのところまで接近するが、そこで苦境に陥り撤退を余儀なくされる。それから2年後、ノルウェー人の探検家、アムンゼンが初の南極点到達を果たし、このレースは終わりを告げた。そこでシャクルトンは目標を切り替え、南極大陸横断に挑むこととし、28人の挑戦者を乗せたエンデュアランス号で、南極大陸へ向けて出航したのだった。

 しかし船はウェッデル海で流氷に取り囲まれ、ついに航行不能となってしまう。船はそのまま漂流するが、押し寄せる氷塊に圧迫されて、ついに木造帆船は破砕。船からボートをおろした一隊は、氷の上にキャンプを張り、砕け散る船に搭載されている燃料や食糧その他の物資を持ち出しながら漂流を続ける。が、ついに船は沈没。流氷の上のキャンプでギリギリの生活をしながら、島を目指して極寒の海を彷徨するのだ。

 もともと報告書として書かれたものだけに、劇的なことが起こっているにもかかわらず、意外に淡々とした描写がつづく。乗っていた氷がどんどん小さくなり、ついにボートをおろして海に漕ぎ出し、エレファント島に上陸するまでは、やや退屈ささえ感じてしまった。ところが、ここからがすごい展開なのである。島に上陸したからといって、救援が望めるわけではない。シャクルトンは5人を選び、ジェームズ・ケアード号と名付けたボートで、捕鯨基地のある南ジョージア島へ向けて、1ヶ月の航海に出るのである。救助を求めるためには、どうしてもそこまで行かねばならないのだった。

 島までなんとかたどり着くものの、捕鯨基地のある港とは反対側の岸にまでしか行けなかったため、そこから彼らは山越えをして島を横断するのである。そうして、ついに人が暮らす土地の目前にまでやって来る。

 そのときのことを、シャクルトンは以下のように述懐している。

 ・・・手斧は滝のうえから投げおろし、また航海記録と炊事用具も上着につつんで投げおろしておいた。われわれの濡れた衣服を別にすれば、三名の財産はそれで全部だった。それらは一年半前に、立派に艤装をこらした新造船で、万全の準備をととのえ、しかも希望に燃えて突入していった南極の魔氷から、かろうじてたずさえてきたすべてのものであった。もちろん、それらはみな物質的なものばかりであるが、われわれの思い出は、はかりしれないほど豊かであった。苦闘ののち、あらゆる物質をうしなったが、うわべの虚飾をつきやぶったのだった。・・・

 目的の達成に失敗し、不安、恐怖、寒さ、飢えと欠乏、あらゆる恐れに取り囲まれながらも、決して腐らず、希望を捨てることなく、冷静で明るさを失わない適切なリーダーシップをもって、全員救出という奇跡をなしとげたこの記録を通して、シャクルトンは自らがそこに何を見いだしたか、を物語る。彼が優れたリーダーであることは明白だが、その一番の理由は、その謙虚さにあるだろう。目的は達成できなかったものの、英雄的な活躍をした。しかし、それを誇るのではなく、そこに見いだした「神の御姿」について語っているのだ。

 人のいる基地を目前にして、救援を求めに来たシャクルトンらは、急に自分たちの1年以上も着替えず髪も梳かさない、浮浪者同然の姿を思い、何とかとりつくおうとする。妹がこの漂流の話をしてくれたとき、聞かせてくれたことの一つがこのエピソードだった。実に人間らしく、微笑ましい。このような危機的状況と長期にわたる窮乏のすえにあっても、なお人としての尊厳を失わず、心のゆとりを取り戻すことの出来る彼らの「強さ」に、驚かされる。

 本物の体験がもたらす感動には、特別なものがある。そこにリーダー論や人生訓を見いだすのはたやすい。けれども本当に心動かされるのは、虚飾をつきやぶった先にシャクルトンらが見いだしたもの、そのものではないだろうか。

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