【短編小説】獣たちの衛星雨
その日人類はひとつのスペースフライトデータレコーダーを発見した。
***
「デブリ回収三号機鈴木より、目標のデブリに接近。これよりレーザー照射を行う」
――こちらISS管制室本田、承認した。
「デブリ回収三号機鈴木より、デブリの回転制御完了。減速してランデブー、その後ボックス収容作業へ移行」
――こちらISS管制室本田、承認した。
「デブリ回収三号機鈴木より、収納完了、当該デブリを大気圏に投下する」
――こちらISS管制室本田、承認した。
UZ宇宙戦争終結後、地球の衛星軌道上に漂うは大量のスペースデブリ(宇宙ゴミ)。
宇宙戦争とは名ばかりで、交戦していたのは地球上である。
ことの発端はZ国の軍事衛星が、U国の観測衛星を意図的に破壊。そして世界を牛耳るU国は経済制裁としてZ国との貿易を世界的に禁止せよと各国に働きかけZ国の経済は崩壊。
やけになったZ国はU国に対して武力行使。
U国は各国を指揮、即座に連合軍を結成した。軍事力を鑑みてもZ国単体でU国連合に勝てる見込みなどないと世界中の誰もが考えていた。もちろんU国側についた日本もそう考えていた。
しかし実際はZ国の軍事衛星によって、Z国以外の人工衛星を片っ端から破壊。
第9世代通信規格では、衛星なしでの情報交換、情報処理が困難である。
U国側はまさかこの時代になって旧世代の5G通信を行うなんてことは考えていなかっただろう。
戦争とはいつの時代も情報戦。Z国は自国の連携のみならず、U国軍事情報も衛星を通じて得ている。
古く、孫子の兵法で「彼を知り己を知れば百戦殆からず」とはよくいったのもので、通信、特に海上と空中の情報を制したZ国はその領域では無双状態。U国連合は歯が立たない。Z国は地上戦を避けるように戦っているあたり、まさしく危うからずといった戦略で少しずつU国の戦力を削いでいく。
焦ったU国は本来国際的に禁止されているバイオ兵器を秘密裏に投入し、Z国内部で感染症が蔓延。そこにU国連合が畳みかけU国連合の勝利で幕を閉じた。
戦争が終結した頃には破壊された人工衛星のデブリ同士が衝突を繰り返し、スペースデブリの数は十億個とも百億個とも言われ、その数は日に日に増える一方であった。
通信環境を復旧するため新たに人工衛星を打ち上げようにも、地球の衛星軌道上がデブリまみれになった現在では衝突リスクが高く、衝突して人工衛星が破壊されればデブリの数を増やすばかりになってしまう。宇宙開発は頓挫していた。
宇宙産業で遅れをとっていた日本であったが、デブリ除去に関しては先進的な技術を有していたこともあり、世界宇宙会議で日本がスペースデブリ除去計画のトップを担うことが決まった。
さながら宇宙の掃除屋。
――ISS管制室本田より、鈴木君お疲れ様。
「デブリ回収三号機鈴木より、本田さんお疲れ様です」
――次のデブリは少し後ろのやつだからスラスターで高度上げて待っててね。
「デブリ回収三号機鈴木より、高度いくつですか」
――あー、適当にやっといて。
「デブリ回収三号機鈴木より、本田さん、僕がデブリに衝突して死んだら呪いますよ。安全圏を教えてください」
――冗談だってば。今計算完了したところ、座標送るから。
「デブリ回収三号機鈴木より、了解」
球体に両アームが付いた形状のデブリ回収機に搭乗する鈴木は、投下したデブリが地球の大気圏で炎を纏い塵へと消えゆくのを横目に指定の座標へ搭乗機を操作し高度を上げて地球から距離を取る。
本日五つ回収予定である四つ目のデブリ除去を完了。宇宙空間、地球の中軌道から無数のデブリを鈴木は俯瞰。流れゆく目標の低軌道デブリが自機に追いつくのを待っていた。
――ISS管制室本田より全機へ、まずい! 大規模な磁気嵐に……って……が……離脱……。
宇宙天気予報でも予測の難しい宇宙災害、磁気嵐。これによってISSとの交信がノイズで埋め尽くされる鈴木機。
鈴木は自機の天窓からISSを目視すると、ISSはスラスターを地球に向かって噴射している。
ややあって鈴木の搭乗機も激しく揺れ、地球に引っ張られる。
焦った鈴木は汗が身体に纏わりつき、顔にもポツポツと汗が滲み出るが、大気の極めて薄い機内環境下では滴り落ちることはない。
鈴木機もISS同様に地球の重力に引っ張られぬよう、スラスター動作レバーを力強く握る。
汗の粒が狭い機内の空間に飛ぶ。それを手で振り払う反動で鈴木の目に汗が入り片目を開けられない。じきにもう一方の目も汗によって塞がれ、一時的に視力を失う。さらに汗は鼻の奥にまで侵入し鈴木の呼吸は激しさを増す。
そして、鈴木は過呼吸気味に意識を失った。
この日、人類は歴史上初めて自然の逆襲に震え上がる。
