どんぐりの想い出(幻のゲーセン)

※熱く語ってしまったので、久しぶりに「投げ銭」にしてみましたが、全文無料で読めます。

 「どんぐり」と言ったらゲームセンターだ。
 高校時代の三年間で一番通っていたゲーセンと言えるだろう。
 今でも年末年始に集まって飲む高校時代の友人二人と、そりゃもうバカみたいに通った、謎のゲームセンターの店名だ。

 ああ、まずは「その頃」について簡単に説明しておいたほうがいいよね。
 『ストリートファイター(Ⅱじゃないよ)』が、まだなかった時代――。
 いわゆる「格ゲー」以前のゲームでゲーセンが賑わっていた時代――。
 家庭用ゲームといえばファミコンで、パソコンゲームは(超高性能の高価なパソコンならどうか知らないが)我が家にあったFM7とかでは、ゲーセンのゲームと比べたらとても相手にならなかった時代――。
 ゲーセンのラインナップは「ドルアーガの塔」とか「ゼビウス」などの「ゲームセンターで攻略法を共有するスタイル」のゲームが全盛期だった頃から、少しずつ様々な新作に切り替わりつつある時代――。
 ただし、店によってはもっと古いビデオゲームも、ピンボールマシンなども普通に現役で隣に置いてあった時代――。

 そんな頃に、僕らはゲームセンター「どんぐり」と出会ったんだ。

 でも、いくらネットで検索しても、Twitterでつぶやいてみても、なかなか「どんぐり」を憶えている人は見つからない。
 もしかして、そんなゲーセンなんか無かったんじゃないかって思えるくらい、何の反応もない。
 前述した高校時代の友人たちも、普段の生活ではSNSはほとんどやっていないらしい。どんぐり世代のネット人口は、案外と限られているのかも知れない。
 僕の体感でしかないが、30~40代前半の人に比べるとSNSの利用率はグッと減ると思う。仕事や趣味、買い物、最低限の情報収集などでネットを使いはしても生活の一部になってはいない――という人が多い気がする。
 だから、ゲームセンターどんぐりについて憶えている人が、いちいちネットで語ったりはしないんじゃないか? なんて思えてくる。

 だけど、あの奇妙なゲームセンターは確かにあったんだ。
 「頭の中で思いついたやくたいもない事柄を実在するかのように語る」ってのが、今の僕の主な仕事なんだけれど、こればっかりは勝手な空想の産物じゃあない。本当に存在したんだよ。ゲームセンターどんぐりはね。

 場所も具体的に教えよう。
 稲毛区の穴川十字路のそば、高台の縁の辺りにどんぐりはあった。
 穴川十字路は高校の通学路だったから、学校帰りに自転車を押して陸橋の階段を上がっていけば、すぐに寄ることができた。

 けれど、僕が大学生になって長野県で数年過ごして千葉に帰ってきたころには、もうどんぐりはなくなっていたと思う(まだあったのに、僕らが行かなくなったってだけかもしれないけど)。
 そして、どんぐりの跡地には美味いと評判の渋くて小さな蕎麦屋さんができて、今ではその蕎麦屋さえもなくなり、その後どうなったのかは確認していない。
 どんぐりは3LDKぐらいの古い平屋を改造したゲームセンターだった。床板もボロボロで、穴を板で塞いであったりした。壁には色々なことが書かれた紙がベタベタ貼られていた。
 入ってすぐの、かつては店だったと思われる広めのスペースにメインのゲームが並び、奥の右側の小部屋にもいくつか筐体が置かれていたと思う。もっと奥にはトイレがあった気がする。
 どこもかしこも、基本、ボロボロだ。
 駅前の明るくこぎれいなゲーセンとも、街のビル地下の薄暗いゲーセンとも違う、日の光が差し込み夕方は自然と暗くなる「こんなバラックみたいなところに、どうしてこんなにたくさんのゲームが置かれているの?」というゲームセンターだ。
 当時の僕は、どこのゲーセンだろうと「ゼビウスがあれば満足して遊んでいられる」というハマリ状態だったので、部屋のボロさは関係ない。他のゲームもするけど「ゼビウスがあるかどうか」が、かなり重要だった。
 そして、どんぐりにはゼビウスがあった。まあ、バトルスだったけどね。

