ジャングル

読書録/私は魔境に生きた―終戦も知らずニューギニアの山奥で原始生活十年

▪️私は魔境に生きた―終戦も知らずニューギニアの山奥で原始生活十年 
島田覚夫 (光人社NF文庫) Kindle版

 漂流、無人島生活・・・というキーワードから、アマゾンで見つけたこの本。タイトルからわかるように、太平洋戦争時にニューギニアに出征したものの、アメリカ軍の猛攻で敗走を余儀なくされ、やがて部隊はバラバラに。自力で自活して生き延び部隊に合流せよ、という命令のままに、補給もなく情報からも隔絶された密林の中に身を隠し、10年近くにわたって原始生活をした、というある小隊の記録である。現地警察に発見され無事帰国を果たした残留日本兵の一人、島田覚夫さんが記憶を頼りに一気に書き上げたものの、出版の目途がたたず30年ほどお蔵入りになっていたという。日本残留兵といえば「恥ずかしながら、帰って参りました」の言葉で知られる横井庄一さん、一介のバックパッカーとの接触により帰国を決意した小野田寛郎さんについては私も知っていたが、それ以前にこのような経緯を経て帰国を果たした旧日本兵がいたとは、まったく知らなかった。

 分野としては「戦記」に入るが、実際に戦闘行為を行っていた期間は短い。本書の著者に至っては、ニューギニアの赴任地に着いたときには日本軍の補給線はほぼ絶たれており、潤沢な武器弾薬をふんだんに使って攻撃してくるアメリカ軍を尻目に退却を余儀なくされる。そして三々五々、飛行場を目指して各小隊はニューギニアの密林の中を退却していくのであるが、そのうちに隊列は散り散りばらばらになり、飢え、疲労、傷病などで隊列から脱落する者が出てくる。最後に残った著者をはじめとする17名は、ついに進むことも退くこともできなくなり、活路が開かれるまで、密林の中に隠れて待つことを決めるのである。

 こうして密林での籠城を決めるまでには、幾多の別れがあり、非常に読み進めるのが辛かった。密林の洞窟に腰を据えるようになってからは、米軍が奪って集積していた食糧集積所に忍び込むのが食糧確保の唯一の方法だったが、その頼みの綱に火がかけられ焼失、どん底に突き落とされてしまう。しかしここから、がぜん話は面白くなる。食糧の入手先を失った彼らは、畑を開墾し食糧を自ら生産するしかない、と思い立つのだ。こうして洞窟から出た彼らは開墾地を求めて密林を歩き、ついに畑と屋根のある住まいを建てるに至る。そこから「石器時代」「鉄器時代」と人類史をたどるかのような章立てで、彼らの原始生活が文明化していくさまが、描かれてゆく。ニューギニア原住民との交流など、まざに文化人類学の世界を生々しく生きた彼らの実体験には、「事実は小説より奇なり」の言葉しか出てこないほどである。

 実は、本書の中にしばしば正月を祝う記述が出てくるのだが、時計もカレンダーも持たない彼らが一体どうやって「今日は正月」と言えるのか疑問に思い、「ひょっとしてこれは作り話では」と途中まで疑いながら読んでいた。しかし、文中にはどうやって暦をつけていたか、帰国後のズレがどれだけだったかが記されており疑問は氷塊した。このことからも分かるように、もともとは徴兵された、ごく普通の市井の人々だった彼らの「生きる力」「知恵と工夫」には驚嘆させられる。「鉄器時代」にはふいごを作って金属加工をはじめ、これをきっかけにニューギニア原住民との交流が始まるなど、まさに彼らは人類の発達史を生きたといっていいのではないだろうか。
 しかし、このようにニューギニアの密林でのサバイバル生活が記述の中心となっても、やはりこれは戦記であることを落としてしまってはならないだろう。何より、著者をはじめ生き延びようと必死の17人(最終的には4人になる)は、常に「我々は栄えある皇軍」という意識を持ちつづけていた。そして、降伏の道を選ばず、発見されるまでジャングルに潜みつづけたことがある。それはなぜか。戦いが続いている、と彼らが信じつづけたからである。

 彼らは、実にたくましく生きる力を持った人たちであった。一方で、「教育勅語」や「戦陣訓」などの偏った戦時教育によって「もしかしたら戦争が終わっているのかも」「そうだとしたら、自分たちはどうするべきか」という判断力を奪われ、自ら情報収集し、戦況を判断して投降するなどの行動を取ることが出来なかったという事実もある。彼らを、終戦を知らずに密林に押しとどめ続けたのは、彼らの精神を縛る歪んだ教育であったといえよう。それは、この素晴らしい記録を残した著者の罪ではない。しかし、その罪を犯し、償うべきは誰かということを、私たちは問い続けなければならないだろう。

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