【連載小説】オトメシ! 6.GDAというアーティスト
【連載小説】オトメシ!
こちらの小説はエブリスタでも連載しています。
エブリスタでは2024.1.9完結。noteより更新が早いです。
♢ ♢ ♢
――2023年4月16日
ねえ、いつになったら昔のお母さんは戻ってくるの。
これは私のせいなの。それともお父さんのせいなの。
ねえ教えてよ。ねえ。
♢ ♢ ♢
高瀬川邸にて、打ち合わせと称して俺と姫原が招集されていた。
……のだが、高瀬川の他に知る顔がもうひとつ。
「よお、五十嵐久しぶり! それにしても見た目変わんねえな。本当にもうアラフォーかよ」
「お前もたいして変わってねえよ、高瀬川が露骨におっさん化しただけだろう。……ってそんなことよりなんでお前がここにいるんだ!」
高瀬川邸リビングでテーブル前の椅子の背もたれにダランと腕を垂らして足を組んで座っているのは今在家キョウシロウ。
「へぇ、その子がサクヨウちゃんかぁ。動画で見るよりずっと可愛いね」
今在家は昔からプレイボーイ気質の強い、いわゆるチャラめの男だ。再会は十年ぶりくらいだろうか。
とはいえ、今在家も今では三児の父親で少しは節度ある大人の立ち振る舞いができているだろうと勝手に考えていたが、どうやらあまり変わっていなさそうだ。
「こいつは今在家、元ライディスのドラマーだ」と姫原に紹介すると「姫原サクヨウです、よろしくお願いします」と今在家に一礼した。
「はい、じゃあ皆座って」高瀬川が言い四者でリビングのテーブルを囲う。
先日話していた通り、俺にギターを弾かせようと高瀬川が今在家を口説いた結果、今在家がここへ来ているのは理解したが、それでも本当に今在家がまたドラムを叩くなんて了承したのだろうか。
今在家が結婚してからというもの、過去に何度か飲みに誘ったことがあるが仕事と子供の世話が忙しいってことで、ケータイの画面越しに文章でやりとりしていただけで実物を見るのは久しぶりだ。
今在家になんで今日来る気になったのかと、経緯を聞いていくと今在家は「オレ思うんだよ。あの時叶わなかった夢も無駄じゃないだろうってな。オレァ今小学校の先生だろ。そんなガキ連中見てても思うんだよな。ああ、オレァこいつらに次のバトンを渡さなきゃなって。だから普通にバンドやろうって頼まれるだけだったらオレァ今ここにいないだろうと思うぜ。でも、姫原さんの歌を動画で聴かせてもらって、高瀬川から五十嵐が『こいつの才能をここで腐らせてちゃダメだ』って言ってる。て、そう聞いた時にゃぁ、もうオレの指導者としてのプライドが黙っちゃいないぜ! そう思ったんだ」と言った。
「お前変わったな」
「そうか? オレァ昔から本質は変わっていないと思うぜ。男なんて大概そんなもんだろ」
確かに今在家はその言動からチャラチャラしているように見えるのだが、人のために尽くす仁義を持ち合わせている。そんな義理とか人情みたいな古い思想も大事にしているからこそ俺は今在家を尊敬しているし、今でも大切な仲間だと思っている。
高瀬川の思惑通りにことが進んでいくのはシャクだが、今在家まで協力してくれるとなれば、俺はもう一度ギターを構えた姿を彼らに見せるくらいの誠意は必要であろう。
姫原の楽曲をバンド構成に編曲した楽譜を高瀬川は予め作っていた。それを各自手渡されお膳立ては十分のようだが。
「なあ、それで俺がギター弾くみたいになってるけど、できるって言ってないからな」
「ここまできてそんなガキみたいなこと言うんじゃねぇよ五十嵐」
「いや、そうじゃない。俺は弾かないんじゃない。……弾けないんだ」
「どういうことだ」
今にわかる。
俺がギターを触って惨めな態を晒すのは不本意なのだが、ここまで姫原のために集結したライディスのメンバーにも真実の姿を見せなくてはならないだろう。
俺がずっと黙っていた秘密を。
高瀬川邸のスタジオへ入り、俺は迷わず青のストラトキャスターを手にした。
「やっぱ控えめに言って五十嵐はそのストラトだよな」
高瀬川は顎に手をあてて頷きながら言った。
「いつかこんな日がまた来るんじゃないかって、実はそのギター用意してたんだ」
それはこのギターを一目このスタジオで見たときから気づいていた。いつかまたバンド活動をやりたいと強く願っていたのは高瀬川なのだから。
各々が楽器の用意を始めたので俺はギターのストラップを肩にかけ、左手でフレットを抑えて右手でピックを持ってストロークする。
