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小説 ⒈「猫」

 街の喧騒。
 僕は今、渋谷のスクランブル交差点を見ている。沢山の人が交差し歩いていく。何をしているのかわからない人たちばかりが歩いている。ここにいるみんな仕事をしているんだろうか。平日の昼間にはこんなにも沢山人がいるんだ。
 この交差点を中心に地球は回っているみたいだ。
 学校を休んで良かった。こんな所が世界の中心だったなんて、そんな事皆んな知らないんだ。
 スマートフォンに着信が入った。画面を確認する。もちろん母からだ。わかってる。また後で連絡する。今は少し地球の渦の中にいさせて欲しい。
 それにしてもリュックが重い。どうしてこんなにも重くなくちゃいけないのか、だれなら教えてくれるんだろう。Switchの分の説明はいらない。他、他の全ての説明がほしい。
 スマートフォンに着信が入った。父からだ。でる訳にはいかない、でたらもう終わりだ。目の前の景色や色、音、全てが変わって聞こえるんだ。人々の喧騒が、耳を目を塞ぎたくなるものになる。
 今はこうして目を開き、耳を澄ます事が出来る。僕はこうして世界を見ることが出来ている。その事に時間を費やしてもいいと思う。僕の時間なんだから。
 そう思うよね、お母さんもお父さんも。
 悪い事なんてしない。ただ学校をさぼって、少し都内へ出て、歩く人たちを見ているだけなんだ。ただそれだけ。帰ってどう説明したらいいんだろう。どうしたら信じてもらえるんだろう。
 猫が一匹。
 スクランブル交差点を人と同じように背筋を伸ばして歩いていく。足取りは結構速い。前足と後ろ足がクロスするから何本にも足が見える。僕は猫の速さにつられて後を追いかけた。
 人と人との間を猫はするすると前にいく。僕の方が人とぶつかる。ぶつかっても謝らない。猫を見失うから。それだから僕は急いでいる。風を装って猫を追う。
 猫は暗い路地に入っていく。蛍光灯で光る文字盤。真っ黒な排水溝。薄汚れた壁。渋谷なんて来たことがないから帰れるのか不安になる。スマートフォンの充電はあるから帰りはなんとかなるはず。
 行く角行く角を曲がる猫。目的地が明確なようで、僕は猫を絶対に見失いたくなかった。
 でも、猫は突然消えた。
 僕は一人、真っ黒の中に立っていた。
 気がつくと、上の方から一本の光が落ちているのが分かった。この光がどこから落ちているのか探してみたけれど特定出来なかった。
 猫は、この光に吸い込まれたのかと思うほどに美しい光だった。その中へ手をやると焼けるように熱かった。
 そう、これだ。僕が求めていたのはこの熱い光なんだ。猫なんかじゃない。そう思い前を見ると、建物と建物の間からさっきの猫の影と、後をついていく子猫の影が通り過ぎていった。

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