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読書録/トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか

■トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか 低体温症と事故の教訓
 羽根田治・飯田肇・金田正樹・山本正嘉 著 ヤマケイ文庫

 2009年7月16日、悪天候に見舞われた北海道・大雪山系のトムラウシ山で、ツアー登山で縦走中だった登山客(ガイド含む)8名が死亡するという大量遭難事故が起こった。真夏の山で、次々に低体温症で倒れていったその遭難事故は、ツアー登山という形式の是非、ガイドの判断の甘さと遭難に直面したときの行動などの問題点が指摘され、衆目を集めることとなった。また、登山はパーティーを組んで互いに助け合いながら緊急事態に対処するという常識をはずれ、ツアー参加者がちりじりバラバラとなって下山してきたことも、驚きをもって受け止められた。
 本書は、このツアーが集められ、遭難、救助・自力下山までの一部始終をまとめたドキュメント、仮死状態で救出されたサブガイドのインタビュー、そして「気象」「低体温症」「運動生理学」「ツアー登山」という各側面からの専門家の分析がまとめられており、この遭難事故を総括するものとして、読み応えのある内容となっている。

 登山計画は、1日目に大雪山朝日岳ロープウェイを使って山上へ。そこから旭岳、間宮岳、白雲岳などをまわって白雲岳避難小屋で宿泊。2日目は忠別岳、五色岳、化雲岳をめぐってヒサゴ沼避難小屋で宿泊。3日目はトムラウシ山へ登頂したのち、トムラウシ温泉へ下山するというもの。天候は1日目は風が強いものの特に問題はなかったが、2日目は朝から大雨となり、3日目はさらに風も強くなって、稜線では立っていられないほどの暴風雨に見舞われた。

 本書では、「なぜ遭難したか」の原因について、気象遭難であり、ガイドが3日目の判断を誤り、(ガイドは、天気予報により天候は昼過ぎには回復すると見込んでいた)風雨の中、ヒサゴ沼避難小屋を出発し、その後も激しい風雨の中、引き返すことなく前進を続けたことだと結論づけている。
 そうした分析は間違ってはいないとは思うが、しかし、読み終わっても、どうにも腑に落ちないのである。勇気を持って証言したガイドのインタビューを読めば、問題の本質はガイドのレベルや現場での判断ではなく、もう少し別のところにあるように感じられる。それはこのツアーを主催した、ツアー会社の問題だ(ただし、ツアー会社のアミューズトラベルは、その後2012年に万里の長城周辺の山をめぐるツアーで遭難事故を起こし、業務停止に追い込まれた)。

 私がこの遭難事故に興味を持ったのは、私自身が学生時代にワンダーフォーゲル同好会で少し山登りをかじったことがある、ということもある。前の人についていくだけのへっぽこ登山者だったが、同じようなへっぽこ登山者を集めたツアー登山だからこそ、へっぽこの視点で見えることがある。それは、そもそもこの登山計画自体が、へっぽこ登山者には「ムリ」だということだ。2日、3日の予定行動時間は各10時間を超えている。ほぼ全員が60代以上の高齢者というツアーなら、それよりもっと時間がかかるだろうし、しかも宿泊は小屋泊とはいえ避難小屋だから食事もすべて自前で用意しなければならず、荷物もそれだけ重くなる。天候がよく全員の体調が万全ならば問題ないだろうが、そうでなければ何らかのトラブルは必至というのが本当ではないだろうか。

 分析で物足りなかったのはその点で、同じ日にこの縦走コースにいた他のパーティーはどうだったのか、どういう判断をして遭難せずに無事下山したのか、という比較のレポートがあれば良いのにと思った。実は、まったく同じコースを、伊豆ハイキングクラブのパーティー(男性2人、女性4人)が同じ日にたどっており、無事下山したものの、女性一人が低体温症になって、他のメンバーに支えられながら何とか無事だった、ということである。こちらの方は、この山行のためにかなりの訓練を積んできたということなので、やはり、この気象状況の中で小屋に停滞せずに行動したことが問題だたといえるだろう。ツアーガイドの判断がまずかった、というのは簡単だが、しかし、計画全体を見渡すと、山行の3日目、下山して翌日の飛行機のチケットがあり、しかも、一日の予定行動時間が10時間を超えているので天候の回復を待っていては、途中で日が暮れてしまう、ということもある。ヒサゴ沼避難小屋で夜明けを迎えた時点で、どんな天候であろうが前進するよりガイドには選択しようがなかった、ということもできるだろう。
 
