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妻はゼミ生0:結婚してみて良かったこと:自分のことを考える時間が少なくなった

50歳になるので、今更、なんですけど、質問されることもしばしばあるので、少し考えてみました。いや、ほんの少し。手元に、思想家の内田樹さん著『困難な結婚』がありましたので、パラパラめくりながら、ガイドしてもらいたいと思います。

其の壱:結婚するとどんないいことがあるの

結婚を決断できない理由として、「結婚するとどんな『いいこと』があるのか、わからないから」というのがあるそうです。内田樹さんは、こう述べます。

でも、そのとおりなんです。結婚したらどんな「いいこと」があるかなんて、結婚する前にはわかりません。

そして、こう続けます。

結婚する前に、結婚することの意味や有用性を尋ねる人は、小学校入学前に「勉強するとどんな『いいこと』があるの?」と訊く子どもに似ています。もし、このときに「いいこと」があれば勉強するし、なければしないという言い分を子どもに許してしまえば、子どもは6歳児のまま成長を止めてしまうでしょう。
結婚の意味や価値を結婚する前に開示せよと要求されても、ほんとうにたいせつなことは誰にも告げることは出来ません。自分で発見するしかないんです。
内田樹『困難な結婚』ARTES 75頁

其の弐:大人になるため

内田樹さんによれば、結婚は成熟するためでもあります。つまり、大人になるため。自分だけの視点を持っていた我儘な僕ちゃんも、一緒に生活する「もう一つの視点」を意識するようになります。複数の視点を持てることはやはり、大人に近づくことですよ。

さて、内田樹さんは次のように述べます。

「金がないので結婚できない」という理由をあげる人が一番多いと思います。でも、前に言った通り、「貧しいから結婚する」という判断もありうるんです。「一人では食えないけれど、二人なら食える」というのは経験則として正しい。
もうひとつ、「市民的成熟のために結婚する」というのもあるんですけど、さすがにこれを口に出して言う人はいません(「市民的に成熟したいので、結婚してください」とプロポーズするような市民成熟度の低い人間とはだれも結婚してくれません)。
でも、結婚の核心はそこにあります。結婚生活という最小の社会組織を通じて、僕たちは共同体の仕組を学び、他者と共に生きる術を身に着けるのです。愛したり、疎遠になったり、信頼したり、裏切られたり、育てたり、別れたり、病んだり、癒したり、介護したりされたり、看取ったり看取られたりして大人になってゆく。
内田樹『困難な結婚』ARTES 73-74頁

人間にとって人同士のつながりは非常に重要であることは言うまでもありません。最近は、直接的な関係は少なくなってきたものの、SNSなどのネットワークを通じて人数については多くの人とつながるようになりました。

しかし、人間にとって重要なのはつながりの人数ではなく、「命のケア」に係るつながりであることも指摘されます。命のケアは、まさに育てたり、病んだり、癒したり、介護したりされたり、看取ったり看取られたりの関係です。

大人になるためには結婚したほうがいい。大人になれば自分が結婚したことの意味がわかってきますから、大人になる前には結婚することの意味も有用性も分かりません。ただ好きな人と一緒にいてごろごろしていると楽しいだろうなというくらいのことしかわからない。でも、「一緒にいて、毎朝ごろごろして楽しい」というような時期は長くて半年、短いと一週間で終わります。
内田樹『困難な結婚』ARTES 74頁

其の参:「もっといい人が現われる」

なかなか結婚に踏み切れない人も多いと聞きます。何をもって「いい人」と定義するかに拠るのかもしれませんが、ここで結婚してしまうことで、この先現われるかもしれないもっと良い人と結婚するチャンスを失う(機会費用)ということなのかもしれません。

より若い人と出会う→あるでしょうね。次世代は次々と控えております。

より美しと思える人と出会う→あるでしょうね。世の中にはたくさんの人がおります。

「より良い」を判断する尺度が何かは人それぞれでしょう。認知的要因や数値化できる要因に捉われてしまうと、人は人のことをちゃんと見なくなりますので、やはり注意が必要でしょう。

私の経験:あれこれ考えず。やあ、ご縁ですね。ご飯食べに行こう、とでいいようにも思います。

他の動物って、単独で食べるほうが「ごはんを横取りされず」に安心して食事ができるそうです。サバンナのそんな光景が目に浮かびますね。一方で、テーブルで向き合って喜んで食事することは他の動物があまりしない「人間らしい」営みかもしれませんよ。

ちなみに、他の動物はセックスを他の個体に見えるようにします。戦術です。人間は特別な嗜好が無い場合は他の個体に見えないようにします。戦術です。興味がある人は動物行動学や進化心理学の教科書などを参照ください。

内田樹さんはこのように述べています。

今の自分が受けている社会的評価はこの程度だけれど、ほんとうはこんなもんじゃない。本当はもっとすごいんだという自己評価と外部評価の「ずれ」が「こんな相手じゃ自分に釣り合わない」という言葉を言わせている。
内田樹『困難な結婚』ARTES 24頁