カカカカカカ。
音は響かなかった。
左手の震えが止まらず思うように弦を押さえることができないのだ。
俺の異変に真っ先に気づいたのは高瀬川だった。
「五十嵐、手が、手が震えてるのか」
「だから言っただろ。俺にもう音楽はできない」
ソレラが生まれた後、メイルがソロデビューして人気になっていくにつれて俺の左手は徐々にこの症状が出るようになっていった。バンド解散の理由として、ライブチケットが売れなくなったから、高瀬川と今在家が就職したから。ってのもあったが俺があの日解散しようと告げた日の一番の理由はこれだった。
俺にギターは弾けないし、歌すらまともに声が震えて出てこないからカラオケだってあの日から行くことがなくなった。
「すまない、高瀬川」
ああ、前にも俺、同じことを高瀬川に言った気がする――――。
***
「別に解散しなくても、社会人しながらでもバンド活動しているグループは多い。まだデビューの可能性はあるし、控えめに言って五十嵐にはその才能があると僕は思ってるよ」
高瀬川は解散に反対。
「オレァやっぱメイルなしではこのバンドが売れる未来はないと思うね。厳しいけど現実はこうだろう。オレたちも所詮青春時代に夢破れたサラリーマンであるべきで。きっとそれでいいんだ、もうオレたち大人だろ? そのくらいわかれよ」
今在家は解散に賛成。
「すまない、高瀬川。それに俺たちもう昔みたいに頻繁に会って練習もできなくなってきたし、新曲だってもうしばらく作っていない。あと、もう……そんな余裕がない。残念だが終わりにしよう高瀬川」
しばらく沈黙が続いた。
そして高瀬川は、言葉を絞り出すように語りだす。
「……わかった。でも僕は諦めない、いつかまたメイルも含めてライジングディストーションとしてステージに立てる日を待ってるよ」
言う高瀬川の目は潤んでいた。
高瀬川が本当はここで絶対に解散したくないと強く主張したい気持ちが誰よりも強いことは理解しているよ。それでも自分の意見を押し殺してまで解散を承諾してくれたのは感謝する。
高瀬川……本当に申し訳ない。
俺はソレラに母乳のひとつもあげられない。しまいには手が震えてまともにギターも弾けなくなってきている。今の俺にできることなんてもう何ひとつ残ってなんていないんだ。
今までずっと音楽しかしてこなかった俺は後悔している。だから一度全部捨て去って、人生をリセットしたいんだ。
ごめんな、いつかまた音楽できたらいいな。高瀬川。
***
姫原もこちらに駆け寄ってくる。
「部長、どうしたんですか」
「いや、左手が震えて弾けないんだ」
「それってもしかして過去のことが重しになって弾けないんじゃないですか」
やけに勘の鋭い姫原に違和感を感じながらも姫原の言葉は続く。
「私もその経験があるからわかりますよ。きっとそれは背負いすぎなんです」
まったくなんでこんな若輩に俺がこんなこと言われねばならんのだ。
「お前に何がわかるんだよ」
「わかります五十嵐部長よりもずっと。特に部長の娘さん、ソレラさんの気持ちになれば弥が上にも」
たしかにソレラは今頃十七歳で姫原とは近い年代で理解し得る部分もあるだろうが、それでも俺が少し昔の話しをしてやったからって生意気にわかった風な口をききやがって。普段は温厚な俺もさすがに頭にくる。
「黙れ! 姫原にそんなことわかるはずが――」
言う言葉を遮って、
「ジーダに直接聞きました!」
スタジオ内部の壁は音を吸音するが、姫原の声が俺の耳にはなぜだか反響しているように聞こえた。そして勢いよく言い放った姫原の長い後ろ髪もまた音が跳ね返ってくるかのように右、左とわずかに揺れていて、その髪がピタリと落ち着く頃には今在家もドラムを叩く手を止めて静まり返っていた。
姫原の言葉をすぐには理解できなかった。
姫原が言い放ち静まり返るまでのほんの数秒間、時の流れが遅くなったように感じたが、きっとこれは俺の頭が思考したくないという本能的な防衛本能が、瞬時に俺の感覚をブーストさせたのか。人間がスローモーションに感じる瞬間ってのは、五感から受容したモノが電気信号でとなって脳が一瞬覚醒した瞬間に起こる。そして姫原の強い言葉とわずかに揺れただけの姫原の髪、そんなことにすら超感覚で反応せざるを得ないというのは、俺の思考からくる逃獄本能。
