伊坂幸太郎エッセイ集を読んだのは随分前だけど
相互フォローさんが年明けに放送するドラマに合う主題歌を妄想するnoteを書いてらしたのを読んでふと思い出した。
読んだのは随分前のつもりだったけど読書メーターで確認したら今年のはじめだった。このエッセイ集は伊坂氏の音楽の趣味があちらこちらから出てきて予想外に楽しめた。
とかわりと前半部分に出てくるのでその時点でかなり音楽好きな人なのはわかったんですが、マンドゥ・ディアオのファースト・アルバムを、リリースすぐ後くらいに買って聴いていた、それもわりと熱心そうにというところで私的にはかなり「えええ?」で。
ガレージ系好きそうなイメージが私の中には全くないというか、まあそこは私の勝手に構築したイメージなのですけども、マンドゥに関しては
ちなみにこの原稿が書かれたのは2003年頃らしいのですが、マンドゥ・ディアオはすぐに解散もせず、今年も新作リリースしてるし、長いキャリアを構築したのはいいけど、若さと疾走感を失って、引き換えに得た技術力で壮大で退屈な音楽を作るバンドになってしまったので伊坂さんの予言はどちらも外れていて、そこが普通に音楽ファンな感じがして好感が持てました。
そんな伊坂さんのエッセイでいちばん意外だったのはこの一節。
えええ?「重力ピエロ」のラストって「モダン・エイジ」が合うような展開だったっけ?私もしかしてちゃんと読めてない?と一瞬自信がなくなるくらい、「重力ピエロ」とストロークスの「モダン・エイジ」が重ならなかった。マンドゥもストロークスも00年代ネオ・ガレージだからその辺りがお好きなんだろうなということなんだろうけれども。
ストロークスとマンドゥはある意味対照的というか、ストロークスもマンドゥも最初は本当に下手くそで、若さと感性だけで前進するバンドだったのが、そういうバンドがハマりがちな、成長して技術力をつけていくと技術を使いたくて使いたくてそれが先行してしまい、壮大で退屈な音楽を作り始める。マンドゥは本当にそのままそっちに進んでしまった。ストロークスも3枚目のアルバム辺りが危なかったけど、その後ちゃんと軌道修正して彼ららしさを突き詰める方向に行った。だからストロークスはいつも、今でも、聴きたくなる。
ちなみに私は「重力ピエロ」のエンディングに曲を選ぶならソンドレ・ラルケの「John, Let Me Go」なんですよ。
作者の考える世界観と読み手の考える世界観、どちらが正しいなんてことはなくて、そこは好きなように自分の中で描いたらいいよねと私はいつも思ってきたのですが、伊坂さんのエッセイを読んだ時に「とはいえ、しっかり読んだつもりでも作者本人が思い描く世界観に必ずしも近付けてるとは限らないんだな」と思い知った気分であり、それは全然ショックとかではなくむしろ、新しい景色が見えた瞬間のような晴れやかな気持ちでした。
今日の1曲
マンドゥはファーストからセカンドでの成長が著しくて当時は期待したんですよね私も。
今日のパンが食べられます。