カナンの小さな神話1

 魚になった叔父と甥・その1

 さあさあ子供たち。
 みんな集まったか?
 よしよし、それじゃあムング(神々)の話を始めるとしようか。

 昔々、まだ、あの旅の紙芝居師プカプカ(※1)がムングの絵札を作りながら旅をしていた頃のこと。ゴヌドイル河の岸辺の村に、蟹採りを生業にしていた漁師が住んでいた。
 漁師は蟹を捕まえるのが大そう上手で、毎日のように小さな船で漕ぎ出しては、川底の蟹をごっそり捕まえてきた。ほれ、あの大きくて茹でるとほっこりとして美味しいゴヌドイルの川蟹をさ。
 漁師の蟹採り船は兄からの借りものだったのだが、あるときその兄がはやり病で死んでしまった。すると、兄の一人息子がやって来て、船を返せと言い出した。この甥は、兄の家を飛び出して、ドゴンドッチの裏路地で博徒をしているような奴だ。困った漁師は「なあ甥っ子よ、お前さんには用なしの船じゃあないか。叔父さんに貸しといておくれ」と頼んだ。
 ところが甥は「いやいや、叔父貴、あれは親父の形見の舟だ。すぐに返してくれ」と、頑として譲らない。
 やくざ者の甥のことだ、どうせ売っ払って酒代にでもするつもりだろう……そう思うと漁師もいつになく声を荒らげ、激しい言い争いになった。あまりに大声でどなりあったので、村人たちが仲裁に入ったほどだ。
 さて、揉め事が起こったら、今も昔もすることは変わらない。二人は村にあったゾラ神の神殿に申し出て(※2)、神人の立ち会いのもと、交互に言い分を訴えることになった。
 まずは漁師が、自分には舟が必要なこと、そして甥の横暴を訴えた……そうさな、こんな具合にだ。
「女神様、女神様、この甥はろくに風呂も入らない汚い男で、心はもっと薄汚いのでございます……」
 だが、ここで甥が懐から短刀を抜いて漁師の背中に突きつけ、叔父に耳打ちした。「叔父貴、その汚い男ってのは、あんただろ」とな。まったく悪い奴だ。それから、甥は大声で訴えた。
「いえいえ、風呂に入ってない汚い男はこっちの叔父の方です。そうだな?」
 漁師は刺されてはたまらんと思い、しかたなく答えた。
「ああ、そうです、女神様。風呂に入ってないのは私でした」
 とたん、ゾラ神の声が神殿に響いた。
<私に嘘をつくとは何という恥知らずの人間どもでしょう。二人とも、水にもぐって反省なさい>
 ラッハ、マク!(※3)
 ゾラ神の怒りはすぐに力となり、叔父と甥は、あっという間に、神殿の床でピチピチはねる銀の鱗の小魚(※4)に姿を変えられてしまった。悪いのは脅した甥なんだが、神様にゃ理屈なんか通用しないからなあ。
 女神のお告げに従い、神人が二匹の魚をゴヌドイル河に放すと、魚たちはてんでに違う方向に泳いでいった……。
 さて、今日のお話はここまで。
 続きは明日のお楽しみだ。

(注釈)
※1:伝説の女流紙芝居師。少女時代から、人の世に現れた神々の姿を絵にするため旅をしていたという。貧しい放浪絵師の彼女が小さな札に描きためた絵が『ムングの絵札』の発祥と言われている。『ムングの絵札』は色々な神が描かれた小さな四角の紙片のこと。札遊びだけでなく、占いや神事に使われる。紙片の種類や枚数は地方や神殿によって異なる。
※2:貴人や土地の有力者が裁くこともあるが、村人同士の争いは神殿が裁判所を兼ねるのが一般的。両者が合意すれば、どの神殿でも構わない。その神様に「どちらが正しいか」を尋ねることになる。
※3:日本語で「くわばら、くわばら」くらいの意味。年寄りがよく使う。
※4:恐らく『モレ』という、マスに似た淡水魚の稚魚。成長に応じてゴヌドイル河を回遊する。美味。


