「本日は、お日柄もよく」原田マハ/著 読書感想
言葉がジャンクフードのように消費されていく現代に、今一度言葉の力を再認識させられるようなお仕事小説。
主人公のOL、こと葉が同僚の結婚披露宴へ出席した際に、「言葉のプロフェッショナル」であり、スピーチライターである久遠久美の祝辞を聞き、こと葉もスピーチライターの道へと進むサクセスストーリー。
読み始めてすぐに思った。あ、これがプロ作家の技だ。いや当たり前ですけど、これは作者の原田マハにしか書けないのだろうと思わせる一冊でもあった。勉強になりました。これがその作家にしか書けない作品というやつ。
まず、小説の構成上、心に響くスピーチシーンが本作の肝になっている。
要は、作者はしっかりと多くの人に響く言葉を選んで、完璧なスピーチを作る。そういう超高等スキルが必要になってくる。どう考えても、そこらの作家が描ける代物ではない。
本作のスピーチシーンは、圧巻。その一言に尽きる。特に、序盤のスピーチシーンが最も好きだった。
その一節を引用して紹介しようと思ったけど、これを短く切り取って紹介しようものなら、作品に対する敬意に欠ける行為になりかねないと感じたのでやめておく。ごめんなさい。
しかしひとつ。印象的だったのがタイトルにもなっている「本日は、お日柄もよく」という結婚披露宴におけるスピーチでの常套句。これについて本作で言及しているので、本文から引用したい。
言葉のプロ久遠久美が、長々と祝辞を述べた鈴木のスピーチに「本日はお日柄もよく」という句を採用したことについて批評したセリフ。
一度力を失った、誰も使わなくなった言葉を、使い方ひとつでものすごい強度にしてしまうこともできるとでも言いたげ。言葉は時代によって変化していく。その時生きる人々の価値観に依存して、適切な言葉を使い分ける必要があって、新たに生まれるし、死ぬ。しかし普遍的に良い言葉というものを大切にしたい。そんな想いすら感じてしまう。
そして、「もったいない」という発言に、このキャラクター性が滲み出ている。凡人、一般人では思うことない発想だ。言葉と真剣に向き合ってきたからこそ出てくる、言葉を大切にしてきた人間からしか出ない生きたセリフ。例えば料理人が、最高級の素材を素人が上手く調理できなかったときに言いそうな言葉。
こういう何気ないセリフの積み重ねで、登場人物の人間性を強く印象付けられる。なんてこった。
さて、本作を読んで印象的だった、ストーリーの軸として存在する「言葉の持つ力」について、ここでは自分の感じたことを綴っていこうと思う。
言葉が、人生を変えてしまうこともある。それは自分も。他人も。あるいは大切な誰かを。
強い言葉とは、140字で綴られたとっつきやすい物であるかもしれないし、長々と綴られた小説かもしれない。隣近所のおばちゃんの言葉かもしれないし、鬱陶しいおっさんの愚痴かもしれない。もしくは、「Change」という簡単な単語が、世界一の経済大国の国民を、心を、揺さぶるのかもしれない。
だけど、その人の心を動かせるだけの言葉選び、表現をどれだけの人が意図してできるだろう。おそらく少数であるし、万人に響く言葉など存在するわけもなく。
的確に響かせたい人へ向けた、例えば手紙とかどうだろう、僕らはどのように手紙を綴ればいいのだろう。
まあ、文通するくらいの間柄なら、それなりにその人のバックグラウンドも知っているだろうから、わりと適当な言葉選びでも問題ないのかもしれない。
じゃあXは?Facebookは?noteは?そして、小説は?
小説となると、難易度が一気に跳ね上がる。
言葉の強さは変動する。今の時代の価値観や常識に照らし合わせて、常識を疑う力や想像力が問われる。そして、作品上の世界観や時代設定。現実と虚構を照らし合わせながら、言葉の羅列をチューニングして絶妙なバランスを保つ、今を生きる人に響く物を描いていかなければならない。僕らは日常会話からメッセージアプリ、ビジネスメールに至るまで。そんな高度な表現を日常的に要求され、誰もが会得しているものとみなされている。そりゃ失敗の連続だよな。喧嘩したり落ち込んだりもするよ。
多くの人は、上手く言語化できない。むしろそっちのほうが多数派まである。僕も、物書きでありながら、言語化能力が高いとは思っていない。ただ、訓練して、少しは上達したかなとも感じている部分もある。
例えば、本作で僕は言葉の力について、今まさに本作から感じ得たことを記している。小説を書く以前の自分だったら、どう表現していただろうと考えると、言葉はときに人を傷つけるし、勇気を与えることもできるものだと思いました。こんなクソみたいなことを言いかねない。そんなこと、聞き飽きた。だれひとりとして、響かない。
本質的に誰かの心に響く内容であったとしても、言葉選びひとつで、響かなかったりする。今まさに自民党総裁を決めるべく、各候補者が必死に言葉を紡いでいる。しかしながら、リアルの言論空間だと、言葉選び以上に容姿や声色、間など純粋な言葉以外の要素も絡んでくる。その中で、政策の良し悪しは置いといて、印象的な言葉を残せる人間は、カリスマ性がある。なんて言われたりする。聖域なき構造改革だとか、そんな具合に。国民的な感覚を持ち合わせ嫌悪感のない言葉で、なんだかやってくれそうな耳ざわりの良い強い言葉。それが上手く言えるだけで、世の中が変わってしまう恐ろしさも、期待感もあるけれど、言葉ってそういう物でもあるのだと思う。
最後にもういっこ。
冒頭のスピーチシーンがものすごく良いのに、中盤はスピーチシーンが少ない。いつまたあのスピーチが見れるのか、早く見せてほしい。その期待感を膨らませる中盤のタメが、もう、なんともじれったい。それゆえに、読了までもっていかせる構成が巧みで、最後は読者の期待通り、スピーチシーンをもってくるあたり、期待を裏切られなかった。ああ、なんてこった。
原田マハの文章は、響く。
長くなったので、この辺で。
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