逃げてばかりの俺はどうやら本能的にこの感覚が強いらしい。しかし立ち向かわなければならない。俺の脳内の片隅に追いやっていた引きずり出したくなかった真実。
GDA(ジーダ)は今動画配信サイトを中心に大ヒットしているアーティストだ。今そのアーティストの名を姫原が口にするということは、やはりそういうこと。
ジーダの歌声を初めて聞いたとき俺は嫌な予感がしていた。俺の歌とメイルの歌、確実にその遺伝した声や歌い方がジーダの歌声に混じっていた。
本当はジーダが99%ソレラであることはわかっていた。その証拠にGDAでジーダ。GDAというスペルの並びが答え。
英字でGはドレミ表記ではソ。Dはレ。Aはラ。
つまり、GDA=ソレラとなる。
メイルと所属事務所も同じだし、噂レベルで耳にしたジーダの実年齢もソレラと一致していた。他にも手がかりを探せばあるだろうが、俺は見て見ぬふりをしていた。ジーダが本当にソレラだと確定してしまえば、ソレラまで音楽で不幸になっていくのではないかと。
いや違う。才能のない自分がまた昔のように落ちていくような気がして。捨てて去ってしまった娘までも俺より上のステージに上がっているという現実を直視できないでいただけ。
「姫原とソレラは会ったことがあるのか?」
「はい、ごめんなさい。でも、ソレラちゃんも深淵の沼にはまっているように苦しんでいるようでした。だから、部長が私を音楽でサポートしてくれているように、私は部長を救いたい。そう思います」
あー、なんだ。どういうことだ。
まったく姫原の話しについていけない。
「ちょ待て。展開が急すぎてよくわからん。まず、お前とソレラはいつ会ったんだ?」
「半月ほど前のことです。ジーダから私のSNSに会いたいとダイレクトメッセージが来てこんな大スターが私に会いたいだなんて、ってテンション爆上がりでして、部長にも報告しようと思ったんです。……五十嵐部長に娘、ソレラちゃんがいるって聞く前ならすぐにでも自慢していましたよ。つまりジーダがソレラちゃんなんじゃないかって薄っすら感じていたんですよ。だから部長には黙ってこっそり会ってきました」
姫原もジーダの正体には気付いていたのか……。
「んで、会ったらジーダのイメージ変わりましたよ。ほらステージとかライブ配信とかだと明るくてハキハキしてるでしょ? でも実際会ってみたら文学少女って感じで。おとなしくて驚きましたよ」
姫原がステージに立つとあがり症になるように、反対にソレラはステージに立って人目に晒されると明るくジーダという人格を演じることができるのだろう。
「そこでジーダは五十嵐レンダについて教えてほしいって言ってましてね、その時ああやっぱりこの子が部長の娘のソレラちゃんなんだなって」
ソレラが俺のことを教えてほしいって? メイルから父親のことでも聞いたのだろうか。仮にそうであったとしてなぜ姫原にたどり着いたのだろう。その点は不可解だ。
「でもなんていうか、ソレラちゃんって暗いというか何か心の闇みたいなもの感じましてね、それって多分部長のせいだ! って思ってまた会わしてあげるねって言っときましたから」
「ん? 俺とソレラが会うって言った?」
「はい。来週の日曜日です」
ふざけんな! 誰が会うかと反射的に開きかけた口から喉元かするように一瞬声が出てしまったが、すぐに口をつぐんだ。
姫原は俺のことを思いのほか理解しているようで、俺がソレラやメイルに対して後悔の念を抱き続けていることには気づいていたらしい。それに今日こうやってギターを持つ手が震えた原因もそこにあるのだと、今ここにいる全員が理解しているだろう。
なんで、どうしてそこまでして俺にまた音楽をやらせたがるのか。
大きくなった実の娘、ソレラが俺に会うことを望むのであれば父親である俺に拒否権はないのかもしれない。
一度ソレラに会って謝るくらいはしなければならないのかもしれない。
あれからもう十年以上の時が経ったにも関わらず過去の慕情に未だ取りつかれている俺のことなんて放っておけばいいのに。ここにいる連中は本当にお人よしなやつらだ。
「あー、じゃあレコーディング始めるよ。とりあえず、エレキギターのパートは僕が後で弾いてレコーディングしておくから、今在家と姫原さんは今日中に録ってしまうね」
仕切りなおすように高瀬川が指揮をとり、この日のレコーディングは終わった。
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