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死者を敬う文化

この世界を見渡すと、死者を敬う文化と死者を辱める文化があることに気づく。

我々、縄文以来の文化を引き継いでいる日本人は死者を敬う気持ちを忘れない。
人間も自然の一部であると考え、死者を「この世においての務めを果たされて自然に帰られた尊い方」と捉えている。

縄文人は死者を部落の中央にお祀りして敬い、いずれ自分もそこに入ることを期待している。

「縄文人は他人を殺さない文化を持っていた。」ので自分の殺人行為を正当化する必要がなかった。

だから日本人には自分を正当化するための理論『善、悪』という概念がなかったのだ。もとから悪いことをする気が無いので当然のことだ。

日本以外の国を見てみると、全く別の発想をしている民族がいることが知られている。

死者を辱める文化を持っている民族だ。
死者を辱めるのを文化だとは思いたくないが、現実にそのようなことをする人達がいる。

罪を償って自然に帰った人の墓を暴いて辱め、更に罪を着せようとする。
それでもどこかに少しは人間の心が残っているのか、ゾンビ、キョンシーなどの化物を考案し、ゾンビに襲われる人間などを演出し、自虐のギャグを考え出している。

他民族を侵略、殲滅しておいて、少しは気が咎めるのか、自分らを正当化するために、勝手に『神』という概念を作り出し、人間を『神』に服従する奴隷と位置付けた。

この『神』に服従するメンバーを仲間と認識する『宗教』という概念と組織を作り出した。

そうして『自分達の信じている『神』を信じないものは人間ではなく獣であるので、『神』の命令により殺しても良い』との理屈を考え出した。

それを信じて、アメリカ大陸に渡り先住民を全滅させたり、また戦争において戦闘員である兵隊ではなく非戦闘員の民間人の住む住宅地を爆撃をしたり、原子爆弾を落とすなどの非人間的行為が歴史上残っている。
彼らは、自分達の信じている『神』を信じない獣に与えた罰だから当然だと解釈している。

宗教とは自分の不正行為を『神』の名の下に正当化するための方便だったのだ。
但し、これは方便なのであって、本来の姿ではない。

今は前首相の国葬をめぐって議論がなされている。
死者を辱める文化圏の人たちが騒いでいるが、日本人である我々は自然に帰られた霊に対して静かに首を垂れるだけである。

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