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雑記:人間がいなくなったら文字は全部模様になる

メディアアート生活

「あー、みんないなくなっちゃったな」

マスクの中からくぐもる声でそう声に出してみた。言葉は言霊。音は力を持つ。そう言葉に出すことで、自分の中にフィードバックされる感情を確かめたかった。

深夜2:15。タバコが切れたので、コンビニまで買いに行こうと、マスクを着けて外に出る。キャッシュレス万歳の東京にうつつを抜かして、デビットカード一枚握りしめて出かけたら、あいにくセブンイレブンは、この時間帯はクレジットカードメンテナンス中。決済できなかった。

ポケットに小銭もない。

人のメイン活動時間でないこの時間にメンテナンスを行う気持ちはわかるさ。あきらめてファミリーマートまで散歩することにした。


人が見当たらない。

そりゃそうだ。深夜2時の住宅街。終電も終わって人なんてたいしているわけない。

そこに「コロナだから」という情報バイアスがかかって、より人が少ないような錯覚に陥る。

情報は怖い。意識が世界を作る。人が少ないと思って眺めた町は、やっぱり人が少ないように見えてしまった。私の負けだ。

遠くの信号機が点滅して赤に変わる。車も見当たらない。そうだ、今は人がいなくなっちゃった世界線にいる妄想に浸って、心の中に湧き出てくる普段と違う感傷やひらめきを拾い集める時間にしたんだった。

「あー、みんないなくなっちゃったな」

もういっかい声に出して、シーンの設定を再確認した。


信号機は点滅する。

駐車場は煌々と「空」の文字を光らせる。

マンションの名前に照明が当たる。


人が書き込んだコードは、人がいなくなっても、自然のように機能する。

街も、道路も、信号機も、夜になると点灯するライトも、文化も、全部人が書き込んだコードだ。

鑑賞者がいなくなっても、それらは新しく追記された自然現象のように、パターンを繰り返した。

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冬になったら雪が降るのや、春になったら芽が出るのと、

夜になったら電気がついて、温度が変わったら冷蔵庫が動くのは、

大して変わらない。


どうせだったら、もっとIoTが進んだ町で人間がいなくなった妄想をしたかったな。

その方がくるものがありそうだ。


書き込むだけ書き込んで、いなくなった人間の不在を愛でながら、バージョンアップした自然を鑑賞するとか、得られる感傷総量が大きそうな予感がする。


あいにくまだ2020年。今夜は想像力でカバー。

いつもは感じない感傷を順調に採取。妄想旅行の出だしは好調。


次は、鑑賞者がいなくなった後の、意味のあるものについて思いを巡らせてみる。

人間がいなくなったら、街の中に刻まれた文字はすべて模様になる。

意味を発する役目を終えたものは、模様になっていく。


そう考えると、人間は解読できないけれど、自然には様々な意味が刻まれているのかしらという妄想が点灯した。これはおもしろそうだ。これに沿って考えを進めていく。


雲の模様、葉っぱの葉脈、石に見える地層。ほんとうは、文字のように意味を持っていたのかもしれない。そう思うとロマンが広がる。

いや、意味という概念自体人間がお気に入りの口実なだけで、意味は人間とセットで成立するんだったら、この妄想はちょっと的外れかもしれない。

そう思いながら、一つの可能性をCtrl+Sして、妄想フォルダの中に格納した。

「すべてはメッセージ、とはこういう意味である。」


また意味だ。

意味は人間の大好物。忘れてたけど、かくいう私も人間だった。

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ファミマで買い物終了。マスク無しワンオペ店員さんは気だるそうだ。

一人しかいない深夜のコンビニは、店員さんの家にお邪魔した気分になる。パーソナル空間を乱してごめんよ。帰るから、またゆっくり自分のペースで歌でも歌いながら、品出しをしてください。


さて、帰路。さらに歩く。

人間がいなくなった町は、耳を澄ませるだけの価値があると感じた。


音が聞きたくなった。

耳を澄ませた。


遠くで車の走る音が聞こえる。あら、人がいるじゃない。だけれど、普段より感覚的に世界をキャッチしている自分のオートリアクションが面白い。


唐突に福井県に一人旅に行った時のことを思い出す。

絶対にこれは車しか通らない道で、歩いたとしても20kmくらいは何もないんだろうな、と思う道をおもむろにダムの方向に歩いてみたことがある。

なんでそうしたのかは覚えていないけれど、雪が降っていた高揚感と、今ここで失踪しても誰も気づかないだろうなという高揚感が相まって謎の行動に出た気がする。

その時もそうだった。感覚のスイッチが変わる感じ。


人が周りにいなくなると、人は気を引き締める。たぶん、動物的な本能で、間違った選択をしたら死ぬかもしれないと察知するからだと思う。

足音が、周りの気配への感度が、ぐっとあがるのだと思う。

今夜もそんな感じだ。ちょっとだけ動物的になる。自分と同じ種類のオブジェクトは今、周りにない。会話と言語と文化は通用しないぞという合図。


異常事態は、ゆるやかに訪れると異常事態であることに気づかない。ゆでがえる?確かそんな比喩があったような。

あれ、



何の話してたっけ?飛んだ。

一人で考えていると、話があちこち飛ぶね。まあいいや。続けよう。


コロナコロナ。不要不急の外出は。公演は中止です。リモートワーク推奨。今度はこちらの市町村で。政府は何をやっているんだ。と目にしていても、あたりまえの水準が毎日少しずつ更新されていくと、そういうもんかな、そういうもんだった気がするなと、受け入れてしまうようになる。

