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バカだと思っていた奴の方が、物事の核心を捉えていた件【自信マガジン】

ちょっと気になった記事を見つけたので一筆書いておこうと思う。じつに日本人の愚かさを言い表したタイトルである。

いちいち質問する人は果たしてバカなのか?

「いちいち」と頭に持ってくるのがまたイヤらしい。確かに、本当にバカで作業内容や仕事の意義が理解出来ないケースもあるだろうが、それと同時に、もっと賢い人や思考停止に陥ることのなかった人もまた、同じことを言うのである。「それ意味ありますか」?と。

責任者不在なのに黙って責任を押しつける社会

そもそも、本当に可愛そうな頭の人は除くとして、「いちいち」突っ込まれる側に問題があるのでは?と私は常々思っている。

日本の前例主義というのは、思考停止した人らにとっては都合がいいのだろう。誰も何ら決断もせず責任を取らなくて済むからだ。
しかし、これは極めて卑怯なシステムではないかと私は思う。

およそ仕事とは、誰かが責任を取ってくれる、あるいは自分が責任を取る、という前提で成り立つものである。誰も責任者がいない、というのは、本来ビジネスではあり得ないことだ。
しかし、責任者不在のまま、誰もがリスクを背負わされている。しかも、そのことについては隠されたままだ。
これは、労働者にとって非常に不誠実であり、また自覚しない労働者もたいがいなのである。

目的を教えてもらわないと困るADHD

私は時折公言しているが、ADHD(診断済み)である。そのためなのだろう、「その行為にはどんな目的があるのか」が分からないと、行動出来ないことがある。そして、目的が分かったら、今度は「目的のために行動を最適化」する性質がある。
これは、目的が分からないと、健常者と同じように思考・行動しにくい自分が困るからであり、目的が分かると、自分がやりやすいように最適化出来るからである。

およそ健常者は、皆と同じようにすればいい、と考えがちだが、我々は健常者とまるまる同じように、考えることも動くことも感じることも出来ないので、自分用にカスタマイズした手段や思考方法、道具が必要になってくる。これを意識出来るようになったのはつい最近のことだが、子供の頃から意味を知りたがるのは障害のためだったのだと思う。

それは、過去に誰かが決めたこと

さて話を戻すが、「いちいち聞くやつはバカ」と考える多くの日本人は、実は全ての常識・方法・行動が「誰かが過去最初に考えたもの」であることを知らないか意識したことがない。

なぜ? となんら問うことのない人生を「何十年」と続けてきた生物なのだ。問うことが「悪」と教えられてきた。
これが「賢い人間」のあり方だろうか?
誰かが決めたことに何ら疑問も抱かず、社会は未来永劫なんら変化することがないと信じられる人間が、人たり得るのだろうか?

社会は刻一刻と変化する生物のようなものである。その上に我々小さき者が乗っかって生きている。
思考なき生物は、別の生物や、乗っかっている社会という大きな生物に飲み込まれても文句は言えない。

考える人を排除した社会の末路

だが、そんな思考停止した人のような生物が、さも自分が考えているかのように振る舞い、「本当に考えることの出来る人」を「異端」として排除、処分しつづけている。
実に腹立たしいことである。

最後に、このマガジンシリーズのタイトルである「自信」に絡めると、こんな社会だから自信が育たないのだ、と記して結びたいと思う。
「自信」とは、己自身の思考から生まれるものだからだ。


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