----------------------

 魚になった叔父と甥・その2

 さあさあ子供たち。
 みんな集まったか?
 よしよし、それじゃあムング(神々)の話の続きをしようか。

 叔父の魚は、ゴヌドイル河を下っていった。
 そうしてぽつぽつと泡をはきながら己の身の上を嘆いていると、別の漁師が投げた網にかかってしまった。
 舟の上にぶちまけられた蟹採りの叔父は、口をパクパクさせてわめいた。「お前さん、昨日まで仲間だった私の腹を裂いてわたを抜き、焼いて食おうってのか? 血を抜いて市場に並べようってのかい?」とな。
 漁師はそれは驚いたが、蟹採りの気の毒な事情を聞くと、舟のそばを泳いでいれば安全だと言って彼を河に放してくれた。
 こうして叔父の蟹採りは、親切な漁師と一緒に暮らすようになった。彼は川底の蟹の居場所や採り方を教えてやったから、稼ぎがずっと増えて、漁師は大喜びだった。
 一方、上流へ向かった甥の魚はどうしたかというと、川底でバタバタ(※1)に食いつかれ、バサンの子ら(※2)に狙われ、ろくな目に合っていなかった。そればかりか、疲れ果てて水面に浮いてムングに悪態をついていると、岸辺で昼寝をしていたリュル神を起こしてしまった。怒ったリュル神は手を伸ばして甥をわしづかみにした。
<俺様の昼寝を邪魔するとは、ふざけた魚だ! 焼いて食ってやる!>
 自棄になっていた甥は大声で言い返した。
「なんて言い草だ、兄弟! 俺もドゴンドッチじゃ名の知れた悪党、今の今まであんたを崇めていたのに!」
 と、身の上を話して難癖をつけた。
 さてさて、困ったのはリュル神のほうだ。
<勘弁しろ、弟分。無理もなかろう。おまえは誰が見たって魚じゃないか。いや、おまえのくそ度胸に免じて人間に戻してやりてえところだが、俺ぁ、そういう技は苦手でな……>と、リュル神はしばらく考えて、やがてポンと膝を叩いた。
<ひとつだけ知ってるぞ。魚にされた者は、貴人の姫に触られると元に戻るんだ。でもよ、一緒になった魚と並べられたところで、先に触られた者しか戻れないんだ。とんだ博打だぞ、こいつぁ>
「なあに、賭け事ならお手のもの」
 と、甥はお礼もそこそこに河を下った。
 むろん、叔父を捜して元に戻るためだ。
 やがて漁師の舟を見つけた彼は、叔父に話を持ちかけた。貴人の娘に二人で触られてもとに戻ろう、と嘘をついてな。悪い男さ。
 蟹採りは魚の暮らしも悪くないと思っていたし、甥の話を疑ってもいたが、相棒の漁師が「出入りしている貴人の家に年頃の姫がいるから、そこへ二人を届けてやろう」と勧めるもので、とうとう重い腰を上げた。
 さて、漁師は笹の葉を敷きつめたテイナ篭(※3)に叔父と甥の二匹の魚を乗せて、貴人の屋敷を訪ね、主人に差し出した。「旦那様、今日は珍しい魚が二匹も網にかかりました。大変な滋養になりますし、姫様にいかがかと……」とな。
 すると、貴人は喜んで言った。
「活きがいいな、台所へ置いていけ」
 心配しながらも、漁師はテイナ篭を台所の目立つところにおいて帰るしかなかった。中の二人は苦しくて苦しくて、もう息も絶え絶えだ。
 そこへ、珍しい魚を見にお姫様が入って来た。
「あら、綺麗なお魚ね……」
 お姫様は細くて白い指を、つうっと伸ばして……。

 伝わっているのはここまで。
 昔々のお話だ。

 ああ、そうそう。
 夕餉には「一匹分の魚料理」が出たんだそうな。
 汚かったので、よく洗ってから料理したそうだ。
 マハ、スラー!(※4)

(注釈)
※1:ナマズの一種。大食い。美味。
※2:ここではゴヌドイルに生息するミサゴなどの魚食性の猛禽類を指す。
※3:テイナの蔓を編んだ篭。ザル。
※4:日本語で「くわばら、くわばら」くらいの意味。年寄りがよく使う。


【あとがき】
 このお話は、18年ほど前に、カナンを舞台にしたPBMを展開していたときに、毎月発行していたゲーム用の冊子に連載していたものです。
 けっこう乱暴な展開なのは、カナン用の色々な単語が書かれたカードをランダムに引いて三題噺の要領で創作していたからです。
 神話って、けっこう理不尽だったり、展開が無茶だったり、乱暴に終わるものがあるので、その辺を演出しやすいようにそうしていました。



テキストを読んでくださってありがとうございます。 サポートについてですが……。 有料のテキストをご購読頂けるだけで充分ありがたいのです。 ですので、是非そちらをお試しください。よろしくです。 ……とか言って、もしサポート頂けたら、嬉しすぎて小躍りしちゃいますが。