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「山の日」に山に登ろうとしたが・・・

先日、noteを見ていたら、この記事が目に留まった。

出雲の神名火(樋)山(かんなびやま)の記述があり、少しうれしくなった。

すると、昨日の地元の新聞「山陰中央新報」の明窓(朝日の天声人語にあたる)欄にカンナビ山、大船山のことが触れられていた。

出雲のカンナビ山は4つある。その一つが大船山である。標高327m。これまで大船山は登ったことがなかった。そして、昨日は「やまの日」でもあった。これは登らねばならない。急に、興がわいて、午後から登ることに決めた。しかし、妻はお盆の準備(窓ふきなど)に忙しく、子供もまったく関心を示さない。しかたないので、単独の登頂を目指すことになった。

大船山の場所はなんども車で通っていたので、勝手知ったるところだ。しかし、そこから先の登山道は初めてだった。車で行けるか心配だったが、マップ情報によれば登山口まで車でいけるとある。

石ころの敷き詰められた道をガタガタ揺れながら、脇道に入っていくと行き止まりに駐車スペースのようなものがあった。しかし、そこから周りを探せど登山道のようなものが見あたらない。あとで調べてみると、駐車場より下のところに登山道があったようだ。

時間が過ぎていくばかりだったので、今回は登山をあきらめて、大船山周辺を回って帰ることにした。

近くには酒の神様を祀る佐香(松尾)神社がある。

しかし、今回は大船山北方にある立石(たていわ)神社に参ることにした(map参照)。

立石神社の説明看板が新しくなっていた。

ここ立石神社は、大国主命の孫神多伎都比古命(たきつひこのみこと)を御祭神とし、社は無く三つの巨石からなっている。祀られた時代は不明だが雨乞いの神様として知られ、祈祷をしたご幣を持って背後の雲見峠まで行くと必ず雨が降ってきたと伝えられている。

『出雲国風土記』(七三三年)には「阿遲須枳高日子命(あぢすきたかひこのみこと)の妃、天御梶日女命(あめのみかぢひめのみこと)、多宮村(たくむら)に來坐(きま)して、多伎都比古命を産み給ひき。(中略)謂はゆる石神は、即ち是れ多伎都比古命の御魂なり。旱(ひでり)に當ひて雨を乞ふ時は、必ず零(ふ)らしめたまふ。」とある。

また『雲陽誌』(一七一七年)には山神「岩の高さ四丈、周二十間、三に分けてあり、いかなる故にや土人御所の立岩といひたてまつるなり。」と記されている。

雪見峠を越すと、命がこの地へお越しになった時のものとされる牛馬の足跡が残っている。すぐ近くには産湯をつかわれた長なめらの滝(虹ヶ滝)があり、辺りには母子神を祀る祠や同じく宿努(すくぬ)神社がある。また雲見峠の峰続きには神名樋山(かんなびやま)の大船山があり、このあたり一帯が神話の舞台となっている。

現在この地を立石(たていし)呼ぶが、周囲の庄部(しょうぶ)地区全体の半数が立石姓を名のっている。大正時代には拝殿もあったらしいが、いまは礎石が残っているだけである。かつては「八朔祭」だったが、昨今は九月第一日曜日に、庄部地区の氏子によってお祭りが行われている。

平成二十四年には、出雲市の地域が誇る観光スポットとして認定を受け、同年には荒神谷博物館による測量調査が行われ、最大高さ十二m、最大幅二六mあることが明らかになった。

以前、上記の記事で紹介した阿遲須枳高日子根命(あぢすきたかひこねのみこと)の子神・神多伎都比古命(たきつひこのみこと)を祀っている。神多伎都比古命(たきつひこのみこと)は看板の説明通り、干ばつの時に雨ごいをすると雨を降らせてくれる素晴らしい神様である。

急に看板が現れる


道路横を下に降りていく
このような細い道が続く


着いた!
看板説明のとおりずいぶんでかい岩である

よくまぁ、こんなところで母神はお産みになったなと感心した。石神といえば、スサノオが「われは石や木に名前をつけず」として神殿に祀られたように、古いタイプの祭祀方法であるといえる。そこになにやら奥深さを感じたりもする。

ただ十数年前に来た時と違って、たった少し歩いて下ったり登ったりしただけなのに足が悲鳴を上げてしまい、ずいぶん情けない次第。ひょっとして、大船山に登っていたら降りてこれたかなと思いつつ、再度のリベンジを立石神社で誓うのであった。



今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

大船山はかならず近いうちに登ります。

よかったら大船山登山とあわせて、佐香神社、立石神社を参拝されることをお薦めします。

お待ちしています ♪


こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。

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