「骨の消滅」 第三章 あくびをするような蒼い洞窟
ぼくらは大山が見えてきたあたりで、いったん休憩を入れた。
休憩に立ち寄った「道の駅・大山めぐみの里」は名前の通り、大山を一望できる麓の道の駅で、GWの観光客でごったがえしていた。
「もうここから出雲の入り口だぜ」
おかしなことを出雲さんはいうものだ。まだここは鳥取県で、出雲市はここから60kmばかし先にある。ぼくがそういうと、出雲さんは「お前は何も知らないな」という顔をぼくに向けながら、古代の地理誌「出雲国風土記」について説明してくれた。
「出雲国風土記」は、出雲国の風土記。編纂が命じられたのは和銅6年5月、元明天皇によるが、天平5年2月30日に完成し、聖武天皇に奏上されたといわれている。「国引き神話」を始めとして出雲に伝わる神話などが記載され、記紀神話とは異なる伝承が残されている。現存する風土記の中で唯一ほぼ完本の状態である。
「出雲国風土記」によれば、古代の出雲は東の大山から西の三瓶山までがその範囲だったそうで、出雲さんに言わせればこのあたりから出雲の文化圏に入るのだという。
この「道の駅・大山めぐみの里」の観光客に「このあたりは出雲ですか」と尋ねても鼻で笑われそうなものだが、出雲さんはそう信じているらしい。おそらく出雲さんの頭の中の光景は、ぼくがみているものとは異なっているのだろう。
観光客で混雑する「道の駅・大山めぐみの里」の売店でやっと買うことができた(なぜ日本人はこうも並ぶことが好きなのだろう?)ソフトクリームをほおばりながら、ぼくらはいよいよ出雲の入り口に向かうことにした。目指すは東出雲町黄泉比良坂だ。
大山麓から米子市まで行くと山陰線の無料区間が終わる。そこでいったん国道9号に路線を変更し、そこから車を走らせること約20分。そこに出雲さんの目的地のひとつである東出雲町黄泉比良坂伝承地がある。
国道9号線を走っていると上り坂手前に黄泉比良坂の案内看板が見えてくる。その手前の信号を左に曲がると数分ほどで黄泉比良坂伝承地に到着する。
「あれ?」
黄泉比良坂伝承地の案内看板手前で、ぼくはふと目の前の光景を眺めていて前にどこかで見たことがあるなと感じた。そのとき、出雲さんがニヤリとした。
「気づいたかい? この光景に」
目の前には何の変哲もない小さなため池が広がっていた。その道路わきのため池はまわりが樹木で囲まれており、樹木の深い緑がため池に映っていた。
ぼくは、はっと気づいた。
そうだ、この光景はカーステから流れている小川俊彦さんの「リバーサイド・ジャム」のジャケットにそっくりだ。
出雲さんがジャケ買いしたのはこのためだったのか。
車の中ではちょうど「Love me」が流れていた。
「ただのため池のように見えても、こうやってBGMがあるとなんだか雰囲気が出てくるだろ」
そういわれてみると、今更ながら音楽は不思議だ。
音楽は心の中のいろいろな感情をそっとすくって目の前に差し出してくれる。目には見えないのに、そこには確かな感情の襞がくっきりと表れてくる。
なんの変哲もないように見えたこのため池が、音楽一つで美しいものに変わるように、おそらくぼくも出雲神話を深く知ることによって出雲の見方が変わるかもしれない。
ぼくは確かに今、出雲神話の入り口に立っていたのだ。
*
「イザナギ・イザナミの国生み神話を知っているかい?」と出雲さんが尋ねてきた。
イザナギ・イザナミの国生み
高天原で新しい国を造るよう命じられたイザナギとイザナミの男女神は天の浮橋に立ち、海中に矛を挿し、かき混ぜると於能凝呂島ができた。イザナギ・イザナミはその島に降り立って儀式を行い、次々と島を生んでいく。
はじめに淡路島、つぎに四国、隠岐島、九州、壱岐島、対島、佐渡島、最後に本州を生んだ。
八つの島が生まれたことから、これらの島々を大八島国とよんだ。 これが日本の国土のはじまりである。
ぼくもその話なら子供の頃に絵本で読んだことがあった。
「この神話に疑問を感じないかい?」
そういわれて、改めてこの神話について考えてみた。確かに、この国生みには違和感がある。それは誰しも思うことだろう〈たとえ専門家だったとしても)。
仮にぼくが「国生み」をするならどこから作っていくだろう?
そう考えると、この国生みの順番にはすぐ疑問が生じる。普通なら、本州を作るか、(また文化の発展を考えて、日本の地形を考えれば)九州をはじめに作るのではなかろうか。
それなのにイザナギ・イザナミは淡路島を一番最初に生んでいる。そして(順番にいくと次は四国というのはわかるが)四国がくれば次は九州を生むと思ったら、飛ばして隠岐島を生んでいる。この島の生み方を見ると、まるで、無作為に生めるところから生みましたといっているようなものだ。そういう意味をなさない国生みが神話にあるのであろうか?
