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2022年のJiniの活動

ゲームゼミの読者諸賢、あけましておめでとう。

皆さんは年末年始、いかがお過ごしだっただろうか。筆者というものの、『ぼっち・ざ・ろっく』の圧巻という他ない邦ロックの魅力に打ちのめされ、COUNTDOWN JAPAN 22/23ではリアルに邦ロックの鬼才たちの美を浴び、リアルとバーチャル両面から音楽の幸福に打ちのめされたまま正月休みを十分すぎるぐらいに取ってしまった。この記事も遅すぎるぐらいで、そこはお詫びしたい(GOTY記事もすぐに公開する)。

そんなわけで、久しいが2022年の仕事について個人的に振り返りつつ、ついでにゲーム業界に感じた所感についても述べていく。


2022年の活動について

充実しすぎているぐらいに充実していた。本格的に作家として独立して以来、2022年ほど膨大な執筆や取材に追われた日々はなかった。正直羅列するのも面倒になるほどの量だが、具体的には


・ゲームゼミ 基本的に4本/月更新(50本近く)
・連載 4本/月掲載
・出演 アトロク準レギュラー
・企画 SWITCH(プレイステーション特集)、WIRED(ゲーム特集)、VOGUE(本田翼取材)、ファミ通ゲーム白書(Netflix取材)
・その他、表に出せない案件 某大手パブリッシャーのあれとか、某YouTuberのこれとか、コンサルティングだけでも月○回とか
・個人的に進めてる案件諸々


まず改めて申し上げたいのが、ゲームゼミを継続して読み続けてくれている方々への感謝だ。

昨年、有料の読者数が1000人を超える日本ゲームメディア史の快挙を達成しつつ、それからも一貫して微増。実質これだけでも食べていけるので、得た報酬はもっぱら機材、書籍、ゲームタイトルにぶっこみ続け、その膨大なインプットをもって新たな記事や研究に展開できるという、大変ありがたい好循環が続いている。

率直に言えば、ゲームゼミの記事は読者を限定するからこそ執筆できる、炎上を恐れないツッコんだネタと、取材や研究に一切の妥協をしない記事によって(書いてるだけで、果たしてそんなもんが今需要あるのか?と思えてくるが)ビデオゲーム文化の端くれで、その美の整理と体系化に貢献でき、なおかつそれを多くの人に読まれ、評価されたことは、本当に喜ばしいことに思える。また自惚れであるが、これほど読者が「離れず」に購読し続けてくれているのは、ゲームゼミに展開した記事の唯一性を実績で改めて証明できたと言えると思う。

こうしたゲームゼミでの活動が、いわばゲーム文化のコアの中のコアなのだとすれば、一方で出版を含めた4本の連載、レギュラーのラジオ出演は、ゲーム文化の「外側」において、いかに非ゲーマーたちにゲーム文化の価値を知ってもらえるよう解説する活動である。率直に言って、ゲーム文化、もっといえば、オタク文化そのものの外に向かって、出版や放送のような「マス」の力を通じて発信をする人間は筆者の他に、現在となってはほとんどいないものと自負している。この辺の経験は案外貴重だと思うので、別途記事にしたい。

かように2022年の活動は、ゲームゼミを通じた完全な「内側」の活動と、マスコミを通じた「外側」の活動の2つに大別される。言うならば地球のマントルと大気圏外の双方で活動するようなものだ。そして現在、拡大していくゲーム文化において最も欠けている視点はこの「マントルと大気圏外」であり、空席でありながら本来最も問われるべき場所に自分が立って活動できていることは、微力ながら自分にできることをやりきった感がある。

とりわけ今年はSWITCHとWIRED、2つのハイカルチャーの雑誌において、企画から取材、執筆に至るまで大々的に立ち会うことができたのは、大変に良い経験だった。ただ自分が執筆するだけではなく、多くの知見を持つ人々……それこそ米津玄師と上田文人の対談から、アクセシビリティへの洞察を含め、取材を通じて引き出すこと、さらに編集部の方々と企画、デザインまで、「雑誌を作ること」を経験できたことは、刹那的に消費することに特化したウェブメディアでは決して得られない新鮮なものだった。

中でも、宮崎英高や吉田直樹といった稀代のゲームデザイナーから、本田翼のような若きカリスマにまで、取材を通じて直接話し、聞き、知ることの出来た経験は、改めて作品や資料だけでは理解できない「創作の本質」を、その輪郭をわずかに触れただけでも痛感させられた。また表に出ない仕事(Jini名義でない仕事)を通じても、ほとんどのゲーム企業と実際に語り、働く経験は、これまでにない知見となった。こうした経験は記事を通じて反映されているもの、と信じたい。

