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「骨の消滅」 第二章 神話への旅路 


早いもので、もう近所の桜は散ってしまい、周りの山々も新緑が目立ち始めた。

最初の頃は慣れない一人暮らしに戸惑ったが、ぼくの生活もしだいに落ち着きを取り戻した。自炊にも慣れ、冷蔵庫の食材や調味料もちょっとずつ増えていった。基本的にコメや野菜などは実家から送られてくるので(ありがたいことだ)、ぼくがスーパーで購入するのは肉やたまごに限られている。

大学生活のほうは順調かといえば、そうでもあるといえるし、そうでないともいえる。授業のほうは真面目に出ているので、問題ないと一応いっていいだろう。ただ、なかなか友人ができないというのが悩みの種だった。

もともとが人見知りのせいもあり、さらに二浪の負い目もあってか、入学当初、気軽に声をかけれずにいたら、すでにあちこちでグループが出来てしまい、その中に入れないでいる。

今後はサークルにでも入って、仲間を作ろうかと思案している最中だ。というわけで、もっかのところ差し当たった悩みといえば、もうすぐやってくるGWの過ごし方についてだろう。地元に帰るには遠すぎて、この時期の帰省費は痛すぎる。かといって、親しい友人もまだできていないので、どこかに遊びに行くのも一人ということになり、いささか寂しくもある。

そんなときの突然の訪問だった。

ピンポーン!

ぼくの家に人が訪ねてくるのは、今のところ、セールスの勧誘かNHKの集金取り立て(ぼくのうちにはテレビはないのだが)しかないので、またそのいずれかだろうと思って、しぶしぶドアを開けてみると、意外にも出雲いずくもさんだった。

「どう、学生生活は慣れたかい?」

出雲さんとは引っ越しの挨拶以来だったので、つい気を許してしまったというわけでもないが、やはり「袖触れ合うも多少の縁」なのだろう。懐かしくなかったといったら嘘になるだろう。

「GWになにか予定あるの?」

出雲さんがそう聞いてきたとき、ぼくは不覚にも、「何もないです」と答えてしまった。そして、唐突に提案された出雲さんの誘いに、つい気楽に乗ってしまったのである。

それが出雲への小旅行、この物語の始まりだった。


GWの中日、出雲いずくもさんの車でぼくたちは出雲へ向かった。

出雲さんは18の夏に免許を取ったけれど、車を購入したのは今年初めのことだった。伯父さんが自動車整備工場を経営していて、中古でいいのが見つかったから20万でどうかということで購入に踏み切ったという。ホンダのN-BOXで、全体は淡いクリームイエローだが、ところどころに塗装の塗り直しが見られる。前の乗り主の運転は、少なくとも安全とは言えなかったようだ。

神話に興味のある出雲さんのことだから、車内も芳香剤だったり、神様のお札が貼ってあったり、奇妙な装飾で飾られていると思いきや、そういうことはなく、いたってシンプルだった。逆に、内装には全くこだわってないことが伺わせられた。

ぼくは今日も喜多郎の「古事記」が車内で流れるのではと内心ひやひやしたが(喜多郎の「古事記」が悪いというわけではなく、少々ドライブには向かないのではと思っただけだということは記しておきたい)、意外にもJAZZが流れている。

「出雲さんはJAZZが好きなんですか?」とぼくが聞くと、「いや、ぜんぜん詳しくないよ」と答えが返ってくる。

たまたまネットでみつけたそうで、CDのジャケットが気に入って購入しただけで、JAZZなのかどうかはまったく気にしなかったという。ようするに「ジャケ買い」というやつだ。

ダッシュボードに無造作に突っ込んであるCD(紙ジャケCDだった)を見せてもらうと、静かな湖畔の写真が写っている。一見すると、JAZZのCDというよりも、クラシックか、ムード音楽で使われるようなジャケットだ。和ジャズ傑作選と帯に書いてある。

アーティストは小川俊彦。アルバムの名前は「リヴァーサイド・ジャム」

JAZZピアノトリオのアルバム(1980年発表)だ。

ぼくは、残念なことに、このアーティストをまったく知らなかった。あとで調べてみると、原信夫&シャープアンドフラッツのピアニストで美空ひばりと共演したこともあるという。和ジャズの隠れた名盤とあることから、売れに売れたアルバムではないらしい(ようするに、売れなかったということであろう、率直に言えば)。

しかし、ぼくたちのドライブにはちょうどいい、軽快な音楽だった。喜多郎より、全然いい(喜多郎には申し訳ないけれども)。

でも、なぜこのCDのジャケットが出雲さんの関心を惹いたのだろう?

