違和感さん 2「自分の調子」
先生に、学校に行けると「調子が良くて」、学校にいけないと「調子が悪いね」と言われる。
これにちょっと違和感があるわけだ。
そしてこの違和感を掘り下げて、色々の側面が人にはあって、ここは調子がいい、あ、ここは調子悪いなってことがあるよなって思うようになった。
もちろん朝起きた時から、「あー今日はなんかいい感じ」とかはある。
でもそうじゃなくて、今日は料理がすごいじゃんじゃか作れちゃう(調子が良い)と思ったら、noteはなんかうまいこと進まないな(調子が悪い)っていうのがあるのだ。
そして調子がどうかは自分が判断する領域でもある。
このnoteを書いてる私が調子が良いかどうかは私が決めていいし、学校に行かなかった彼の調子は、彼が決める事だ。
だから、今日も色々な側面を持つ私の調子は私が判断するし、家族の色々な側面の調子を私は判断すべきではない。
土曜日の午前中を
寝て過ごす旦那は、ゲームで始める彼女は、宿題がたんまりたまった机で絵を描き始める彼は、
調子が悪いなんて、思ってしまいそうな私はストップすべきなのだ。
人に調子云々言われることに違和感感じる。と、思ったら自分も人に感じてるじゃんっていう矛盾に出会ったnoteになっちゃった。
こうして書いてよかった。違和感を言葉にするのは、やっぱりおもしろい。
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