見出し画像

敵か味方か

人間関係においてよく「敵か味方か」を意識する
概ね「味方」より(個人的主観)か中間(あまり関心がない)にいる人が私には多い
もちろん「敵」も存在する

それでは「味方」とはなにか?
私はこう思う
味方とはどんなことがあっても見守り続けられる人の事だと
もちろん相手から助力を求められた時はできるサポートを全力でする
しかし求められていない時はなにか手助けをしたくとも堪えて見守る
そしてケアも視野に入れて行動ができる
このようなことをできる人が「味方」なのではないか

次は「敵」とはなにか?
敵とは貴方のためにと言いながら自分が有利で思い通りにするために人をコントロールしようとする人のことだと思う
助力を求められていないのに先回りして怪我のないようにする
一見優しいように見えるがこれは人の為にならない、自分がその人が傷つくのを見たくないだけの行為である
もちろんその重大性によって必要なのだろうけれどここで言っているのは人として経験に変えられるくらいの事象であり例えるなら膝を擦りむく程度の傷のことである
そして明らかに悪意のある行動をする人
自分の欲望を人に押し付けそれを叶えられない場合は感情のままに人を傷つけようと行動する人は明らかに「敵」である

私はこの「敵」には情けも容赦も必要ないと思っている
そして「味方」である人には私も常にその人の味方であり続けたいと思っている
自分の有限な時間をいくら使っても惜しみなく思える

しかし敵と味方をどうやって見分けるのか
これはかなり難しく時として時間を要する
けれどその人のことを注意深く観察していると言動と行動が違うことが多いことに気がつくだろう
その違いに着目する

味方になりうる人物に関してはその違いが少なく違う場合も良い方向で違うことが多い
敵になりうる人物に関してはその違いが多くそのほとんどが悪い方向で多い
例えるならばその人が厳しいアドバイスをしてくれる、そのアドバイスを受け取りながら自分のやり方で行動する、そして失敗するとしよう
敵ならば「あの時こう言ったのにそうしなかったからこうなった」で終わり、次は自分の言った通りにしろと言葉巧みに誘導してくる
味方の場合は「仕方ない、こんな時もある」と言い自分の時間を割いてケアをしてくれるそしてそこに見返りは求めていない
極端かもしれないがこれだけの差があると思う

人間関係を構築していく上でこの選別をできるようにならないと他人にコントロールされる時間が増えてしまう
そうなると悩むことや体調を崩したりすることが多くなる

こうならないように人を注意深く観察することはとても重要なことだと私は思う

私達は誰かが望む自分ではなく自分が望む自分であることが必要なのだ

だから私は味方であり続けてくれる人を心から愛しそしてこれから先も味方であり続けたいと思う

そして敵である人が私に敵意を向けるならそれに対して対処するし私の大事な人に敵意を向けてくるならば全力で排除する
私にはその覚悟もあれば少なからず技術と知識もある
その為ならば何も惜しむことはしない

敵か味方か
綺麗事では片付けられないこともある
話し合って解決しないこともあれば話し合いにならない相手もいる
人の表面に惑わされないように自分自身を高めていきたい

今日も私の周りで大事な誰かのために生きてくれている人達がいる世界に感謝
「有難うございます」

この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?