率直な感想を述べると、出雲さんは満足したように、別の話をしだした。
「以前、因幡の白兎の話をしたよな」
因幡の白兎は我々が住む鳥取(昔の因幡)にまつわる神話で、大国主命を含む八十神達が因幡の矢上比売に求婚しにやってくるときの話だ。
「あのとき八十神達はどうやって因幡までやってきたと思う?」
どうやってやってきたかなんて考えたことなかった。神様達だから空を飛んできたといいたいところだが、これが史実を含んだ神話(出雲さんはそう考えている)だと仮定すると、歩いてくるには遠すぎるように思うし、そう考えると船か何かでやってきたのではないだろうか。
そう答えると、出雲さんはわが意を得たりという風に、こう言った。
「古代において、船はとても重要だったと思うんだ」
そのため、船を造る造船技術や船を操る操船技術が各地で発展していった。その発展の仕方がこの国生みの神話に関係しているのでは、というのが出雲さんの仮説だった。
淡路島は瀬戸内海に浮かぶ最も大きな島だが、潮の流れも比較的緩やかで操船技術を発展させるのに最も適していたのではないかということになる。次に四国がくるのはその流れで考えることができるが、九州は海流が複雑であり、それより隠岐の島のほうが出雲までの距離を考えると発展しやすかったのではということだ。最後に本州ができるのは、船の必要に迫られた島々のことを考えると、その発展の遅れは無理のないことだったのかもしれない。
ただ、これは出雲さんの仮説にすぎない。
いくら仮説に仮説を積み上げても、できあがったものがまったくの的外れなんてことはよくあることだ。
我々は黄泉比良坂の前に立っていた。
あれほど仲良く協力して「国生み」を行ったイザナギ・イザナミのことを考えると、この地はなんともやるせないものを感じてしまう。
そこは春の爽やかな風も届かず、深い森に陽光も遮られた不思議な空間だった。
*
「日本人は無宗教だとよくいわれるが、あれは嘘だね」
出雲さんは、そう断言する。
古代では人は死ぬと黄泉の国にいくと信じられていたらしい(黄泉の国とは死者の住むとされる地下の国のことで、死ぬとそこで暮らすことになるという)。だから神道は教義はないけれどちゃんとした宗教なのだという。そもそも黄泉の国の始まりはイザナギ・イザナミの別れから始まっている。
イザナギ・イザナミは次々と国を生んでいくが、最後に生んだ子が炎の神様だったのでイザナミは死んでしまう。イザナミの死を知り、残念に思ったイザナギは、黄泉の入り口に行き、イザナミに帰ってきてほしいと懇願する。
イザナミはそこまで言うのなら黄泉の神様に蘇えるようにお願いしてくるから、入り口のところで待っててくださいという。そして、その間、決して中を覗かないでくださいとお願いする。
待てど暮らせど、帰ってこないイザナミ。だんだん心配になってきたイザナギは、ついに黄泉の入り口を覗いてしまう。すると、そこには腐乱したイザナミが横たわっていたのである。
あれほど覗いてはいけないといったのに、イザナギが覗いてしまったことに怒ったイザナミは、黄泉の軍団を引き連れ追いかけてくる。逃げに、逃げた、イザナギは黄泉の入り口を大きな岩でふさいでしまう。
岩を挟んで相対したイザナギとイザナミは最後の別れの言葉をかけあう。
イザナミ 「あなたがこんなことをなさるなら、あなたの国の人間を一日千人殺します」
イザナギ 「あなたがそうなさるなら、わたしは一日に千五百も産屋を立てて見せる」
こうしてこの国では、1日に千人の人が死に、千五百人の人が生まれるようになったという。
あれほど愛し合っていた男女神だったのに、こんなことになるとはなんて哀しい話なのだろう。ぼくは素直にそう思った。ところが、出雲さんの考えは違うようだった。
「もし、イザナギがイザナミの言いつけを守り、黄泉の入り口を覗かなかったらイザナミはどうなっていただろう?」
神話はイザナギが黄泉の入り口を覗いたのでそこで終わるのだが、ひょっとしてこれは「黄泉がえり」の儀式だったのではと考えているという。人間はみな死ぬと黄泉の国にいくと信じられていたかもしれないが、神様ならどうだったのだろう。文献には神様が黄泉の国にいくとは書かれていない。それどころか、この世に現れて自由に活躍している。その後の代表的な神様であるスサノオ(もっともスサノオはお母さんのイザナミのところに行きたいといい、出雲にやってくるが、最後に留まるのは根の国だ)も、大国主命も、黄泉の国にいったとは書かれていない。
民俗学の分野では、イザナギ・イザナミの「黄泉の国」の神話は再葬を表しているのではと言われているという。
【再 葬】
遺体を土葬や風葬など何らかの方法で骨にした後、土器に納めて再び埋葬する葬法。縄文時代末期から弥生時代中期にかけて、東日本で発達した。再葬は考古学での呼称で、民俗学などでは複葬と呼ぶ。
つまり、イザナギが覗いてしまったのはイザナミの再葬の途中だったのではという見解だ。さぁ、どうだろう?