其の四:「条件が合わない」

手持ちの資源だけで何を創造できるか、それを楽観的に考える人は結婚に(あまり)逡巡しません。
内田樹『困難な結婚』ARTES 22頁

私はお付き合いした時、結婚した時ともに、パーマネントなジョブに就いていませんでしたからね。そもそも、条件は「非認知的」な要素と、周囲の人たちの反応と囁かな過去の記録くらいですので、相手からの査定にも入りません。「俺は海賊王になる!」と言っても、言うのはタダだし、信じてもらえません。

まあ、きっと「非認知的」な要素などは大事なのでしょう。だって、それが無くて、わたしが医師免許を持っていて、年収1800万円だったとして、結婚後に医師免許をはく奪されて、年収を失ったら、一気に条件を満たさなくなりますもんね。

私の好きな土岐麻子さんが『僕は愛を語れない』のなかで「健やかなる日も病める日も 僕はあなたのすがたをずっと見ていたいんだ きっと」と謳っておいでです。

そして、内田樹さんも次のように述べています。

率直に申し上げて、ご自身が「健やか」で「富める」ときは別に結婚なんかしなくてもいいんです。その方が可処分所得も多いし、自由気ままに過ごせるし。健康で豊かなら独身の方が楽なんです。

結婚しておいてよかったとしみじみ思うのは「病めるとき」と「貧しきとき」です。

結婚は「病気ベース・貧乏ベース」で考えるものです。

内田樹『困難な結婚』ARTES 24頁

私の経験:この先、どこで暮らすか、どの仕事をしていくか不確定だけど、まあ2人でだったら、どこの国でも、ご機嫌に暮らせて食べて行ける仕事を見つけて頑張るぞ、と思いました。

其の五:配偶者の見きわめ方

内田樹さんは、「海外旅行は結婚生活の『予告編』」と申しています。そこで、相手が結婚できる相手かどうか、すぐに分かるそうです。

トラブルには必ず巻き込まれるのですから、そこから「どうやって脱出するか」「どうやって切り抜けるか」、そこに配偶者としての適性があらわに出て参ります。結婚式の時の誓いの言葉における「病めるときも貧しきときも」にもう一つ「海外旅行の時も」を加えておきましょう。
内田樹『困難な結婚』ARTES 27頁
トラブルが起こったときにそれを適切に処理できる能力は、その「困った状況」の中における例がい的な「銀色に輝く雲の裏側」を探し出す能力と不可分なものです。
内田樹『困難な結婚』ARTES 29頁

私の経験:そういえば、妻とお付き合いしたのは外国でです。最初に一緒に暮らしたのも外国でした。お義父さんとお話ししたのも相手の家族が海外旅行で来られた時でした。婚姻届けも外国の日本大使館に提出しました。旅行もたくさんしました。

ヤップ島(FSM)、グアム島、パラオ島、レユニオン島(フランス海外県)、ザンジバル島(タンザニア)、ケープタウン(南アフリカ)、チョベ(ボツワナ)、シアボンガ(ザンビア)、リビングストン(ザンビア)、アムステルダム(オランダ)。

たいてい、トラブルはありましたね。

グアムの時は、妻がグアムの空港スタッフと眉毛ばさみを理由に大喧嘩。ヤップでは電気もトイレもない宿を予約してしまい、水平線に朝日をみながらビーチで用を足しました。レユニオン島では、帰りの飛行機の時間が変更になったお知らせを聞き逃し、飛行機に置いて行かれました。別途、高いお金で帰りのチケットを買いました。ザンジバル島の時は、行きに使ったザンベジ・エアラインが、帰る日には倒産していて、・・・臨時の貨物便のような飛行機で帰りました。ケープタウンの時もヨハネスブルクの空港で妻がスタッフと大喧嘩。

頼もしい人だと思いました。

結婚をしてみて

一言でまとめるのも無理なんですが、敢えて言ってみれば「自分のことを考えることが少なくなった」ということでしょう。自分の姿をしみじみ鏡で見る機会はどんどん少なくなり、おしゃれもしなくなりました。まあ、おしゃれって言葉も使いませんけどね、今時分。子どもが生まれれば、自分の服よりも子どもたちの服や体操服や上履きやらにお金を使い、自分のものは買わなくなりました。体型もね、さほど気にしなくなりました。

これの何がいいことか(笑)。自分視点の優先度が低くなっているときは、何か他に集中しやすくなっています。逆に精神的な病気になっている時って、何でも自分に向けて考えるようになりがちです。世界も問題がすべて自分に振りかかぅているように。つまり、過剰に自意識過剰になるようなものです。

自分の損得を考えないようになると、仕事運も何故か上昇してきました。私の場合はね。

前にも述べましたが、視点が複数になります。視点獲得です。妻の視点、子どもたちの視点、・・・の視点。子どもたちの視点を持つとね、近所の子どもたちの気持ちも考えるようになるんですよ。色々な視点が自分の中にあると、自己中心的な決断や判断でなく、さあて、落しどころも考えるかぁと、余裕をもって考えることができます。

スラっとしていた妻が、ぽてっとして来てもですね。ああ、自分のことよりも子どもたちのことを考えていろいろやってくれているんだな、ということが伝わってきます。私が小学生の頃の友達のお母さんもうんうん、みんなこんなシルエットだったなあと思うのです。

ああ、でも、これはどんなに丁寧な言い回しをしたとしても、本人に伝えることは難しいので、安易に言わない方が良いですよ。

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