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みなさんは出雲四大大神をご存知でしょうか

 出雲には「大神(おおみかみ)」と呼ばれる神様がいらっしゃるのをみなさんはご存知でしょうか。

 古代の地理誌である『出雲国風土記』にその「大神」の記述があります。

 『出雲国風土記』では「大神」と名のつく神様が4人いらっしゃいます。

 佐陀川を遡ったところにある佐太神社の神様・佐太大神。

 意宇川を遡ったところにある熊野大社の神様・熊野大神。

 飯梨川を遡ったところにある能義神社の神様・能城大神。

 そして、海に向けてモニュメントのように建てられたのが出雲大社の神様・所造天下大神(あめのしたつくらししおおみかみ)である大国主命です。

 これまで出雲大社について詳しく述べましたので、今回は能城大神に注目してみましょう。

 小さな小山の頂上に建てられている能義神社。

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 祭神は天照大神の第二子、天穂日命。

 天穂日命は國土奉還の使者として高天原 より大國主大神のもとにおいでになり、大きなご功績を挙げられ た、大神のご祭主としてお仕えされた神様で、出雲國造家の 御祖神です。

 朝廷の御尊崇も殊に篤く、「六國史」には 数度にわたって神階を授けられた記事を見ることが出来ます。

 又、社殿も古雅広壮であったと伝えられていますが、永録六年(一五六九年) 天災で焼失、慶長十八年(一六一三年)堀尾氏の御造営以来十一回の 御遷宮を経て今日に及ぶ、大社造りの古社であります。

 出雲大社、佐太神社、熊野大社と比べると、正直、能義神社は社殿の豪華さという点では見劣りします。

 しかし、歴史を眺めてみると、能義神社のある広瀬町は中国に覇を唱えた尼子経久の難攻不落の居城である月山富田城も後方に控えています。

勿論、尼子十勇士の一人・山中鹿之介の伝説は今も語り草です。

 さらにいうならば、今では海外でも有名な日本一の庭園をもつ足立美術館もこの土地の重要な観光名所になっています。

 それを考えると、能義神社の能城大神がこの地に鎮まったのは、歴史的に見ても先見の明があったとも言えなくもありません。ぜひ、皆さんも観光のついでに訪れてはいかがでしょうか。


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