マスクをしてから街に出るのが習慣になるなんて、ナウシカの世界だけだと思っていたのに、日頃色々な菌を仲良く召し上がっているはずなのに、突然手洗いうがいとかツイートしだすのは本当は異常事態だろうに。

こういう時どうしたらいいんだ。

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便利になったスマホの通知は、ご丁寧に朝昼夜のニュースを私に献上してくれる。ブラウザを開いたら勝手にtwitterを見るようになった脳内回路は、スクロールしないうちにコロナの文字を僕の網膜に映し出す。

なんだか気持ち悪い。



コロナってどんな形しているの?見たことないのに、一日に一回はコロナって言ってる。バズってるってこういうこと?タピオカが流行ったときもきっとこんな感じだった。


なんだか情報が気持ち悪い。どうせ、本当じゃないんじゃないの?って思いながら見ている。


言葉は環境だ。情報は環境だ。

排気ガスの蔓延した町と、山のてっぺんにいるときではもちろん環境が違うし、気分も変わる。もちろん考えることも違う。

これはどっちがいいとか悪いという話じゃない。


情報は環境だ。一体今、何に取り囲まれて、どうなっているんだ?

確かな感触がないのがかえって気持ち悪い。

何かしら反応はしているはずなのに。

何がどう影響し、その結果どうなっているんだ?


こっちの立場の人の情報も情報操作したいのかなとおもっちゃうし、反対の立場の人も、誰を失脚させたいのかなとか心のどこかで思いながら情報を食べている。

アフターフェイクニュースの世界線では、全てがお芝居に見える。

心の底から感動している観客もいれば、うがった見方をしながら、「今回はキャストが」、とか「演出がいまいち」とか批評している人もいる。そして、その陰で自分の作品の糧にしようとしている人もいる。

とにかくすべてが商業戦略で、経済政策のように見える。


それでもtwitterをみてしまう。お日様にあたってないとね、とか、服は着ないとねくらい脳内回路がそういう習慣を持っている。

やっぱりなんだか気持ち悪い。


事実を伝えるニュースなんて、多分もうどこにもないのにさ。

意図の添付された文章は、もうデータではなくてメッセージであり、表現だ。表現を受け取ると疲れる。

どうでもいい表現に無意識のうちに付き合ってるのかと思うと、消費エネルギー的にもエコじゃない。


じゃあ、どうする。どうやって世界との関係を育む?

批評家になっても面白くない。

世界との程よい関係性はどんなだ。程よくなくて、大恋愛でもいい。とにかく世界とどうやって付き合っていこうか。

イベントが中止されて、自宅待機的な風潮になって、人々に考える時間は渡されたはずだ。今、考えておくことはなんだ。今、自分なりの答えを持っておいた方がいいことはなんだ。今何を整理しておく必要がある?


何を無視して、何を見出して、何を提供して、何とどういうチームを組んで、何を育み、感染させ、繁殖させようか。

ビフォアコロナの世界から、アフターコロナの世界を想像する。

意識的にも無意識的にも、起こってしまったことは人々のあたりまえに緩やかに侵食していく。一体何が変わるんだ。

なんだか高まってきたけれど、そろそろ家が近い。


散歩も終盤。そろそろ帰って、今はやりのリモートワークをしなければ。2月中に納品したいものがあるんだ。

最後に妄想の世界線で感じておきたいことはなにかあるか。


書き込まれたシステムとコードで動く町の中で、人がいなくなった後にやりたいことは何だろうかと考えてみよう。

ノーアンサー。特に思い浮かばないな。


しげしげと、道路やマンション名のテクスチャを観察して、美術館にいる気分で街を鑑賞してみたいという気持ちが現れたが、別にそれは、人のいる町でもできる。昨日もできたし、今もできるし、多分明日もできる。

そういうことじゃないんだ。

人がいない町の方が情報量が少ないから、じっくり鑑賞できるのは確かにあるけれど、美術館鑑賞はたぶん数時間で飽きる未来がすぐ算出できる。

今回の設問にはふさわしくない。却下。


他には何があるか。

そこまで考えて、この設問は、コロナも人が少ない町も関係なくて、ただのいつもの「次は何をしようか」という問題だったことに気づく。


次は、何をしようか。

いろいろ叶えてしまった世界で、次は何を望もうか。


多分答えは出ない。答えが出るのは3月に入ってからだ。なぜなら、そう決めたし、この問題だったらどうせここ1か月ずっと考えていたから、すぐ答えが出ないことは知っている。


マンションについた。

車とすれ違う。そうだ、まだ人はいたんだった。連続した世界線に帰ってくる。


困ってはいない、焦ってはいない、不安も感じていない。

だけど何か作りたい。作りたいものが見つからない。


3月まであと何日だっけ。それまでどうやって過ごそうか。やっぱり、人間は意味が好きなんだな。言葉を使って、未来を編みたい生き物なんだ。

結論が出たような出ていないような、でも何か意味はあったような散歩が終わる。


妄想旅行はおしまい。

普通と違うときには、普通と違う感傷やひらめきを拾いに行くのがいい。

きっといつかなにかのピースになるから。

アフターコロナの世界で何を見ようか。答えはまだ出ない。


2020.2.27 3:23 

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