見出し画像

『Starfield』の真実 Bethesda30年の歴史に見る、栄光と衰退

2023年に最も落胆されたゲームは、おそらく『Starfield』である。

『Starfield』は2023年9月、Bethesda Game Studiosが手掛けた、宇宙を舞台にしたRPGだ。約7年、巨額の予算と膨大な人員というリソースが費やされ、さらに開発陣自ら「Bethesda史上30年ぶりの完全新規作」「1000以上の惑星となる宇宙が舞台」と大いにオーディエンスを盛り上げていたことで、2023年にもっとも期待される作品の一つとなっていた。

ティザートレイラーは再生数は1800万、高評価は8万を超える。

しかしながら、実際に発売されると不評が目立ち、特にSteamでは約10万件のレビューのうち低評価は約4割で、賛否両論となっている。その他、メディアやユーザーレビューを見ていてもあまり芳しくなく、結果的に『Starfield』は前評判以上の成果を得られなかった……落胆と言っていい評価に収まった。



では、『Starfield』の一体何が問題だったのだろうか?メディアやSNSに散見される、本作に対する批判を読み解くと以下のようなものが多い。

「1000の惑星が存在するが、そのうち99%はプロシージャル(自動生成)なので、空虚で退屈だ」

「宇宙全体を舞台にしたスケールが魅力だが、空間がシームレスに繋がっておらず、ファストトラベルでしか移動できない

UIやゲームデザインは旧態依然としており、内容も単調でつまらない」

なるほど、もっともな批判である。

率直に言って、『Starfield』におけるシームレスではなくファストトラベルでしか移動できず、世界観もプロシージャルで空虚な世界が続くというのは、一般人は無論のことBethesdaファンや批評家にとっても「今までのBethesda作品から劣化しているのでは?」と不可解なものとされ、それゆえ本作への評価は難しいものとなっている。

ミッションごとの移動は全てファストトラベルで賄う。とくに序盤はこの画面を数十、数百とみることに。



しかし、冷静に考えてBethesdaほどのゲーム企業が、こんなわかりやすい問題点をみすみす見逃すだろうか?むしろ、こうした不満は承知の上で、意図的にこうした仕様にしたと考えるのが妥当ではないか?

実は、筆者はこの『Starfield』における「問題点」がどうして生まれたのか、Bethesdaが何を意図していたのかについて、他のどのメディアや批評家も指摘していない、確たる「真実」を掴んでいる。

そこで、この「真実」について早々に結論を論じたいところだが、残念ながらそれはできない。なぜならこの「真実」は『Starfield』という作品だけではなく、Bethesda Game Studioという一つのゲーム企業が歩んできた「文脈」を抜きにしては、とても理解されるとは思えないからである。

例えるなら、任天堂の「Wii」がいかに革新的だったかを説明するうえで、元々任天堂が一貫して「家庭」を尊重してきたとか、ゲームファンが成熟化するにあたって新しい市場開拓が急務だったとか、そういう「文脈」なくして「Wii」の革新性を説明するのは難しいといえば、わかるだろう。同じことがBethesdaと『Starfield』にも言えるのである。

そこで『Starfield』について論じる前に、まず1990年代から2020年代の現在までの約30年間にわたるBethesdaという企業の歩みを振り返る必要がある。そして、その間にBethesdaがどんな環境にあり、何を作り、そして何を得たのかという点を逐一振り返ることで、それらの文脈がすべて『Starfield』に接続され、本作の真意が理解できると思う。

そして本稿を最後まで読んでいただいた時、『Starfield』のみならず、

Bethesdaという企業の哲学

彼らが作り出した「TES」シリーズや「Fallout」シリーズの真髄

ひいてはそこから派生していった日本や欧米の「オープンワールド」や「RPG」のメカニクス

などなど、現代ビデオゲームを考える上で役立つ、様々な重要論点を理解できることが叶うと願っている。



①:Bethesda黎明期 「広さ」の一点張りでCRPG業界に風穴を開けたチャレンジャーたち

今ではBethesdaは世界的企業なのだが、多くのゲーム企業がそうであるように、Bethesdaもまた初期はしがない零細企業だった。

元はケーブルテレビ会社で勤めていたクリストファー・ウィーバーにより設立されたBethesdaが手がける作品は、ファンタジーでもオープンワールドでもなく、アメフトをテーマにした『Gridiron!』やターミネーターの版権を借りた『Terminator 2029』など、言ってしまえば凡庸な作品ばかり。

