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くやしくって泣きたくなる夜もある 

noteを読んでいると、ほんとうにいろいろな記事があると思わざるを得ない。

もちろん、みなさん好き勝手に書いているのだから、当たり前ながらいい話ばかりではない。ときとして、世の中を恨んだり、妬んだり、不平不満をさらけ出す文章にも出会ったりする。その気持ちはよくわかる。誰しもこの世の中に不平不満をもっていない人など存在しないであろう。

その昔、出雲神話が架空の物語だという学説がまかり通っていたころ、出雲神話に関する書籍(専門書は別として)はやたらに「無念」「絶叫」「葬られた」「恨み」といった文字のつく題名が多かったように記憶している。それはおそらく高天原から強引に国を譲りを迫られたと解釈されるからで、それについての出雲側からの恨み節が題名になっている気がする。

それではぼくも一人の出雲人として、そのようにこの国の成り立ちに不満があるかと言われれば、別にそんなこともなく(少しはあるかもしれないが)、天皇の正当性に文句があるわけでもない(万が一、あったとしても叩かれるだけであろう)。敗れる側にはそれなりの理由があり、勝つ側にもそれなりの理由がある。それが知りたいというだけのことだ。



出雲神話を調べていると、唐突に思いがけない事実に出くわすことがある。先日記事にした乙子狭姫(おとごさひめ)伝説についてである。

太古の昔、赤に乗って穀物を伝えた狭姫という女神がいた。狭姫の母神はオオゲツヒメといい、身体のどこからでも食物を出すことができた。あるとき、心の良くない神がオオゲツヒメの身体にはどんな仕掛けがあるのかと面白半分にヒメを斬ってしまった。

息も絶え絶えなオオゲツヒメは狭姫を呼び、「お前は末っ子で身体も小さい。形見をやるから安国へ行って暮らすがよい」と言って息を引き取った。と、見る見るうちにオオゲツヒメの遺体から五穀の種が芽生えた。狭姫は種を手にすると、そこにやって来た赤雁の背に乗って旅だった。

を渡って疲れた赤雁が高島(現益田市)で休もうとしたところ、大山祇(オオヤマツミ)の使いのが出てきて「我は肉を喰らう故、五穀の種なぞいらん」と狭姫を追い払った。続いて須津(現浜田市三隅町)の大島で休もうとしたところが出てきて同じように追い払った。

しかたなく力を振り絞った狭姫と赤雁は鎌手大浜(現益田市)の亀島で一休みして、そこから赤雁(現益田市)の天道山に降り立った。更に比礼振山(現益田市)まで進むと、周囲に種の里を開いた。神も人も喜び、狭姫を種姫と呼んであがめた。

ある日のこと、種の里を出た狭姫は巨人足跡に出くわした。土地のものに聞くと、大山祇巨人のことだという。巨人が迫って、土地の者は逃げ出した。狭姫も逃げ惑ったが、小さい身体ゆえどうにもならない。命からがら逃げ帰った狭姫だが、巨人たちがいると安国を造ることはできないと考えた。

赤雁の背に乗って出かけた狭姫だったが、とある山に空いた大穴からいびきが聞こえてくる。「そこにいるのは誰か?」と問うと、「自ら名乗らず他人の名を訊くとは何事だ」と返ってきた。声の主はオカミ(淤加美神)といって大山祇の子だった。恐ろしくてならない狭姫だったが、勇気を振り絞って、では直接お会いしたいと強い調子で申し出ると、オカミは「我は頭が人で体がだから神も人も驚いて気を失うだろう。驚かすのはよくないことだ。それより我が足長土に会い給え」と言って急に調子を改めてしまう。

狭姫は考えた。オカミはを降らす良い神だが、大山祇巨人と足長土[1]はどこかに追いやらなければならない。

赤雁に乗って国中駆け回った狭姫は三瓶山の麓を切り開いて巨人たちを遊ばせることを思いつく。

帰路についた狭姫は巨人の手長土に出会った。「夫はいるか?」と問うと、「かような長い手ですもの」と手長土は自らを恥た。「私も人並み外れたちびだけど、種を広める務めがある。御身にも務めがあるはず」といって、狭姫は足の長い足長土を娶せた。手の長い手長土と足の長い足長土は夫婦で力を合わせて幸せに暮らしたという。オカミは後に八幡の神と入れ替わって岡見にはいないが、今でも時化の前には大岩を鳴らして知らせてくれるという。

乙子狭姫の母神はオオゲツヒメである。

オオゲツヒメはスサノオが下界に降りたときに御馳走を差し上げようとしたが、鼻や口や尻から食物を出しているのをスサノオが見て「汚な!!」と怒りに任せて殺してしまった。

するとオオゲツヒメの頭からが生まれ、目からが生まれ、耳からが生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部からが生まれ、尻から大豆が生まれた。それをカミムスビが回収してタネとしたという伝説が古事記に記載されている。ということは、この石見地方に残る伝説の心の良くない神様とはスサノオを指すのであろう。

オオゲツヒメは死にそうになりながらも乙子狭姫に五穀のタネを手渡し、それを広めるように指示する。さすがは五穀豊穣の神様だけあって、おのれの使命に忠実である。

乙子狭姫の伝説を読むと、巨人の手長土と足長土を引き合わせたのは乙子狭姫だという。すると手長土と足長土にとって乙子狭姫は仲人にあたる。

先の記事にも書いたが、手長土と足長土の娘は櫛名田比売(くしなだひめ)。その夫になるのがヤマタノオロチを退治したスサノオである。

ということは、乙子狭姫が仲人した二人(手長土と足長土)の娘(櫛名田比売)と母神を殺した相手(スサノオ)が夫婦になったということになる。

その知らせを聞いた乙子狭姫はいったいどう思ったであろう。

そのことについては古事記も伝説もいっさいふれていない。しかしながら、何も語られていないということは、乙子狭姫はひとり胸の内にその思いを秘めて生涯を終えたに違いない。

当然、スサノオを恨む気持ちはあったであろう。しかし、それと櫛名田比売は関係がない。いい相手に出会えたと無邪気に喜ぶ手長土と足長土の知らせを聞いた乙子狭姫は寂しげに「おめでとう」の祝辞を述べたのかもしれない。

オオゲツヒメも恨みを乙子狭姫に伝えようとはせず、ただ自分たちの使命だけをつないだ。それを乙子狭姫が思い出さなかったはずはない。そこにこの二神の偉さを思うのである。

乙子狭姫は佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)に祀られている。


世の中の不公平を恨んだり妬んだりしそうになるときに、ぼくはこの神様達のことを思い出したいと思う。自分の使命に忠実だった神様の偉さはきっと誰のこころにも届くはずだ、そう思いたい。

明日も前を向いて、いきましょう ♪


こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。
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