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思い通りになるのが当たり前になった世界では予想外が歓迎される|セーブポイント総括(6)|意識の変化について

セーブポイントという拠点の運営を通じて得た視座の共有6回目。

なんでも思い通りになるようになったら、予想外を欲して、その結果、やることとやらなくていいことがはっきりするようになった話。

拠点を始めた当初は、企画を立てて行動するときは「思い通りになる」ことを目標に行動をしていた。

前回の記事でも書いたが、自分がイメージした通りに実現させる自信がない時は、願えば叶うと信じ続けて行動した結果、思い通りになったら非常に満足していた。

しかし、それを続けていると思い通りになることは当たり前になってくる。

そうすると、人は今度は予想外の結果を欲するようになる。

予想外をくれ

思い通りになるというのは、想定内のことが起きるということで、それは、自分の想像できる範囲のことしか起きないということでもある。

思い通りにしたかった頃は、自分が想像する理想の形を関わる人に共有して、それが実現するためには、人にどう動いてもらったらいいか考えて、発信や伝え方や行動を調整していた。

だけど、それだとできたものはレシピ通りにつくった料理のような感じなので、「うん。思った通り旨い。」という感想しか得られない。

この方法は、行動を始める前に自分の中で想像した理想の形と、実現した後起こる形が一致するので、理想の形がまとまった瞬間に、実は感動の最高潮は終わっている。

後は時間をかけて現実にそれを展開して行くために動くことになるので、最初のうちは「本当に思い通りにことが運んだぞ!すごい、天才かも」とか調子に乗れて楽しいけれど、段々展開が作業っぽく感じられるようになってくる、実現してみんなは喜んでいる時には、次のことを考えているのでなかなか共に楽しめなくて切ないなぁと思っていた。

そして、思った通りの次に、欲しくなったのは予想外だ。

現実世界で起きる結果に、当初の自分の想像を超えて欲しくなった。

大きいことはいいことだ。とりあえずなんでも取り入れてみよう。

「予想外お待ちしております」の方にシフトチェンジした後は、自分がやりたいと思っていた形と、全然違う角度からの意見や提案にとりあえず全部乗ってみるという行動に出た。

すると、あまりに意見を取り入れすぎちゃうと、結局何をしようとしていたのかわからなくなるということが判明した。

意見を出してもらって、それぞどんどん取り入れて、みんなで企画を考えているとそのアイディア自体が共有物みたいになってきて、「みんなの企画」という感覚になっていくのは楽しい。

だけれど、①企画の土台作りと、②その土台を編集して「より良く」する作業を分けて考えないと、盛り上がって話し合った後、いつのまにか架空の「みんな」が喜ぶ企画ができあがる。

生まれたものは、メンバーの中の誰かが「わたしにとって」喜ぶものでもなく、架空の誰かが喜ぶものになっている。そして、その誰かなんて結局存在しない。

世の中の成功事例や、うまくいった例を組み合わせても、うまくいかない。だって、目的も、期待する効果も、その行動が何の手段であるかも違うのだから。

この「みんなのアイディアを組み合わせていった結果、架空の誰かが喜びそうな企画ができちゃう症候群」を防ぐためには、土台は土台で固めておく必要がある。

土台を作るのが一人じゃなくて、複数人になるのなら相当共有したり、確認したり、プロジェクトが進んだら現在地確認をしたり、本当に何を望んでいるかの部分を常に意識しておく必要があると感じた。

J humind associationのパートナーの鬼頭さんとはしつこいくらいこの共有作業をやっているけれど、さらに大人数でやろうとすると大変なので中長期的なプロジェクトは、J humind association関連だけにしておいて、後は期間限定の短期的な目標達成型プロジェクトを短期的立てて活動することにした。

やりたいこととやらないことがはっきりしていく日々。

・想定内の思ったとおりになるはもうつまらない。
・予想外の想像力の範囲外のことが起きて欲しい。
・だけれど、何でもかんでも範囲外を取り入れると誰のためでもない何かが生まれてだれも嬉しくない。

ここまで経験したところ、結局土台づくりをした人が、やってみて気が乗らないことは結局やらなくなるというシンプルな現象に立ち会った。

いろんなことをやってみたり、やろうとしてみた時に何か違うな?と思うことは、自分の理想の形を明確にしていくためには非常に効果的だ。

セーブポイントでも、宿泊代をもらう制度にしようとしたり、会員制はどうかとか、マネタイズやビジネス的観点をいろいろもらってやってみたり・やろうとしてみたことがある。

だけど、もらったアイディアの通りやろうと思った結果、気が乗るものは続き、気が乗らないものはやらなくなっていき、同時に以下のことがわかった。

「自分がやりたくてやっていることが副次産物的に誰かの役に立っていることでは、お金をもらう気が起きない」
「培ってきた価値を受け取り手が受け取りやすいようにまとめるたり、誰かのために自分の時間を使って価値を提供するものに関しては金銭対価をもらうのに乗り気になれる。いいものを作ろうという動機になる」
「お金を払うときは、投資的・投げ銭的・受益者負担的に自分が価値を認めた先に受け渡したい」

という自分の好き嫌いポイントが明確になった。

判断基準ができると意識的に判断しやすくなる。

線引きとこだわりポイントが自分ではっきりわかった後は、何でもかんでも取り入れず、「その基準から見た時に相手の意見のどの部分が取り入れられるか」、もしくは「今、新たに取り入れてみることが必要なのか」という視点で取捨選択ができるようになった。

何を捨てればいいかがわかれば、あとはもらいたい放題なので、人との会話は楽しい。

運営当初は、twitterで、ブログ集客術!とかフォロワーを増やす!とか効果的な告知方法!等の記事が流れてくると、そういうのも取り入れた方がいいのかなと思って目を通していたけれど、最近は、今のところ自分の今の表現・発信スタイルで反応したり興味を持ってくれる範囲の人たちの経済圏で望みは叶っちゃっているのでむやみに集客しても意味がないなと思うようになった。

思い通りになるようになったら、予想外を望み、そしてまたひと周りに大きな思い通りを見つける。

セーブポイントを通じて得たものを振り返った時に、行動しながら気づくって価値があるなと実感した。

記:サカキ

広大な仮想空間の中でこんにちは。サポートもらった分また実験して新しい景色を作ります。