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自分の名前が嫌いだった話

自分の名前が好き。
自分の名前を大切にしている。
=自分のことが好き
と、言ってもいい。

逆もまた然り。
自分の名前が嫌い=自分のことが嫌い
ということ。

以前私はとにかく自分の名前が嫌いだった。

意味がない名前


私の名前。
これ本名なんだけど
「いづみ」はそのまま平仮名で
子どもの頃は漢字が無くて嫌だった。

大人になってからも、書類とかに名前を書く欄に
「ふりがな」って平仮名であると
「いらねぇよ」ってイラっとしてた。
(でも「フリガナ」ってカタカナはOK・笑)


小学校の頃、自分の名前の意味とか由来とかを調べてくる宿題があった。

母に聞いてみたところ
どうやら姉(当時4歳)が、神社で選んでもらったいくつかの候補からつけたとのこと。


いやいやいやいや
そんな答えじゃ宿題にならないじゃん。

こんな意味があって
とか
こんな願いを込めて
とか
そんな答えを欲していた私は
不満を抱き母を問い詰めた。

すると「泉のように〜で…」
と、その場凌ぎなことを言い始めた。
ものすごくテキトーにあしらわれ
さらに不満を抱いたことを
昨日のことのように覚えている。

でも、その時母はご飯作ってたんだよね…
今なら母の気持ちもちょっとわかるんだけど。

結局そのテキトーな答えを持って学校へ行き
クラスで発表するのがめちゃくちゃイヤだったことも覚えてる。
他の子の答えがめっちゃ羨ましかった。


本名に変える


以前アメブロ をしていた時はハンドルネームを使っていた。
で、ブログ経由で知り合った方にはリアルで会った時もハンドルネームで呼んでもらっていた。
(今でもその名前で呼ぶ友人もいるけど)

ちょうどものすごく自分が嫌いで、違う誰かになりたかった時期でもある。
今思うとね。

で、写真を仕事にし始めてしばらくした時に
自分の名前で活動した方がいいよ
って、ばなな先生に言われて。

「自分の名前を大切にできない人は売れないよ」
と。



その後爆速で本名に変えました(単純すぎ)

実は愛されていたと気づく


不思議なもので
変えてみたらだんだん名前が好きになってきた。
勿論それだけが理由ではないんだろうけれど。

平仮名ってかわいいよね
って褒められたり
見つけやすいという利便性を感じたり(笑)

そして数年前のある日
「私の名前つけた時のこと覚えてる?」
って姉に聞いてみた。

姉は鮮明に覚えていて
「この中から選んでって言われてね…」
と、事細やかに再現してくれた。
40年以上も前のことなのに。

嬉しかった。
なんか泣きそうになった。


意味とか願いとか由来とか
そういうのがないと
愛されてない気がしてたんだな。

でもそれって表面的なことで
ほんとうはすごく大切にされてたし
ほんとうはすごく愛されてた。

姉の話を聞いて
そう気付かされた。

あ、別にペンネームがダメとかではないです。
要は大切にしているかどうかってことなので。

こう考えると
名前も自分の一部なんだなぁって思う。



お母さんと呼ばれるすべての方へ

大変だからとか
責任がどうとか
そういうのじゃなくって
ただただ素直に純粋に
「お母さんってすごいじゃん」
「てことは私もすごいじゃん」
って思えますよ。

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昨日のnote見て申し込んでくださった方がいて
吐きそうなくらい嬉しかったです(吐くな)
ホントありがとうございます!

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