 だが、これはあくまでツアーに参加した人々を「登山者」と見た場合の判断となる。そこがそもそも、間違っていると思う。これはツアー「登山」というよりも、登山のもする「ツアー客」だと見るべきだ。10時間、歩くという観光旅行で朝から大雨、その翌日も雨の予報であれば、もうその時点で、観光の意味をなさないではないか。つまり、ガイドが判断すべきは3日目出発前のヒサゴ沼避難小屋ではなく、朝から大雨だったという2日目の白雲岳避難小屋、ここで「雨だからやめましょう」と行って元きたコースを戻っていれば、その日のうちに下山して、あとの2日は温泉にでもつかってゆっくり養生できたはずだ。ツアー客が求めるサービスというのは、そういうものではあるまいか。

 つまり、そもそも技量と体力、判断力、それに加えてチームワークの必要な縦走という山行は、ツアー登山には向かないもので、ガイドの資質云々の問題ではない、そういうことにまったく理解のないまま登山計画を立てて、そのコースを歩いた経験のないガイドに15人の命を預けて丸投げにするツアー会社にこそ、問題があるというべきであろう。

 ちなみに、そういうツアー登山に参加する参加者についてもいろいろ言われるが、こういう人は「そこにツアーがあるからだ」という人だから、もっと自立しろとか言っても仕方がない。ツアー会社としては、こういう人を、時には遭難事故で亡くなる危険性も厭わずお客さんにしてお金を儲けるか、こういう人でも大丈夫な程度の安全な山行だけを扱うか、そこをよく考えなければいけないだろう。

 事故から1年後の中日新聞の記事では、この遭難事故のあと、縦走ツアーは大幅に減り、現地泊の日帰り、1つの山に登山する、という方向にシフトしている、とあった。それが最も行うにたやすく、賢明な処置だと思われる。

 本書には「気象遭難」「低体温症」「運動生理学」という項目も掲げられているが、実はこの内容はそのまま、「トムラウシ山遭難事故調査報告書」に掲載されていてネット上でも無料で読めるので、内容的には登山をする人は知っておくべき知識だが、ちょっとソンをした気分になった。

 ほかにも気になったことがあって、それは、このツアーのメインガイドと2人のサブガイドとの間に、コミュニケーションらしいコミュニケーションがなされていないことである。それはツアー参加者の間でも同様で、そのことが、何やら薄ら寒く感じるのである。どんな事情や経緯があるにしろ、仕事として引き受けて15人のツアー客を引き連れていくなら、それにふさわしいリーダーシップを取る責任が、メインガイド(死亡)にはあっただろう。登山口にたどり着く前の日の宿で、全員顔をそろえたとき、リーダーならば、それぞれの登山歴をまじえた自己紹介やアイスブレイクで、ツアー客を一つの「パーティー」に仕立て上げる工夫をし、それと同時にそれぞれの力量を推測して、3つぐらいのチームに分け、天候が思わしくなかったり、あるいは体調の不良などのとき、自分の考えや事情を言いやすいような雰囲気づくりをする必要があったのではないか。登山ガイドとしての資質もさることながら、寄せ集めの人をチームにまとめるリーダーシップが必要な部分で、それは「ガイド」の知識や経験とは、また別のものである。これは、ツアー登山かどうかにかかわらず求められる資質といっていいもので、それすら「なかった」ことに、何か心の冷たくなるものを感じたのだった。

 このように、この遭難事故からは、教訓とすべきことが数多くある。詳細な調査、取材によって本書がまとめられたことには、やはり大きな意味があったと思う。この教訓を今後に生かすことが、命を落とした方々への弔いともなると思った。

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