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私にはおばあちゃんが三人いる

私にはおばあちゃんが三人いる。

おばあちゃんが三人だから、もちろんおじいちゃんも三人なのだが。小さい頃はなぜ二人でなく、三人もいるのかよくわからなかったが、とりあえず多いにこしたことはないと思っていたし、なにかと自慢していたのを覚えている。「3人のおばあちゃんたちからお年玉もらえるんだ」とか、「夏休みは3人のおばあちゃんちに行くんだ」とか。

私のおばあちゃんは、数か月に一度会う父方の母の「逗子のおばあちゃん」、毎週会う母方の母の「玉川のおばあちゃん」、そして会う頻度は一番少ないが、よく電話をくれたちょっと特別感のある「埼玉のおばあちゃん」だ。(おばあちゃんの名を住んでる地名絡みで呼びがちなのは、我が家だけではないはず。)

おじいちゃんたちはみんな亡くなっているが、おばあちゃんたちは今も生きている。90歳を超え、今年101歳になるおばあちゃんもいる。すごいことだ。

さて、なぜ私にはおばあちゃんが三人いるかというと、わたしの母には、生みの親と育ての親、2人のお母さんがいるためだ。それが埼玉のおばあちゃんと、玉川のおばあちゃんだった。その話を聞いたのは小学校5年生くらいの時。それまでその事実はもちろん、現実世界に「生みの親と育ての親が違う」ということがある事すら考えたこともなかった私はとにかく驚いた。そしてすごく悲しくなった。毎週会っていた玉川おばあちゃん(おじいちゃんとは、母はおじいちゃんの弟夫婦の子だったこともあり、血は繋がっている。まあここはややこしいので省略。)と私は血がつながっていないことが悲しかったし、わたしの母は、自分を生んでくれた親と一緒に過ごせなかったのかと思うと、なんてかわいそうなんだとも思った。

おばあちゃんが3人いる理由がわかってからも、私はそれまでと変わらない接し方をしていたし、会う回数も今まで通りの頻度だった。特にその話題に触れることもなかったし、なんとなく触れてはいけないと思っていた。母自身も15歳でその事実を知った時以来、その話はしていないと言っていた。それでいいと思っていたし、それがいいと思っていた。

月日が経ち、私は母になった。おばあちゃんたちも年を取った。

そして先日、埼玉のおばあちゃんがこの先そう長くはないという連絡がきた。その時、私は改めてこれでいいのかな、このままでいいのかなと感じた。

愛しい人たちと私はこうして生きている。それは埼玉のおばあちゃんがわたしの母を生んでくれて、玉川のおばあちゃんが大切に育ててくれたからだ。それなのに、なんとなく触れてはいけないと思っていたことを理由に、埼玉のおばあちゃんにはたまに会っても「プレゼントありがと」「お年玉ありがと」といったありがとうのレベルだった。「お母さんを生んでくれてありがとう。いつも思っていてくれてありがとう。」と言ったことがなかった。

今、生きている埼玉のおばあちゃんに伝えなきゃと思った。触れづらいなんて理由で伝えずにいたら、きっと私は後悔する。時がたって念じたって伝わらないと私は思っている。今生きているおばあちゃんに伝えないと伝わらない。

だから私は先日埼玉のおばあちゃんに会いに行った。もう話すこともできないけど、でもうっすら目を開けてくれて、「おばあちゃん、会いに来たよ!わかる?」と話しかけると、ゆっくりと、少しだけ首を縦にふって答えてくれた。何か言いたそうに口を動かしてくれた。

今までちゃんと伝えてなくてごめんなさい。おばあちゃん、わたしのお母さんを生んでくれてありがとう。いつも見守ってくれてて、思ってくれててありがとう。

はっきりとした口調で、ちゃんとおばあちゃんに届くように大きな声で涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、伝えきた。

もっと早く伝えるべきだったし態度で示すべきだったと思う。
でも、今伝えられて、生きているおばあちゃんに言葉で伝えられて良かったと、うっすら涙ぐむおばあちゃんの目を見て、思ったのだ。

私にはおばあちゃんが三人いる。

3人の命があって、だから私はこうして生きている。

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