不思議なことに、この出雲では再葬の痕跡は見つかっていない。再葬は主に東日本で見つかっており、さらに付け加えるなら沖縄・奄美地方で昭和の初めくらいまで残っていた儀式だという。よって出雲では再葬は行われていなかったし、イザナギ・イザナミの黄泉の国神話が(出雲で起こった話とすればであるが)再葬に関係していたかどうかは疑わしい。
確かに、ぼくにとってはわからないことだらけだった。この現代に、黄泉の国を信じている人も皆無だろう(はたして信じている人が少しくらいいるのだろうか?)。それよりも、ぼくにはイザナギ・イザナミの哀しみがこころをうった。
イザナギがもし黄泉の入り口を覗かなかったら?
はたして、ぼくがその立場にいたら、覗かずに妻の帰りを待つことができただろうか?それだけは全く持って自信がないのだ、哀しいことに。
「男と女の間には越えることのできない深い川が流れている」と誰かがいっていた。
いつかその川を目にするときが、ぼくにも来るのだろうか?
*
ぼくらは黄泉比良坂を後にし、国道9号線を西に向かった。
途中、軽い昼食を松江で済ませた。松江は城下町であり、ぼくらが入った定食屋からも松江城がよく見えた。
西側には宍道湖が広がっていた。湖岸から見える夕日は絶景だそうで、かつての明治の文豪たち(芥川龍之介、志賀直哉など)もその光景を愛したそうだ(今回の旅では、残念ながらその光景を見逃した)。
車に戻ると、出雲さんにカーステのCDを入れ替えてくれと頼まれた。この旅のために新しく買ったもう一枚のCDがダッシュボードの中にあるという。いちいち、雰囲気を大事にする人だ。
「宍道湖を右手に見ながら、その音楽を走らせるにはちょうどいいと思ってね♪」
これまたジャケ買いだったそうで、なんでもアーティスト名だけは知っていて、車と海だったらこれと決めていたらしい。
アーティスト名は「ビーチボーイズ」
確かに車と海を歌わせたら、彼らの右に出る者はいないであろう。ただ問題は購入したアルバムのほうだった。出雲さんは、CDのジャケットが漫画のイラストで題名も楽しそうだったので選んだという。
アルバム名は「スマイル」
よりによって、数あるカタログの中からこのアルバムを選ぶか?というのがぼくの正直な感想だった。
ぼくはこのアルバムを聴いたことはなかったが、よく知っている。
高校生の頃、父親がもっていたCDをよく借りて聴いていたのだけど、その中でも好きだったアーティストが「プリファブ・スプラウト」。「レッツチェンジザワールドウィズミュージック(音楽で世界を替えよう、素敵な題名じゃないか♪)」が愛聴盤だった。
高校3年生の時に初めて付き合った麻里と、学校の帰りにこのアルバムをよく聴いたものだ。結局、麻里はストレートで東京の大学に合格し、ぼくはといえばご存じのように2浪してしまい、自然消滅するような形でぼくらの関係はあっけなく終わりを告げた。それでもこのアルバムを聴くと、今でもあの楽しかった日々を思い出し、胸の奥がキュッとしめつけられる。
このアルバムのライナーノーツをプリファブ・スプラウトのリーダー・パディ・マクアルーンが書いている。パディマクアルーンは若者だったころ、ビーチボーイズの失われたアルバム「スマイル」の物語に魅せられていたという。
結局、その当時未発表に終わった「スマイル」は伝説となり、数々のエピソードが後に残った。「スマイル」制作中のビーチボーイズのリーダー・ブライアン・ウィルソンに立ち会えた「ローリングストーン」の記者・トム・ノーランは幸運にも「スマイル」の断片を聞くことができたという。
ノーランは、彼の聴いた音楽について、こんな風に書いていた。
ギラギラと輝く太陽の光のような、しかしその一方で深遠な蒼い影も備わっている。あくびをする口のように大きく開いた蒼い洞穴、もしくは生い茂った蔦のあいだをよじのぼっていくかのごとく・・・
幸いにブライアンは困難を乗り越え、2011年(なんとその間、44年)に「スマイル」を完成させた。
おそらく、出雲さんは初期のビーチボーイズの「サーフィンUSA」や「ファンファンファン」、「アイゲットアラウンド」などの「夏だ、車だ、サーフィンだ!」といった軽快で陽気な音楽を想像していたのだろう。
しばらく「スマイル」を車の中で聴いていたが、だんだんと出雲さんの顔が曇りだし、アルバムの半分もいかないうちに「これは失敗だったな」とひとりごちた。
「スマイル」は断じて、失敗作ではない。どころか、世紀を超えた名盤の誉れ高い。ただ、確実にドライブミュージックには向かないのだ、残念ながら。
それにしても出雲神話の旅に向かうのに、なんてタイミングでこのアルバムを選んでしまったのだろう。出雲さんはもっているのか、もっていないのかわからない人だ。
ぼくらの目の前にもあくびをするような蒼い洞窟が見えているかのようだった。「スマイル」を聴きながら・・・。
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