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ルソー『社会契約論』を読む(1)

 今回から、数回に分けて、ルソーの『社会契約論』を読み解いていきます。
 『エミール』と並んでしばしばルソーの主著と紹介される『社会契約論』。光文社古典新訳文庫のカバーには、「世界史を動かした歴史的著作」とあります。事実、『社会契約論』は、フランス革命を起こした人々に大きな影響を与えたと言われています。そんな『社会契約論』を、このnoteでは、原典にも立ち返りながら、できる限り丁寧に読んでいきます。

 今回の記事では、第一篇を紐解いていく予定です。


『社会契約論』の目次

 と、その前に。第一篇ってなんだよ、と思われてしまってはいけませんので、以下に、『社会契約論』の目次を示しておくことにします。

第1篇 - 自然状態、社会状態、社会契約の本質的諸条件
第1章 - 第1篇の主題
第2章 - 最初の社会について
第3章 - 最も強いものの権利について
第4章 - 奴隷状態について
第5章 - つねに最初の約束にさかのぼらねばならないこと
第6章 - 社会契約について
第7章 - 主権者について
第8章 - 社会状態について
第9章 - 土地支配権について

第2篇 - 立法
第1章 - 主権は譲りわたすことができないこと
第2章 - 主権は分割できないこと
第3章 - 一般意志は誤ることができるか
第4章 - 主権の限界について
第5章 - 生と死の権利について
第6章 - 法について
第7章 - 立法者について
第8章 - 人民について
第9章 - 人民について(つづき)
第10章 - 人民について(つづき)
第11章 - 立法の種々の体系について
第12章 - 法の分割

第3篇 - 政府の形態
第1章 - 政府一般について
第2章 - 政府のさまざまの形態をつくる原理について
第3章 - 政府の分類
第4章 - 民主政について
第5章 - 貴族政について
第6章 - 君主政について
第7章 - 混合政について
第8章 - すべての統治形態は,すべての国家に適合するものではないこと
第9章 - よい政府の特徴について 
第10章 - 政府の悪弊とその堕落の傾向について
第11章 - 政治体の死について
第12章 - 主権はどうして維持されるか
第13章 - 主権はどうして維持されるか(つづき)
第14章 - 主権はどうして維持されるか(つづき)
第15章 - 代議士または代表者
第16章 - 政府の設立は決して契約ではないこと
第17章 - 政府の設立について
第18章 - 政府の越権を防ぐ手段

第4篇 - 国家の体制
第1章 - 一般意志は破壊できないこと
第2章 - 投票について
第3章 - 選挙について
第4章 - ローマの民会について
第5章 - 護民府について
第6章 - 独裁について
第7章 - 監察について
第8章 - 市民の宗教について
第9章 - 結論

 さて、この目次を見た皆さんは、「『社会契約論』めちゃくちゃ面白そう!」と思ったと思いますが、いかがでしょうか。(強制)

 ・・・まあ、冗談はさておき、実際のところは、「なにこれ、ムズッ!」と思った方が大半だと思います。そうなのです。それくらい私も分かっています。これまで読んできた『学問芸術論』や『人間不平等起源論』、そしてこれから先読んでいこうと考えている『エミール』や『告白』などと比べると、『社会契約論』はかなり抽象度の高い議論が続きますし、事実、難しいです。

 しかし、いや、だからこそ、面白いのです(し、だれが読んでもわかるものをあえて記事にする価値はないので、難しいからこそ記事を書いている、ということもあるのですけれど・・・)。それでは、さっそく読んでいきましょう。


『社会契約論』の主題


われらは協約の公平なる法を告げん〔注1〕


 『社会契約論』は、いま引用した、ウェルギリウスの『アエネーイス』に書かれている言葉から始まります。この言葉は、ルソーがこれから解明しようとする『社会契約論』の主題を端的に言い表す言葉として、ルソーが選んだ言葉です。

 では、ルソーが解明せんとする『社会契約論』の主題とは、いったい何でしょうか。

人間をあるがままの姿でとらえ、法律をありうる姿でとらえた場合、社会秩序のなかに、正当で確実な統治上のなんらかの規則があるのかどうか(p.109)

つまり、「統治の正当性」を問う。これが、『社会契約論』の主題なのです。


第一章 第一篇の主題

人間は自由なものとして生まれたが、しかもいたるところで鉄鎖につながれている。(p.110)

この言葉はあまりにも有名なので、ルソーについて、あるいは哲学や政治学について詳しい方はご存じかも知れません。フランス語では、以下のように書かれています。

L’homme est né libre, et partout il est dans les fers.〔注2〕

hommeは「人間」という意味なのですが、このhommeを「人間」と捉えることに関して、近年フランス社会では議論が巻き起こっているようです。というのも、厳密にいえばhommeは「男性」という意味で、女性はfemmeです。

 有名な「フランス人権宣言」でも、第一条に、

Les hommes naissent et demeurent libres et égaux en droits.