そういった退屈な仕事に辟易としていたBethesdaのスタッフたちは、こっそりと自分たちが作りたいゲームを作ろうと企画する。具体的には、Bethesda社内でもはやっていた「D&D」やファンタジー小説に影響を受けたCRPGが、彼らが創ろうとしたゲームだった。


しかし当初、北米のPCゲームは「Ultima」「Wizardry」を筆頭に各社が様々なCRPG作品を作り出すレッドオーシャン状態。既に後発のBethesdaにとって、新規参入は難しい状況だった。

そこでBethesdaが狙いをつけたのが『Ultima: Underworld』というCRPGの跡目だった。『Ultima Underworld』は疑似3Dかつリアルタイムの攻略を前提としており、ターンベースが主な同世代のRPG(例外もある)と比べても実際に冒険している没入感が高いことから、後に「Immersive Sim(没入型シム)」の先行例としてみなされる名作であり、Bethesdaのスタッフたちも本作の多大な影響を認めている。

そんな名作『Ultima: Underworld』だが、実はちょっとした欠点があった。それは世界観が「地下ダンジョン」という非常に狭く、暗い世界にのみ限定されていたこと。『Ultima: Underworld』は当初のファンタジーCRPGとしては画期的なほどディテールにこだわり、世界観へ没入させる工夫が徹底されていたが、それだけに薄暗い地下世界を作るのでリソース的に精いっぱいだったのである。

そこでBethesdaはこの『Underworld』の地下に限定された窮屈な世界観の設定を、「地上」に、それも思い切って「タムリエル」と呼ばれる架空の大陸全土に拡げて実装しよう!という壮大な目標を掲げて作ったのが、彼らの初めてのオリジナル作品であり、同時に「TES」シリーズ最初の作品、『The Elder Scrolls: Arena』であった。

具体的には、既に「TES」シリーズファンにはおなじみの「シロディール地方」や「スカイリム地方」は無論のこと、いまだに本編では舞台になっていない「ハンマーフェル地方」などのすべてが、なんとシリーズの第1作目で既に実装されているという、圧倒的にゴージャスなゲームだったといえるだろう。

後にBethesda社員にすら「アホっぽい」と呼ばれるほど陳腐なパッケージ


こう聞くと、既にBethesdaは早くもすごいことをやってのけた、と思うかもしれない。しかし実態は「絵に描いた餅」もいいところであった。

なぜなら「タムリエル全土をまたにかけた冒険」というのは、その99%がプロシージャル、つまり自動生成によって作られた世界だった。そのため「タムリエル」はどこをどう歩いても、同じような岩や木が連なる空虚な世界で、とても世界観のリアリティなどなかった。25MBの容量と4MBのRAMで動かせるゲームには、所詮これが限界だったのである。

しかも、大陸全土を冒険できるといっても、歩いて大陸を横断することはできない。あくまで個別に区切られた各セクター内をいくら歩いても他の地域に移動できるわけではない。

言うならば、めちゃくちゃ広大な、しかし中身がないダンジョンが各地にあるだけ、という具合だ。その代わり、プレイヤーはマップ上のファストトラベルによって他の地域へ移動し、冒険を広げていくのである。無論、ファンタジーを味わう世界観や物語などは期待するべくもなく、極めて非直感的なUI、UXなどゲームプレイの質も微妙だった。

2年後の1996年、続編となる『The Elder Scrolls II: Daggerfall』(以下、Daggerfall)が発売されたが、上述した『Arena』の方向性は維持された。

本作の探索可能なエリアは、なんと1万5000。そのけた違いのスケールと、それを達成した技術力からCRPGファンたちには高く評価されたものの、例によってプロシージャルかつファストトラベルが中心の空虚な冒険になっていたことは否定できない。

事実、当時『Daggerfall』から本格的に「TES」シリーズに関わり、後にBethesdaの最高責任者となるトッド・ハワードも以下のように『Daggerfall』を評している。

「『Daggerfall』の世界はあまりにも画一的(generic)で、「トールキン」っぽい何かでしかなかった。一応、背景のようなものもないことはないが、世界を探索していて「おお、これはユニークなものだ」と確信できるようなものはなかった」

