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【どこにでもある風景9】自然がギリ人間の言うことを聞いている・長女だから

とことん緩み切った冬休みを越え、仕事もゆるゆると始まったかと思いきや、怒涛のようにスケジュールが埋まり、さらには子どもたちもコロナで休校になって、気づいたらもう1月も下旬。

散歩に行く時間も気持ちの余裕もないけど、ちょこちょこと撮ったものがあるので、上げてこうと思います。

相変わらず誰からも評価されることもない写真を完全に自己満足だけを目的として撮っています。嘘。評価されたい。好きって言われたい。

歴史資料館横にある狭野神社

ちょうど年末の30日。第六波がまだきていなくて、コロナの影なんかどこかにいったみたいに、いそいそと初詣の準備をしていた。


狭野神社の裏にある古びた公園(公園?)

ここは結構レアスポットだと思う。小さな神社の裏側にわざわざ行ってみようと思う人はいないだろうし、案の定遊具も朽ちて周囲の木々の保護色みたいになっている。

なんでわたしがここを知っているのかというと、父の実家がすぐそばにあって、小さいころはよく遊びにきていたから。昔は神社で盛大に六月灯をやっていて、ばあちゃんと来たものです。ノスタルジーで締め殺されそうになる。

苔むしまくっている

ところ変わって(変わりすぎだけど)、高原町の皇子原公園にある清流らんど。夏は涼を求めて家族連れが多いのだけど、真冬の今は人っ子一人見当たりません。

この日は「水鳥が見たい」という次男のリクエストに応えて二人で行ったのだけど、普段たくさんの人で賑わっているときには全然気づかなかった、なんつうか、自然がギリ人間の言うこと聞いてる、みたいな感じに押しつぶされそうになった(何それ)。次男と二人だったからなんとかなったけど、一人だったら完全に押しつぶされてたな……。

橋の真下。たぶん岳下橋。

昔父親に「おまえは橋の下で拾ってきたんだ」ってよく言われたものです。

それはそうと、巨像恐怖症ぎみなので大きな建造物はちょっと怖い。これは何とか耐えられた。長女だから。

防災無線?

視界にあるものすべてを何なのか説明しなさいって言われたら結構難しいのかもしれない。天気のよい日に塔のようなものを見かけると、すべて中村一義の金字塔のアルバムジャケが思い浮かぶ呪いにかけられています。

全然関係ないのだけど、最近APOGEEの「Higher Deeper」ってアルバムをむちゃくちゃリピートして聴いていて、もう好きすぎて胸が苦しい。音楽を評する言葉を持たなくてもどかしいのだけど、柔らかく首を絞められながらギリギリ保っている感じ。わかんないね。ハハッ。

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