「偶然、手に入れたけど、JAZZが流れているのもいいもんだろ。女の子とデートするときにはいい雰囲気になると思うぜ」

さすが、雰囲気を大切にする出雲さんらしい発想だ。ただ、それならもう少し内装を拘ったほうがいいのではと思ったが、それをいうのはさすがに控えた。

女の子がこの車に乗ったことはあるんですかと尋ねてみたが、一度もないという話を聞いた後では、尚更・・・。



鳥取から出雲までは直線で約100㎞。日本海を右手に眺めながら、東西に延びる山陰線に車を走らせている。昔は片道4時間の道のりだったそうだが、今では山陰線が通っているので2~3時間ほどで行けるようになった(便利になったものだ)。

鳥取から米子までは山陰線が無料区間なので、ぼくらはその恩恵にあずかることができた(貧乏学生にはありがたいことだ)。米子までは約2時間ほどの距離であるが、その道中、ぼくはどうしても訪れたいところがあった。

鳥取県北栄町の青山剛昌あおやまごうしょうふるさと館だ。

言わずと知れた「名探偵コナン」の作者で、鳥取県の有名人のひとりである。

ぼくがこどもの頃、最も熱中した漫画が「名探偵コナン」だった。鳥取の大学に行こうと思ったその動機の半分は、「名探偵コナン」の作者が鳥取の人だと知ったからだといってもいい。それくらい、ぼくは「名探偵コナン」に夢中になった。

出ているコミックは当然ながら全部揃えていて、引っ越しの際も全巻持ってきた。100巻を超えているので本棚は「名探偵コナン」で埋まってしまった(それが、大学生としていいかどうかは別として)。

じっちゃんの名にかけて(ぼくのじっちゃんは名探偵ではないけども)、どうしても「青山剛昌ふるさと館」には寄らねばならないだろう。

ところが、出雲いずくもさんは、ぼくの申し出を即座に断った。

「いいじゃないですか、10分でもいいから寄ってみましょうよ(ほんとうなら2時間はいたいところだ)」

「青山剛昌ふるさと館」は山陰線をほんのちょっと横道に入ったところにあり、寄り道には最適の場所だ。

すると、出雲さんはお門違いな話を、おもむろに、し始めた。

「圭吾、いいたかないが、ぼくが人生で何回失恋したか知っているかい?」

そんなこと知るはずもない。「なんのことですか?」とぼくが問うと、「13回だよ、13回」と、聞きもしないのに堂々と告白する出雲さん。

「そのうち、「青山剛昌ふるさと館」へドライブに誘って、振られた回数は4回だ」

出雲さんがこの車を購入したのは今年に入ってからだから、つまり今年のうちにもう4回振られたということになる(その前の9回の告白も気になるところだが)。

「ぼくはドライブデートといえば「青山剛昌ふるさと館」と決めてんの!」

つまり、はじめての彼女とのデートは「青山剛昌ふるさと館」と決めているので、ぼくと行くわけにはいかないということらしい。

それだと、いつまでたっても「青山剛昌ふるさと館」には行けない可能性がでてくるのではと思ったが、出雲さんの運転が荒れるのを恐れて黙るしかなかった。妙なところにこだわりがある人なのだ、出雲さんは。

まぁ、いいだろう。ぼくも鳥取に来たばかりだ。これから何度も「青山剛昌ふるさと館」にいくチャンスはあるはずだ。それより、出雲さんも「名探偵コナン」のファンと知り、出雲までの道中、ずっとコナンの話で盛り上がったことのほうが、楽しい思い出だ。

ただ、出雲さんがその後、「青山剛昌ふるさと館」を訪れることは一度もなかった。それだけは残念に思う、今となっては・・・。

人生は寄り道の連続だが、ときにそのときにしかできない寄り道というものがわれわれにはあるのかもしれない。


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