NoClip


さて、ここまで読んだ方は「おや?」と思ったかもしれない。

そう、『Starfield』の性質は、どういうわけか『Arena』『Daggerfall』など初期「TES」シリーズと酷似しているのだ。

圧倒的に広大な世界観を打ち出しているにも関わらず、その内実は空虚なプロシージャルの世界で、移動方法もファストトラベルのみ。世界観や物語に関しても、少なくとも広大さに対しては薄くなっている実情。

いずれにせよ、『Starfield』の魅力であり、同時に問題視されたポイントとはずばり、全てが『Arena』『Daggerfall』における「TES」シリーズの実態そのものである。

しかしここで一つ疑問が湧く。そもそも、『Daggerfall』が評価されたのは1990年代当時の、それもニッチなCRPGジャンルにおいてのこと。時代的な技術的ハードルを鑑みれば、当初の『Daggerfall』は実際に優れた作品であった。

それから約30年。ゲームハードは大きく進化し、オープンワールドは手続き型どころか、全てハンドメイドでかつシームレスが当たり前の時代。当然、プロシージャルかつファストトラベル限定の『Starfield』は時代錯誤に思えるのは必然だろう。

一体なぜ、Bethesdaはわざわざ30年前のゲームに立ち返ろうとしたのか?

それを知るためには、これからのBethesdaが勝ち得た成功と、その成功の裏にあった「落とし穴」について検討しなければいけない。


②:Bethesda成長期 「質より量」から「量より質」へ CRPGのコンソール進出を果たせた背景

もともとしがないゲーム企業だったBethesdaは、プロシージャルとファストトラベルを併用して世界の「広さ」を徹底して追求し、『Arena』『Daggerfall』でひとまずRPGファンの心をつかんだ。

とはいえ、『Daggerfall』の売り上げは当時10万本。CRPGの中では売れている方ではあったが、それでも一部のファンのみぞ知るニッチなファンだったことは否定できない。

ところがBethesdaは、続く3本目(※①)の作品『The Elder Scrolls III: Morrowind』(以下、Morrowind)で約400万本、そして4本目『The Elder Scrolls IV: Oblivion』(以下、Oblivion)で約1000万本と、新作を1本出すごとに売り上げの桁を1つ増やすという驚異的な快進撃に出る。

一体、Bethesdaは『Daggerfall』をどのように進化させたのか。それは「質より量」から「量より質」への重点の変化だった。


繰り返すように、『Daggerfall』は15000ものエリアを用意し、広さこそ圧倒的だったものの、その内実はプロシージャルを前提にした空虚な世界。とても冒険していて楽しいものではなかった。

無論この欠点はBethesda側もよく把握していた。そこで2002年に『Morrowind』を開発するにあたり、彼らは「質より量」という従来の方針から「量より質」に切り換えることにした。

具体的には、従来のプロシージャルによるレベルデザインをやめ、街、ダンジョン、フィールドの多くを一つずつ手作りで仕上げることで、世界観として説得力をもたせた。さらにフィールドは極力ロードを挟まないシームレスな仕様にし、世界をどこまでも歩いていけるように作った。

要するに、『Skyrim』や『Fallout』など、読者も知る「ベゼスダ的RPG」は概ねこの『Morrowind』から始まったのであり、現代オープンワールドの起源の一つもここに根差しているといえるだろう。その点で『Morrowind』は他のどのBethesda作を差し置いてもゲーム史に残るべき作品と言っても過言ではない。

また世界観も「モロウィンド地方」を舞台に、大きく練り込まれた。荒廃した山々や巨大な動植物、ダークエルフたちの独特の文明など、平凡なファンタジーにはない独自の世界観から、今も『Skyrim』を差し置いて『Morrowind』が好きだというファンは少なくない。

無論、ゲームプレイも大幅に見直された。画面の約3分の1が何らかの入力用インターフェイスで埋まるという、信じられないほど使いづらく旧時代的だったUIは、10分の1にも満たないわずかなバーに収められ、操作方法も格段に簡単になった。


こうした様々な進歩に満ちた『Morrowind』だったが、何よりも大きかったのは、本作がPCのみならずXbox、つまりコンソールとの同時展開を前提に創られたことだ。

Xbox版「Morrowind」

『Daggerfall』以前のBethesda作品を含め、従来のCRPGといえば、一部のコアなPCゲーマーだけを相手に作られた作品ゆえに、非常に扱いづらいUIUXや崩壊寸前のゲームバランスといった部分も「それもまた味がある」等と肯定され、マニアックなジャンルとして先鋭化していた(※②)。

