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間違っていたら、素直にあやまる

小学6年だったか、中学1年だったか忘れたけれど、その頃レベッカが流行っていた。

アルバムを買うほどではなかったけれど(すいません)、売れていたのでよく耳にした。その頃、仲良かったEくんと学校でよく音楽の話をして盛り上がっていたけれど、あるときレベッカの話になった。

Eくんがこないだ1位を取ったレベッカのアルバムは何枚目のアルバムだろうという話になった。アルバムタイトル名は「レベッカⅣ」。馬鹿な話であるが、馬鹿なぼくらはⅣの記号が何なのかわからなかった。よってぼくは3枚目だったような気がすると答えると、Eくんは「いや、4枚目だろう」といってのけた。

幼かったぼくらはそんなくだらないことすら、ちょっとした口論に発展する。今から考えると、あとで調べればいいだけのことであるが、そのときは口論に興奮しているので、そんな場合ではない。結局、家に帰って調べてみると、確かにEくんのいう通り4枚目であることが判明した。

次の日、学校に行くとEくんが自慢げに「どうだ俺のほうが正しかっただろう」といいよってきた。Eくんが正しいのは正解なのだけど、どうにもその言い草が鼻を突き、「うるせぇ、馬鹿野郎。そんなくだらないことはどうでもいいんだよ」と突き放し、また小競り合いになった。

いや、今考えてもお恥ずかしい話である。自分が間違っていたのだから、ごめんねと謝ればいいだけなのに、その誤りを認めることができないのだ。情けない話である。

信じられないことだが、Eくんとはその後、口を利かないままクラス替えとなり、ぼくらの小さな友情は元通りに戻ることはなかった。なんて愚かな話だろうと思うであろう。そうなのだ、愚かでばからしいことばかりが積もり積もって今のぼくを作っている気さえする。



そう考えると、梅原猛さんは偉かったなとしみじみ思う。

かって出雲神話は架空の物語といわれていた時代があった。出雲神話ばかりか日本の神話そのものも全くのフィクションと考えた津田左右吉の説が有力視されていた。さらに梅原猛さんの「神々の流竄」が発売されると「出雲神話は大和に伝わった神話を出雲に仮託したものである」という論調もあり、出雲神話は架空の物語として歴史の隅に追いやられた。

しかし、御存じのように1984年の神庭荒神谷遺跡の青銅器群の発見によって、出雲神話はにわかに現実味を帯びてきた。その後、加茂岩倉遺跡の銅鐸群の発見や、出雲大社の宇豆柱の発見などが重なり、今では出雲神話をただの架空の物語だと主張する人は少なくなった。

すると、梅原猛さんは後に自説を改め、「葬られた王朝 -古代出雲の謎を解く-」で出雲神話を見直す作業を行った。

学者というのは自説に固執するあまり、ときに道を外すことも往々にしてあるが、さすがは梅原さん、誤りは誤りであると訂正し、自らその誤りを正した。偉いとはこういうことを言うのであろう(ぼくと違うところだ)。



さて、考古学的発見は毎年のようにあるわけだけど、2000年に別な意味で驚くべき事件があった。

藤村新一氏の旧石器捏造事件である。

発見効率のあまりの良さや発見の様態が不自然であるとする意見、藤村をはじめとする東北旧石器文化研究所の「業績」への疑義等は元からあったが、学会では少数派であり、考古学界はこうした意見をほとんど軽視、または傍観してきた。藤村が所属する団体の調査結果に疑念を抱く考古学関係者もいたが、そのことを指摘する人は少なかった。
発掘現場での藤村の不審な行動に疑念を持った人からの情報提供に基づき、毎日新聞北海道支社がチームを編成しての取材に着手した。発掘の現場に張り込みを行い、藤村があらかじめ石器を遺跡に埋め込み仕込んでいる様子の写真・ビデオ撮影に成功した。その後、本人への直接の取材と捏造の確認を経て、2000年11月5日の朝刊で報じた。それが発端となり、それまでの業績のほとんどが捏造であることが判明し、日本からは確実といえる前期・中期旧石器時代の遺跡が消滅した。このため、過去四半世紀に及ぶ日本の前期・中期旧石器時代研究のほとんどが価値を失い、周知の遺跡(埋蔵文化財包蔵地)の抹消・検定済教科書の書き直しなど、多大な影響が生じた。彼が捏造にかかわった遺跡は宮城県が中心であるが、調査の指導などで呼ばれた北海道から関東地方まで広い範囲で捏造を行っていた。

ウィキペディア「旧石器捏造事件」より

これはすでに研究というものではないけれど、学者が自説に固執するあまりに起こした悲劇としか言いようがない。



今日の新聞に「最古の文字 実は油性ペン」という見出しが載った。

松江市の田和山遺跡で出土した弥生時代中期後半(紀元前後)の石製品の「国内最古の文字」説がある黒い線について、岡見知紀奈良県立橿原考古学研究所主任研究員らが、ラマン分光分析で、油性ペンのインクだったと結論づけていたことが8日分かった。遺物整理の際に誤って付いた可能性があるという。10日に千葉大(千葉市)で開かれる日本文化財科学会で発表する。

福岡市埋蔵文化財センターの久住猛雄文化財主事が、石製品は「板石すずり」と判断した上で、裏面にある黒い線は縦書きの2文字で、上は「子」、下は「戊」などで、国内最古の文字の可能性があると2020年に学会で発表していた。

もちろん、この話題は捏造という話ではない。ほとんどうっかりミスに近い。しかし、この論調だけを見た人は、なんだ田和山遺跡はたいしたことないじゃないかと思うのではと心配だ。「板石すずり」に最古の文字が書かれていようが、書かれていまいが、田和山遺跡の価値になんら変わりはないのである。

Eくんとの苦い思い出を思い出してしまったが、ここはしっかり謝罪して前に進んでほしいものだ。そのためにはぼくもここで一肌脱ぎたい。

うっかりミスして、すいませんでした m(_ _)m


まぁ、ぼくが謝罪したところで、なんの影響もないであろうが・・・



今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

「板石すずり」に最古の文字はなかったけれど、田和山遺跡の価値にかわりわありませぬ。

ぜひ、一度お越しの際は田和山遺跡に足を向けてください。

お待ちしています ♪



こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。
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