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アスリートのセカンドキャリア問題とかいう都市伝説


ここで、はっきりさせておきたいのは「アスリートのセカンドキャリア問題はあるのか問題」(meme の山浦さんから借りた表現)です。つまり、スポーツから、スポーツ以外へとキャリアを動かすとき、本当に、そこには「問題」と呼ばれるようなものが発生しているのか?です。

これは、体育会学生の就活も同じです。

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キャリア選択の条件を「お金」と「やり甲斐」に分けるとします。  

まずは「お金」についてです。  

アスリートにとっての社会とは、初海外のようなものです。行く前は、とにかく生きて帰れるかが気がかりですが、行ったら行ったで、別に危険な目にも合わない。

ありがたいことに日本では、頭が悪くても、コネクションがなくても、仕事をしてご飯を食べていくことができます。家族がいても、多分、それなりには暮らしていけます。何事も初めては不安ですが、意外とセーフティです。

一方で、効率よく大金が手に入るかと聞かれれば、それも違います。それこそ頭が良くて、コネクションがある人たちがやってます。基本的に僕たちは、頭が悪いので無理です。

ご飯は食べていけるが、効率よく大金は稼げない。お金を巡る問題は、例外なくこの範囲に収まります。ものすごく当たり前のことです。 


次は「やり甲斐」についてです。

世界各国の企業を対象に実施した従業員のエンゲージメント(仕事への熱意度)サーベイがあります。そこでは、日本の「熱意あふれる社員」の割合は6% しかないということになっています。

この手の調査では、日本人は控え目に回答をするので、シリアスな結果になりがちです。が、満員電車のサラリーマンたちを想像すると、6% は良い線いってる気もします。

つまり、大抵の社会人たちは、仕事にやり甲斐を感じていない。さらに言えば、それでも転職ができないのは、やり甲斐の見つけ方も分からず、諦めているからです。

スポーツ界には、引退という名の強制転職があります。それは、大抵の社会人たちが回避している「自分にとってのやり甲斐」を決定し発表させられる機会です。アスリートには、問題があるのではなく、機会があるのです。

「やり甲斐のある仕事が分からない」とすれば、ものすごく当たり前のことです。ほぼ全人類が分からないのに、アスリートのもとにだけ、神に導かれし我が生きる使命が、頭上に降ってくるわけないのです。


また、プロスポーツ選手という職業は、市場規模の割には、謎のキラキラ感があります。そこに引っ張られて、自分あるいは世間の、次の舞台も期待してる感があります。これもしんどい。

ただ、冷静になってください。街ゆく人々は、例えば Jリーガーの顔と名前なんてほとんど知らない。言うほどスペシャルな存在じゃないのです。だから、現役と非現役の差分なんて、たかが知れてるので、ここに悩むこともないと思います。前職を過剰に美化して、やり甲斐のハードルを事実以上の高さに設定するのはやめましょう。

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現実的な落としどころに、お金に振り切って やり甲斐を犠牲にする、または、やり甲斐に振り切って お金を犠牲にする、があります。片方だけでもゲトれればラッキーで、たくさんの人が、そうやって働いています。

それでも、僕たちは、できるだけ効率的にお金を稼ぎつつ、自分が夢中になれるくらいにやり甲斐のある、そんな仕事に出合いたいと思っている。いやいや、これはかなりのチャレンジじゃない? きっと、実現可能性は低い。そりゃそうです、すべての人がそれを望んで、破れていくのだから。

それでも、僕たちは、そういう難しい挑戦にワクワクすることができるはずです。ここまで、スポーツを続けてこられたように。出合ってみせようじゃないですか。

思うに、アスリートのセカンドキャリア問題とは、守備ではなく、攻撃の戦略の話です。スポーツをやめてからも「余すことなく、人生を楽しみたい」そういう気概がある場合にのみ発生する、イベントです。

普通の暮らしでいいなら、真面目にしていれば、普通にいけます。


不安を感じる必要はないし、不安を煽ってくるヤツはシカトで大丈夫です。都市伝説好きは、クラスに一人は必ずいます。

僕が実験台になって感じていることがリアルだとすれば、僕たちは大丈夫です。ただし、戦略を立てる必要はあります。また話します。


最後まで読んで頂き、ありがとうございました。