こうした経験を通じて改めて実感したのは、今あえてゲーム業界で作家として生きる意味や価値だ。作家はサラリーマンのように金銭は稼げないし、インフルエンサーのようにインターネットでチヤホヤされるわけでもなく、そういう点で魅力に乏しい。しかし、作家には「知」がある。批評のために膨大な作品に触れ、研究のために先行事例や研究を学び、取材のために賢者たちと話すことさえできる。こうして得た諸々の「知」は、サラリーマンでもインフルエンサーでも確実に手に入らないものだ。一体誰が一日中ゲームを遊び、世界的クリエイターと会話することができるのは、作家ぐらいのものだ。

とはいえ、それも生活ができる最低ラインの給与があればの話で(このメリット・デメリットは研究者のそれと似ている)、率直に言うと、「食っていける」レベルのフリーランスのライター、作家は少なくとも日本のゲーム業界に筆者の他に数人といないだろう。無論それはゲームゼミという独立したメディアを自分で営んでいるからこそ可能なわけで、その点、ゲームゼミ読者諸賢にはつくづく感謝する他なく、だからこそ2023年以降は、ここまで貯蔵した知を動員した上で、「ビデオゲームを知で読み解く記事」を書き続けられればと思う。


一方で、筆者の活動が「マントルと大気圏外での活動」であったなら、その中間にある地表、つまり「ゲームコミュニティ」に関しては、もはや諦観に至っている。根本的に「ゲハブログ」的潮流に対抗する意図で2014年にブログを立ち上げた当初、彼らが2chから「抽出」した悪意、傲慢、反知性主義のような「歪み」は、近年ではTwitter、YouTube、各メディア等を通じ、ゲームコミュニティの「表面」をコーティングし、ビデオゲームにかんする生産的な議論が非常に困難となるばかりか、暴力的・搾取的なものが公然とまかりとおり、直視に耐えない。(具体的に記事で触れ……るべきかなぁ)

(ゲームゼミではしばしば狂気に抗いはした)

無論ゲームコミュニティの全てが歪んでいるわけでない。あくまで歪んでいるのは「表面」、ボーカルマイノリティの言論であり、コミュニティ内部の9割はごく真っ当なもの(のはず)だが、少なくとも表立ってビデオゲームを論ずる上で、かくも知性や良識を放棄した何かが「世論」にまで至るのは、狂気に近い。音楽でも映画でも、趣味コミュニティの中に少数「変な人」「幼い人」がいるのは珍しくもないが、それが表面上は多数派にまで増長する例は、寡聞にして知らない。

それもこの歪みは、どこから来たのか。ただ、貧しい。どうしようもなく貧しいのだと思う。貧困故に抱く空虚さから自然と溢れるような悪意や無気力が、もっぱらTwiterのようなSNSに蔓延しているのだろうと思う。まさに落合陽一の指摘する「貧者のヴァーチャルリアリティ」のようなものを、特にここ数年のゲームコミュニティを見ていると実感する。

正直言えば、ゲームゼミは創刊以来、明らかに貧困によって蝕まれている現実に対する「シェルター」という意図を持っていた。少なくとも『Fallout』の「Vault」ほど頑丈ではなく、いいとこ少々大きい「プロウスキ保護シェルター」なのだが、ポストアポカリプスの世を凌ぐ程度には役立つ。ゲームゼミが今後必要とされるのは、今ビデオゲームを正面から論ずることが大変困難になっている現実に対し、インテリジェンスによって対抗するささやかなシェルターなのだと思う。また「大気圏外」、良識や理性がまだ残るメディアでは、筆者がまだ役立てる場所は残っていると思う。

2023年の予定としても、ゲームゼミの運営に引き続き注力したい。同時に、SNSや各メディアから漏れでる狂気に抗うべく、2022年と同様に「世論」と異なる記事を更新することになると思う。無論それはゲームコミュニティの「世論」とは異なるものであり、故に公開することが憚られるものの、一般のメディアで論ずる上では自然に受け入れられるような温度感が、理想かもしれない。

一方、今後は単なる執筆を超え、活動の幅を拡げていきたい考えもある。そもそも2023年以降、ゲームメディアに何が求められるのかという話も、いずれしたい。

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