読書録/「地球(テラ)へ…」
▪️「地球(テラ)へ…」竹宮恵子 中公文庫コミック版
今はなき朝日ソノラマという出版社から出ていた「月刊マンガ少年」に1977年から1980年にかけて連載されていたSFマンガ。「宇宙戦艦ヤマト」や 「銀河鉄道999」など当時人気のSF作品が、地球を旅立って宇宙を旅するという「宇宙への憧れ」を描く物語だったのに対して、地球を遠く離れた植民星で 暮らす人類が「ミュウ」と呼ばれる超能力を有する新人類に進化して、地球に帰還しようとするという「母なる地球への憧れ」を描くという逆のパターンを描い て非常に印象的だった。
と同時に、マザーコンピュータで誕生から死までの人生のすべてを管理されているという徹底した管理社会に生きる人類と、そのシステムからはじき出された新人類ミュウたちの宇宙を放浪する人生との対比が、それ以上に衝撃的だった。
進化して超能力を持つようになった新人類と旧人類との軋轢、というテーマはSFの古典と言ってもよく、A.E.ヴァン・ヴォクトの「スラン」はその代表作 といっても過言ではない。竹宮惠子の「地球(テラ)へ…」は、「スラン」の影響を受けて描かれた作品で、主人公ジョミー・マーキス・シンの名は、「スラ ン」の主人公名から取られたものである。時代はSD(Special Dominance)と呼ばれる遠い未来。環境破壊によって荒廃し、もはや生命を育むことのできなくなった地球から、人類はワープ航法によって宇宙へ旅立 ち、銀河系へとその生存圏を広げていた。遠く離れた植民惑星に暮らす人類は、「マザー」と呼ばれる巨大なコンピュータシステムによって、誕生から死に至る 人生のすべてを管理され、すべての人が平等に、画一的な教育を受けられるようになっていた。生まれた子どもは血縁のない「プロフェッショナル」な養父母に よって14歳まで育てられる。14歳になると「マザー」による成人検査を受け、適正を分析されて、それまでの記憶を消去されて、さらに高度で専門的な職業 人としての教育訓練を受けるべく、それぞれの教育が受けられる「教育ステーション」へと送り出されていく。
育英都市アタラクシアで暮らす主人公 のジョミー・マーキス・シンは、14歳の成人検査を前に、奇妙な夢にうなされるようになる。その様子に気づいた「母親」の通報で、彼はエスパー検査を受け ることになるが、異常は発見されることなく、成人検査の日を迎えることに。しかし「マザー」コンピュータが実施する成人検査に、思わぬ妨害が入った。それ は、超能力を有する新人類ミュウの指導者、ソルジャー・ブルー。ジョミーは、彼が奇妙な夢に登場した人物であることに驚きを隠せない。ソルジャー・ブルー の妨害で成人検査に失敗、記憶を消されることなく戻ったジョミーは、アタラクシアの地下深くに宇宙船を建造して潜伏しているミュウの集団に迎え入れられ る。ミュウは、透視や読心、未来予知や物に触れずに動かすなどといった超能力を持つ一方、身体的に障害を持っていた。障害を補うものとして、超能力が進 化・発達したものと考えられていたのだが、ジョミーはそうした障害を持たないミュウであったことから、ソルジャー・ブルーが後継者として迎え入れたのだ。 しかしミュウであるという自覚のないジョミーは、その運命を受け入れることを拒絶し、葛藤する。
一方、成人検査をクリアした若者たちが送り出さ れる「教育ステーション」。キース・アニアンは中でも将来の地球の「統治者」候補である「メンバーズ・エリート」として、特別な教育を受けていた。ただ、 キースは他の少年たちとは違って、成人検査を受けた記憶も、幼い頃の記憶も一切持たないことから、同級生たちからは密かにコンピューター「マザーの申し 子」などと呼ばれていた。自らの出生に疑問を持ちつつも、エリートとして訓練されたキースは、その疑問を心の中で押し殺していく。しかし、ジョミー・マー キス・シンという新たな指導者に率いられて、新人類ミュウが「教育ステーション」にいる彼らメンバーズ・エリートに挑んできたとき、キース自身の「自分は 一体何者なのか」という疑問はさらに膨らんでいく。
コンピュータによって管理された世界の中で「落伍者」として抹殺されてきた新人類ミュウの、 地球へ帰還する、という強い願いをかなえるために戦うジョミー。コンピュータ「グランド・マザー」の特別な庇護のもと、統治者となるべく作られ、育成され てきた生まれながらのエリート、キース。二人の30年に及ぶ戦いの行く末は…!?
「宇宙戦艦ヤマト」でSFの世界の面白さに目覚めたの が、小学校6年生のとき。そして次に出会ったのが、このマンガでした。雑誌サイズの単行本を、ボロボロになるまで何度も何度も読みましたね~。「ヤマト」 の世界にも、環境破壊に対する漠然とした恐怖というのが下敷きにありましたが、「地球(テラ)へ…」ではそれに加えて、コンピュータによる管理社会とい う、ちょっとジョージ・オーウェルの「1984年」を彷彿させる設定になっていて、それがちょうど、「受験戦争」を控え、また中学校に入ってそれまではな かった厳しい校則に縛られるようになった当時の私には、心理的に「ツボ」にはまったんだと思うんですよね。
そういうSF的世界観もさることなが ら、ストーリーの基盤にあるのは「マザー」と呼ばれるコンピュータ=「母親」からの自立があるんじゃないかって思うんです。主人公のジョミーは、ミュウの 特殊能力のおかげで、ストーリーの始まった14歳の時点から、外見上は一切年を取りません。つまり彼は「永遠の少年」。なおかつ、成人検査で失格となり、 その時点でソルジャー・ブルーからこの世界の真実を見せつけられて、半ば強制的に管理者である「マザー」=「母親」から切り離されてしまいました。そし て、自立を余儀なくされたのです。一方、「マザーの申し子」であるスーパーエリート、キースは「マザー」=「母親」の庇護のもと、一心同体となって出世街 道を上り詰めていきます。そんな中、キースは「マザー」に反抗したいという思いと、疑わずに従わなければならないという思いの中で葛藤する。「マザー」に 「ノー」と言えない彼の苦悩に、「いい子でいなければ」というプレッシャーを感じていた12歳の私は深く共感したのかもしれません。
また、そこ には作者の竹宮惠子自身が通ってきた苦悩があったのかもしれません。「母親からの自立」というこの作品のテーマをみると、やはりこれは少年マンガとして少 年誌に掲載されたものではありましたが、読者として作品を広く支持したのは少女たちだったことも頷けます。「少年愛」を描いてスターダムとなった彼女が次 に選んだテーマを考えるとき、私たちに先立って社会に出た彼女が、女性として自立して生きることに苦悩し葛藤しながら、それを作品として表現しつつ私たち を励まし、力づけていてくれたんだなと、今さらながらに気づいて感動を覚えるのでした。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?