磁気嵐によって、地球の衛星軌道上に漂っていたデブリは、磁場が狂って一斉に地球へ降り注ぐように引っ張られる。まるで熱せられた真っ赤な鉄球が無数の雨となって地球を襲うように。
大気圏で燃え尽きるデブリもあったが、大型デブリは地球に降下し、あれだけ青と緑のコントラストが美しかった地球の緑は徐々に炎の赤に染まっていった。
地上は絶望的な状況。
海の青は然として表情を変えないが、地上では埃を巻き上げて茶が炎の赤と混ざりあい、血のような濃い赤が緑を飲み込むようにアースカラーを着色していく。
スペースデブリ、人という生物は地上を汚すことだけに飽きたらず宇宙空間にまでゴミをまき散らした功罪。人はこれをなんというのだろうか。天罰。あるいは宇宙という禁忌の領域にまで侵略しようとした、神からの制裁、か。
人は獣か、神そのものか。
いずれにしても因果応報。なるべくしてなった事実が、広い広い宇宙の小さな出来事として起こっている。
それだけのこと。景色。
鈴木は意識が戻り、磁気嵐から逃れたと安堵しているようだったが、すぐに青ざめた血相で横窓から視認できる混沌の地球に視線はくぎ付け。
鈴木は交信機のスイッチを手でまさぐって、オンになっていることを確認してISSへ応答を願うも反応がない。
それでも鈴木は諦めずに何度も声を出す。
「デブリ回収三号機鈴木より――。デブリ回収三号機鈴木より――」
繰り返すと、
――……S、生存者確…………るか。
磁気嵐による通信障害でノイズにまみれ聞き取りづらいが、ISS本田からの声が断片的に聞こえた。
「こちら鈴木! デブリ回収三号機鈴木だ!」
――すず……か……最後に…………せる。
「聞こえない! もう一度、もう一度言ってくれ」
その後交信が完全にノイズに支配されてしまう前に鈴木は本田と交信して、ひとつの情報を得た。
本田が最後生存者に伝えたかったこと、その一点のみ。最後の指令。
――死に方は自由だ。
本田は間違いなく、そう言った。
鈴木は機内で血に染まる地球を見つめていたが、どこか違うものを見ているかのように虚ろ。本当に地球を見ているのか、ただただ途方に暮れているだけなのか。
そうやって時間が過ぎた鈴木はひとり語り始めた。
「デブリ回収三号機鈴木、どうやら僕は死ぬらしい。だから、生き残った人類に向けて僕はできることをしようと思う。僕が今できること、それはこの宇宙空間から見たことを後世に伝えることくらいだろう」
交信機は自動録音となっている。
鈴木はもう、誰も応答することのないであろう無機質で冷め切った機械に語る。
「今宇宙空間から地球を見る限り、人類は生き残っていないのかもしれない。そして、このレコーダーが地球に届くことはないのかもしれない。宇宙が誕生し、地球が生まれ、僕ら人類が誕生した日。……もしもこの音声を聞いている人がいたならば、決して同じ過ちを繰り返してはならない。人は愚かだ。どうしようもなく……愚かな生き物だ。それは人類の歴史をもって立証されている。ただ、人は学ぶことができる、歴史から学び失敗しながらも時代を切り開いてきた。そしてとうとう僕らは宇宙空間にまで進出した。そして今、僕ら人類は大きな失敗をまた繰り返したのだ。この僕の声が何か後世に語り継がれるほどの代物になるかはわからないが、少なくとも僕は歴史に学び、こうやって夢にまで見た宇宙空間で生涯を終えることができる。こんな幸運なことはない、僕は無宗教だから神様仏様のおかげだなんて思わない。でも自分の能力だけでここに到達したと言うと違和感がある。それはつまり、間違いなく僕が観測し得ない未知の力によってここまでこれたと思っている。感謝するべきは家族か神か、その存在を考えることすら不遇で、今、この瞬間なにものでもない何かに僕は感謝を捧げたい。強いて感謝するべき対象をあげるとするならば、それは過去の人類が残してきてくれた歴史そのものかもしれない。だからまた僕も歴史の一部として生き続けたいと願うあまりこうやって語っているのだろう」
鈴木は三秒間沈黙を決めて、
「もう、終わりにしよう。さようなら」
そう告げると交信機のスイッチを切って、自分の終わりを、自分自身が見届けるように静かに衰弱していき、鈴木は機内で事切れる。
***
遠い未来。地球上、人類は生き残っていた。
そしてこの音声を聞いた人類はこう言った。
「やっぱり宇宙人は存在したんだ!」
電磁嵐により地球上に降り注いだ放射線は異形のものへと変わり果てた生物を生み出す。
四足歩行やら触手を生やした人類がそこらに佇んでいた。
(おわり)
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