という記述がみられます。「人間」と言いつつ、「男性」を意味するところのhommeが使われているのです。「万人(Les hommes)は自由(libres)かつ平等(égaux)なものとして生まれた」というときの「万人」に、「女性(femme)」が含まれないのです。これは、まずくないか、という議論が現代フランス社会において起こっているのです。

 こうした問題は、フランス語のなかに、他にもたくさん存在します。主語人称代名詞ils、ellesの用法がその好例です。ilsもellesも三人称の複数形です。したがって、男性が3人いる場合は、ilsを用いればよいわけですし、女性が3人いる場合は、ellesを用いればよいわけです。

 しかし、男性3人、女性2人の集団だったら・・・?この場合は「ils」を用います。男性の数のほうが多いですから、まだわかりますね。でも、男性1人、女性100人の集団であっても、男性が一人でもいれば、「ils」を用いなければならないのです。

 これは、明らかに不平等で、女性をないがしろにしているのではないか、ということで、近年、フランスではこの問題を、「包括的書体」(écriture inclusive)という名称で呼び、ジェンダーフリーな言語を実現する試みが行われつつあります。

 日本語でもそうですよね?・・・そうですよね、と言いつつ、ピンとこない方!僭越ながら、少し鈍感かも。かくいうこの記事を書いている私は、戸籍上も、自分の意志においても男性に属しますが、男性こそ、気が付かなければなりません。

 例えば、「女医」とは言いますが、「男医」とは言いませんよね。これは、暗に「医者」が「男性」である、と言っているのと同じです。hommeの例と酷似していませんか?別に、医師は男性に限らないのに、ついつい私たちは「男性的な仕事」と見なしてしまっている。「いや、そんな風に考えてなどいない!」と言いたくなるでしょうけれど、そうだからこそ、「女医」と言っても違和感がないのは、まずくないか、ということに気付いてほしいのです。(看護「婦」なんて言ってる人は、今すぐ滝に打たれて修行しなおしてきてください。)

 こうしたわれわれのうちに存在する二項対立を、積極的に解体することについては、デリダ(1930-2004)という現代フランスの哲学者が「脱構築」という概念で試みたことです。現代は「差別のない平等な社会」だと思っていたら、それは大間違い。差別は、「言語」のような一見してわからないところに、ある種「構造的に」存在しているのです。


 さて、そろそろ(いい加減に!?)本題へ戻りましょう。本来自由なものとして生まれてきた人間が、その自由な状態を維持するのではなくて、鉄鎖に繋がれてしまっている。これが現代の状況である。これを「なぜ?」と問うことはできない、とルソーは言います。なぜなら、自由な「自然状態」は、『人間不平等起源論』において、仮説的に、「推理」として立てられたものなので、実証的に「なぜか?」と問うことはできないからです。

 しかし、「何によって正当化され得ているか?」と問うことは可能です。その「正当化」に援用される論理の正否を、第一篇第二章から第四章にかけて、ルソーはひとつひとつ吟味していくことになります。

 次回は、第一篇第二章から扱うことにして、今回はこの辺でおしまいにしましょう。


皆さんはお気づきでしょうか・・・


ここで、いま一度、今回の記事の冒頭付近の文章を引用してみます。

今回の記事では、第一篇を紐解いていく予定です。

・・・さて、皆さん。お分かりいただけただろうか。最初のうちは第一篇を終わらせると意気込んでおきながら、気づけば第一篇が終わっていないということを!!

 ああ、なんと畏れ多い。私はどうやらルソーの魅力を語りすぎてしまったようです。・・・、いや、スミマセン。ルソー以外の話が極端に長くなりすぎただけで、単なる脱線です。しかし、いろいろな議論を巻き起こし続ける、ということこそ、「古典」の醍醐味なわけでして、すごく重要な本であるだけに、やはり、長くならざるをえないのです。(言い訳)

 というわけで、これから先しばらく『社会契約論』の読解は続きそうですが、どうか気長にお付き合いください。

 ・・・と、読者の方に忍耐を要求するという、なんとも不親切な(ご法度な!?)記事を書くという企画ですが、ぜひ次回もお楽しみに。


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本文中に〔  〕で示した脚注を、以下に列挙します。

〔注1〕『ルソー全集 第五巻』作田啓一訳、白水社、1979年、105頁。以下、本記事において、特に断りなく頁数だけが示されている場合は、ここにあげた白水社版『ルソー全集 第五巻』の頁数を示しているものとします。

〔注2〕Rousseau, Jean-Jacques. Du contrat social, Œuvres complètes, III, Éditions Gallimard, 1964, p.351.  以下において、特に断りなく頁数だけが示されている場合は、ここにあげたフランス語版『ルソー全集 3』の頁数を示しているものとします。

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