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大きいからって、幸せとは限らない その2 -でも最後は、恥ずかしそうにほほえんだかもしれない-

 われらが出雲の神話上のヒーロー、八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)。「国引き神話」で出雲を建国したといわれる英雄神であるが、その実、生活は苦しかったのではないかと想像する。

 推定身長500mであることから、人々からバケモノと恐れられていたのではと推測した。なにせ大きすぎて背伸びしたら、山から顔が覗くのである。それは怖いでしょ。

 大きすぎて人里にも近づけず、歩くこともままならない、いわば軟禁状態のような生活が続いたことだろう。

 そんな生活が楽しかろうはずがなかった。

 本来なら、不当な扱いに怒ってしかるべきだ。なんといっても推定身長500m、怒りに任せて暴れれば、ものの数分でこの出雲の地は破壊されたであろう。ゴジラも真っ青である。

 ところがそんなことは起きなかった。

 おそらく、よほど幼少期からしっかりとした教育を受けていたのであろう。

 父親というのは社会性を気にするもので、ひょっとしたら八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)を忌み嫌っていたのかもしれない。

 そうなると、やはり生みの親、母親が偉かったのではなかろうか。

 「お前が大きいのは、きっと世の中で役立つことがあるからだよ」と寝物語によくよく聞かせていたかもしれない。ひょっとすると八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)の身の回りのお世話や教育は母親が行っていたのではなかろうか。


 そして、青年となった八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)に運命の日がやってくる。

 
 「国引きの大事業」である。

 この「国引き神話」であるが、事実であるなら、かなり強引なことをしている。いくら余っていたからと言って、他国の領土をとってきていい法律はないであろう。

 おそらくそこには両者合意みたいなものがあったのではなかろうか。

 つまりは4つの国は出雲と合併(合体?)価値があるとみていたのではなかろうか。


 さぁ、八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)の出番である。

 いつもならバケモノのような扱いをしている里のみんなも、今日ばかりはやんやの歓声だ。

 「ヤツカミズ、ヤツカミズ、ヤツカミズ」

 八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)が力を込めて、島を引っ張るたびに大声援を浴びる。

 生まれてから一度も人間から声援など受けたことがなかったであろう
八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)は、おそらくすべての力を出し切って4つの島を引いてきたのではなかろうか。

 人間というものは、強欲なもので、一度の偉大な功績も、いつかは忘れ去り、またバケモノ扱いをするようになってしまうもの。

 推測ながら、八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)は国引き後、最後の力を振り絞り、息を引き取ったのではなかろうか。

 そして、八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)の業績は神話となった。

 八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)の性格がどのようなものだったかは定かでない。

 しかしながら、出雲には伝説の地が残されている。

 国引き後、意宇の杜に杖を突き立て「おえ!(終わった)」と感激の叫びを漏らした。「出雲国風土記」はその声を記念してその地を意宇郡としたと伝えている。

 さらには、国引きの記念碑ともいうべき意宇の杜について、出雲国風土記によれば「郡家の東北のほとり、他の中にある小さな丘がそれであって、周囲が14mばかりあり、上に木が茂っている」と記す。

意宇の杜


 推定身長500mの八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)からしたら、なんて小さい記念碑であることだろう。

 しかし、そういうところが八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)という神様の人柄を示しているような気がする。

 八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)からすれば、つまようじの大きさにもならないほどのこの記念碑であるが、おそらく八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)は満足そうに笑っていたのに違いない。少し恥ずかしそうに、顔を赤らめて、この小さな記念碑を建てた姿がいじらしい。

 我々、出雲人はそんな八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)を決して忘れない。


愛すべき大きすぎた好漢

     八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)よ

  永遠(とわ)に


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