そこでBethesdaは従来の方針を一転、コンソールハードに展開するうえで、従来の煩雑でわかりづらいゲームデザインを大きく改善した上、コントローラーでも操作ができるようUIUXも刷新。結果的に、Xboxでは『Halo』に続いて2番目に売れるという快挙を達成したうえ、後の「コンソールで遊べるCRPG」という絶対的ポジションを確立するに至った。


続いて2006年、Bethesdaは「TES」シリーズ4本目となる『Oblivion』を発売する。

『Oblivion』は『Morrowind』の成長をそのまま踏まえつつも、前作で「量より質」と言わんばかりに縮小した世界観を、「質」をそのまま物量作戦的に拡大することに成功している。

ダンジョン、街、フィールドの数や広さは増えた一方、前作と同じくクリエイターが細部まで作り(ダンジョンはかなり省略したそうだが)、クエストやダイアログにも整合性を取らせている。

その上、本作はXbox 360とPlaystation 3の2つのコンソールと同時平行で開発した。

コンソールが2つに増えたばかりでなく、Xbox 360とPS3はどちらも前作のXboxより何倍も多く売れていた=その分市場が広がった上、コンソールの性能も大幅に向上したことで、今作のように質も量も同時に達成するオープンワールドの実現に成功したのも大きい。

結果的に『Morrowind』が約400万本という大成功を収めたのに対し、『Oblivion』は約1000万本とそれをさらに上回る成功を収め、Bethesdaは2000年代のたった10年前後で、マニアックなPCゲーム企業から、日本にもファンの多い一大ゲーム企業へと躍進を遂げたのだった。

(※①:厳密には『Daggerfall』の後に『An Elder Scrolls Legend: Battlespire』『The Elder Scrolls Adventures: Redguard』を挟んでいるが、直接的な影響が少なく、商業的にも失敗したことを考慮して省略している。以降、ナンバリングタイトル以外は触れていない。)

(※②:これはそもそも、当初の平均的PCのスペックがコンソールより劣っており、しかもマウスすら流通していなかったという時代背景もある。既にPC市場で出遅れたBethesdaは、いち早くコンソール市場に参入することで、コンソールCRPGという独自の市場を確立し、ひいては後にJRPGの仇敵となるのであった)


③:Bethesda成熟期 既に完成されたメソッドを「ゲームプレイの簡略化」と「他IPの活用」で広げる

『Morrowind』では、ただ広いだけで空虚だったオープンワールドに「量より質」的に、職人的かつシームレスなオープンワールドを再構築し、さらに『Oblivion』では「量も質も」と言わんばかりに、前作の質をそのまま広大な世界として展開することで、実質的に現代オープンワールドの礎を築いたBethesda。

その上『Morrowind』で初のコンソール展開、『Oblivion』でのPS3とXbox 360のマルチプラットフォームによって、ニッチなCRPG文化をPCより何倍も大きなコンソール文化に伝えることで、大きく「利ざや」を得たBethesdaは、すでに200人以上の社員を雇用する世界的なゲーム企業へ成長していた。

では逆に、これからのBethesdaはどのように成長していくのか。すでにオープンワールドという一点においては『Oblivion』で質と量の両立に成功しているあたり、もはや成長の余地は少ない。そこでBethesdaは「「TES」のシステムを使った他社IPの起用」「ゲームプレイの大幅な改善と簡略化」という2つのアプローチを見出すことになる。


以下、

・『Fallout 3』『Skyrim』から見る、全盛期のBethesdaがいかにオープンワールドの文脈を完成させ、ゲーム史に影響を及ぼしたのか

・『Fallout 4』『Fallout 76』における、停滞しつつあったBethesdaが取った活路と、その失敗の原因

・そして『Starfield』がなぜ失敗してしまったのかという問題。表面的な批判ではなく、現代ゲーム文化においてBethesdaは一体何にぶつかり、どんな理由から『Daggerfall』的なアプローチを使いながらも、(そのアプローチとは別に)何が失敗へと導いてしまったのか。

など、Bethesdaという企業に対する徹底的な批評と分析を行います。ぜひ、最後まで読んでいただければ幸いです。

ここから先は

14,620字 / 40画像

「スキ」を押すと私の推しゲームがランダムで出ます。シェアやマガジン購読も日々ありがとうございます。おかげでゲームを遊んで蒙古タンメンが食べられます。