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「808」第1話

【あらすじ】

小学生の時に「彼」が手渡してくれた心温まるメッセージにより、人生が変わり出した「僕」。
十数年後、思わぬ所で「彼」を見かけることになるのだが、その時には「彼」もまた大きな変化を遂げていた。

【本編】

現在日本では、IQが一定の基準より低い「知的障害」の子供は全体の2%ほどとされており、低年齢からの支援が受けられる体制が整いつつある。
しかし、それでも診断がつかないほどの、いわゆる「境界知能」の子供は、取りこぼされがちだ。
彼らは特に何の診断もつかず、日常生活や会話に支障がなくても、小学校中学年程度から学習に困難を抱えることが多く、しかも、単なる努力や集中力の不足ととらえられてしまいがちである。


あの頃の僕に友達がいなかったのは、たぶん、耳のせいだけじゃない。物事と他人の嫌な面ばかり探していたからなのだと、今ならわかる。

オオネくんというその少年は、五年生の夏休み明けに転校してきた。
不潔という程ではないが、襟の辺りがなんだかヨレヨレした、くたびれた服を着ていた。大根と書いて、オオネ。それでいて足は細く、薄汚れて、どことなくゴボウを思わせた。
全てにおいて一拍遅い。声は小さく、モジモジしていて、ちびまる子ちゃんの山田のような、いわゆる明るいおバカキャラでもなかった。
普通なら転校生はしばらく人気者になれるはずだが、彼のボーナスタイムは半日もなかった。

「大根なのにゴボウじゃん」
「顔はナスに似てね?」
「すげー、一人で八百屋じゃん」
何が面白いのか、クラスの人気者達がゲラゲラ笑った日があって、それから彼は、陰で八百屋と呼ばれるようになった。授業中、先生が板書を始めて生徒に背を向けたら、誰かが紙に808と書いてパッと上げる。クスクス笑いが起きる。
先生の目を盗むスリルを味わうだけの、幼稚な遊びだった。

対する僕は、あだ名も付けられないほど、はっきりと嫌われていた。
片耳難聴で、補聴器さえ着ければ特に問題なく暮らせたのに、あの、耳の後ろに着ける器具が嫌いで嫌いで、ケースに入れたままランドセルにしまっていた。
当然、聞こえづらくて不便だから、誰とも話さない。話しかけてくる人もいない。
一年生の頃は友達もいたはずなのに、周りにうっすらした壁を感じて、自分も壁を作ってからは、どうやって同級生と話せばいいのかわからなくなってしまった。
勉強はできたから、たまに隣の席の奴のテストが見えると、小さな声で
「うわ、これで九十点以下とる奴いるんだ」
とか呟いた。それで嫌われないはずがない。
でも、オオネくんの点数だけは馬鹿にする気にならなかった。それは優しさなんていう素敵な感情からではなく、ひいてしまうほど彼の点数が低かったからだったと思う。毎回、一生懸命用紙は埋めていたが、マスからはみ出た漢字は間違いだらけだったし、算数なんて十点取れれば良い方だったのだ。

ある日、補聴器を隠された。帰ろうとして何気なくランドセルの中を見たら、ケースごとない。血の気が引いた。
体育の時間に、抜き取られたのだろうか。高価な物だし、本来は肌身離さず着けているはずだから、そう思い込んでいる親には、落としたという言い訳もできない。
掃除の時間、各自の持ち場が終わった者から、ちらほらと帰り始めている。ランドセルをガサゴソやりながらうろたえる僕は、明らかに様子がおかしいのに、話しかけてくる同級生は誰もいなかった。
隣の席の奴も戻ってきて、自分のランドセルを背負おうとし、僕の様子に気付いた。彼と目が合う。
彼は一瞬心配そうな目をしたように見えたが、その後思い切りニヤッと笑い、横を向いて、友達に言った。
「早く帰ろうぜ」

いつも、心に蓋をして過ごしていた。こんな奴ら、友達じゃない。くだらない、話す価値もないと思っていた。でも、さすがに堪えた。
自分はこいつの点数をバカにしたんだ、助けてもらえなくて当然だ。
泣くもんか。でも、下を向くと涙が出そうで、真正面を向いたまま、僕は拳を握りしめた。


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