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読書録/斗南藩~「朝敵」会津藩士たちの苦難と再起

◼️斗南藩~「朝敵」会津藩士たちの苦難と再起 星亮一著 
    中公新書kindle版(2019)

 斗南藩について知るきっかけになったのは、大河ドラマ「八重の桜」を見てからである。会津藩士、山本覚馬の妹でのちに同志社を創立する新島襄の妻となった新島八重を通して、幕末から明治にかけて激動する日本を描いた本作は、とくに戊辰戦争を描いたドラマの白眉であった。

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 本作では、戊辰戦争後に会津藩士とその家族が移った斗南藩の描写はほとんどなかったが、そこまで踏み込んで描いた大河ドラマが他にある。1980年に放映された菅原文太・加藤剛主演の「獅子の時代」である。こちらは中心人物の大多数が架空の人物という異例の大河だが、戊辰戦争から斗南藩の成立と廃止、さらに放浪する会津藩士や囚人による北海道開拓、そして自由民権運動など、明治という時代の生み出した暗部を描いて大変に興味深い内容である。ここでは、会津から斗南藩へ映った人々の苦難が描かれており、その部分についてもっと知りたいと思ったことから本書を手にとった。

斗南藩

 斗南藩は、戊辰戦争で破れて領地を没収された会津藩が再興をゆるされ、明治2年に成立した藩である。その新天地は極寒の下北半島というイメージがあったが、藩の領地は下北半島の大半のほか、間に七戸藩をはさんだ十和田湖周辺一帯も含まれており、2019年に岩手県の九戸城を訪れたおり、その領地の一部を車で通ったことがあった。「キリストの墓」で知られる新郷村も、その一部である。

 牧畜やにんにく栽培などの産業が見受けられたが、明治に入ったばかりのその土地は開拓もままならない不毛の地で稲作はできず、飢饉に苦しめながらなんどか細々と生き延びてきた農民が暮らす場所だった。本書では、会津藩の人々がいかにして斗南で藩を再興させようとしたか、その希望と挫折について、会津藩の家老だった山川大蔵、梶原平馬をはじめ、有名無名の人々の「その後」を追いかけてゆく。

 こと悲劇的に描かれることの多い会津の物語であるが、そもそも会津藩から出ていかねばならなかったことの一つに、会津藩の武士が農民に対して厳しい身分制度をかさに尊大、傲慢にふるまってきたことの反発があったことなども掘り起こされ、興味深かった。不毛の地に突如やってきた1万数千人の歓迎されざる移住者と現地の人々との軋轢、斗南には行かず会津に残った人々、蝦夷地に渡った人々のあゆみなど、幕末に活躍した薩長の人々が切り開く新しい「明治」の裏にあった物語の中には、「会津」の誇り、「武士」の誉れを過去のものとして、新しい世の中で存在感を示すために地道に努力する人々の小さな輝きがあった。その中には、日本で初めて西洋式牧場を開いた広沢安任がいる。会津の人々を不毛の地に追いやったのは木戸孝允と大久保利通だったが、のちに大久保はこの地を訪れたと知り、そこに和解の働きがあったことに感動を覚えた。
 なお、本書では斗南藩の各所の地名がアイヌ語に由来していることなども紹介されており、重層的に東北の歴史を感じることができたこともよかった。

 そういえば九戸から十和田湖へ向かう道すがら、ところどころに牧場が見られた。再起は決して華々しいものではなかったかもしれないが、しかし今日まで続く営みがある。車窓から見た風景をこのように思い出せたことで、旅の味わいがさらに深くなった。

ヘッダー写真は一時斗南藩領となった青森県田子町(たっこまち)の風景。町名はアイヌ語で小高い丘「タプコプ」に由来する。

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