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現代を「鬼滅の刃」で読む(捌):天から賜りし力の使い方

戦闘の中、鬼殺隊の炎柱である煉獄杏寿郎は、傷ついた竈門炭治郎を気にかけていた。杏寿郎を剣士として認めている鬼の猗窩座は、次のように言います。

猗窩座:「弱者に構うな杏寿郎!! 全力を出せ、俺に集中しろ!!」

最近、「個人」の成功が盛んに注目されています。「このように起業すればビジネス界で成功する」「このように留学すれば勝ち抜ける」「このような知識を持てば人に騙されない」「このように振舞えば会社はつぶれても自分は生き残る」。

そのノウハウを広く提供していることで、情報を発信している側は向社会的な要素があるのかもしれませんが、その情報を利用する側は色々な使い方をするのでしょう。

人間が「個」を主張しだすのは、ヨーロッパの歴史の中でも中世以降になってからと言います。詳しくは一橋大学名誉教授の故・阿部謹也先生(中世ヨーロッパ史)の書物を参考にすると良いでしょう。

いずれにしても、中世以前は主体としての「個」はまだ確立されておらず、コミュニティや仲間が生きていくことと自分が重なるところが大きかったようです。まさに一蓮托生。

いまの価値観を以てその時代の物語を想像してしまうと、「俺の金だぁ」「俺の成功だぁ」「俺の夢だぁ」という登場人物がいてもおかしくないですが、中世以前のヨーロッパでは私たちが考えているほどには当たり前の存在ではなかったと思います。

病弱だった杏寿郎の母(瑠火)は幼い杏寿郎に話します。

瑠火(杏寿郎の母):「杏寿郎。なぜ自分が人よりも強く生まれたのかわかりますか。弱き人を助けるためです」
瑠火(杏寿郎の母):「生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は、その力を世のため人のために使わねばなりません。天から賜りし力で人を傷つけること、私腹を肥やすことは許されません
瑠火(杏寿郎の母):「弱気を助けることは強く生まれた者の責務です。責任をもって果たさなければならない使命なのです。決して忘れることなきように。私はもう長く生きられません。強く優しい子の母になれて幸せでした。後は頼みます」

このことは、市民のことを考える政治家に改めて肝に銘じてほしいです。ビジネスのマインドを持つことは大切ですが、漬かりすぎてはなりませぬ。

写真は我が家の杏寿郎です。杏寿郎のイメージにお役立てください(イメージなんぞできないですね)

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戦いで痛手を負った杏寿郎は、猗窩座から鬼となることを誘われます。鬼になれば寿命で死ぬことはありません。思う存分、自分の剣技を磨き、極みに達することができるかもしれません。

しかし、杏寿郎は、断固として拒否します。

煉獄杏寿郎:「老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ死ぬからこそ、堪らなく愛おしく、尊いのだ。強さというものは肉体に対してのみ使う言葉ではない」
煉獄杏寿郎:「何度でも言おう。君と俺とでは価値基準が違う。俺はいかなる理由があろうとも鬼にはならない」

鬼舞辻無惨も、「ジョジョの奇妙な冒険」のディオも、カーズも、永遠の命と若さと強さを求めるタイプに、鬼系が多いのでしょうか。

杏寿郎は猗窩座との戦いで命を落とします。現場にいた次世代の剣士である竈門炭治郎や伊之助は杏寿郎からその意思と未来を託されます。炭治郎はあまりに偉大だった杏寿郎のようになれるだろうかと不安でいっぱいです。

伊之助:「なれるかなれねぇかなんて、くだらないこと言うんじゃねぇ!!信じると言われたならそれに応えること以外考えるんじゃねぇ!!死んだ生き物は土に還るだけなんだよ。べそべそしたって戻ってきやしねぇんだよ。悔しくても泣くんじゃねぇ。どんなに惨めでも恥ずかしくても生きてかなきゃならねえんだぞ」

(コミック第8巻より)

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