 ボロボロだったのは「空き家(廃屋?)にしておくのは勿体ない」とかいう理由で「どんぐりのおじさん」が半ば趣味でゲーセンをやっていたからではないか……と今では思っている。
 どんぐりのおじさん、何歳ぐらいだったんだろう。腰につけた筐体の鍵束をジャラジャラさせてウロウロしたり、ボーッと座ってたり……。
 口べたで一見無愛想なんだけど気さくな感じというか。
 高校生の僕らは、どこかおじさんをバカにしていたと思う。

 そう。
 ゲームセンターどんぐりが、他のゲーセンと決定的に違ったのは、この「どんぐりのおじさん」の経営方針だった。
 ここには、ゼビウスがある(バトルスだけど)だけでなく+αの「怪しい魅力」があった。
 頭の使いようで、100円あれば何時間も遊んでいられる……いや、その気になれば一銭も使わなくてもゲームができた、というべきか。
 どんぐりには様々な「特殊ルール」があって、それをクリアすると、おじさんが鍵をジャラつかせて筐体を開け、クレジットを追加してくれたんだ。

 どんなルールがあったか、憶えているかぎり挙げてみよう。

おじさんの前で「教育勅語」を暗誦できると、好きなゲームを5クレジット(だったと思う)分、追加してもらえる。
 すごいよね。壁にベタベタ貼ってある紙の中に教育勅語もあったんだ。
 進学校の高校生にとっては、短期間での暗記なんて楽勝だからね。
 まあ、何度もやって「君、この間使ったろ」とか言われてた人もいたと思うけど。

●おじさんに「発明のアイデア」を告げる→内容に応じて数クレジット
 
なんだか知らないが、おじさんは特許で儲けることに情熱を傾けていたらしい。なにかとそれっぽいアイデアをプレゼンする中高生……って、このルールを活用していたのは、僕らぐらいだったかもしれないけど。
 一生懸命プレゼンすると、努力賞的に1回ぐらいゲームができたからね。

●ガチャガチャをやると中に字が書かれた紙が入っていて、数クレジット
 10円のガチャガチャの筐体が外にあって、カプセルの中に入っている紙切れの内容に応じて数クレジットを追加してもらえる――というルール。
 回数が書いてあるわけではなくて、謎の暗号のようなものが書いてあった。僕が覚えているのは「コマ」と書かれた紙。「これなに?」って見せたら「ああ、コマは●回だな」と即答された覚えがある。

 他にも、麻雀ゲームの勝ち分やコインゲームのコインも他のゲームのクレジットにできたような気がするけど、これには手を出さなかったので、ちゃんと憶えていない。

 受験が近づいて、あまりゲームセンターにも行ってられなくなってきた頃の末期のどんぐりでは、おじさんに提案して自作のパソコンゲームを導入する人とかまで出ていた(この辺の人は、知り合いではないけど)。
 なんかジャンケンのゲーム。筐体まで作っていたような……。
そんなのを見ていて「あ、なんかヤバいな。おじさん騙されてんじゃないのかな……」なんて思ったりもしたけれど、すごく楽しそうにしていたのを憶えているよ。

 今にして思うけど、ゲームのクレジットをご褒美に色々なルールを作って子供らから話しかけてくるように仕向けていたのは、おじさんがみんなと楽しく過ごしたかったからなのかなあ……。そんな気がする。
 しかし、「ここは危ういって。なにかヤバイだろ。大丈夫か?」という思いが常につきまとうゲームセンターだったのは確かだ。

 え? ぜんぶ空想だろうって?

 違うってば。

 どんぐりは実在したんだよ。

 本当だよ!

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