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偉大なアーティストたちの訃報

Twitterの相互フォローさんのツイート。これは高橋幸宏さんの訃報を受けてのツイートだったんだけれども。


ジェフ・ベックの訃報の直後に日本を代表するミュージシャンである高橋幸宏さんがお亡くなりになって2023年、年始早々続々と、という衝撃をみんな受けている。

しかし、年齢的にレジェンドが高齢化している、というのはYesでもありNoでもあると思う。実際問題として、レジェンド級と呼べるミュージシャンは60年代、70年代に活躍した人たちに集中しているわけではなく、それは中高年にとってのギターヒーローであったりロックスターであったりするのがその辺のイメージなわけだが、大物、功労者、大きな功績を残したアーティスト、レジェンド級などいろんな呼び方があるにせよ、そうした辺りのミュージシャンというのはもはや80年代、90年代から活躍しているミュージシャンにも当てはまってしまうわけだ。実際、先月にはザ・スペシャルズのテリー・ホール、プライマル・スクリームのマーティン・ダフィの訃報に私たちは衝撃を受けたばっかりである。

レジェンドと呼べるようなミュージシャンたち、その人口は増え続け、そして彼らも私たちもみんな、歳をとり続けているわけなのだから「いつ死んでもおかしくないレジェンド級のミュージシャン」の人口というのは増えていく一方なのだ。

そして大手新聞だけではない、インターネットニュースサイトまで含めた現代の情報伝達の仕組みから考えると、日々亡くなっていくミュージシャンたちの情報は一瞬にして世界を掛け目巡り、私たちは日々、胸を痛める。

日本国内で大きなニュースになった、全国紙に訃報が載ったミュージシャンで私のいちばん古い記憶はNicoだ。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコのNicoである。彼女は1988年、旅行先で49歳で不慮の事故死を遂げている。全国紙の社会欄に「ニコさん死去」の記事が載った。その際、Nicoが若くして亡くなったことよりも、音楽ファンの間で衝撃が広がったのは「ニコさん死去」と新聞の社会欄に彼女の訃報が掲載されたこと、Nicoがカタカナになっていること、そしてNicoにさんがついてニコさんと書かれていたこと。音楽雑誌ではしばらく、Nicoの早逝を悼むのと共に、全国紙の社会欄に載るニュースバリューが、ロックミュージシャンにあったのかという驚きとか、音楽ファンにとってNicoという特別なアイコンが、カタカナでニコさんと書かれることによってお茶の間に届くような何か別の存在に変換されてしまったようなモヤモヤ感だとか、そういった文脈で語られた記事が目についた記憶がある。

そもそもロックの歴史は、今となっては「もうすぐ100年」と考えれば長いものだけど、1950年代に台頭したばかりのロック及びその周辺のポップ・ミュージックというのは、1980年代当時はまだ、その歴史はスタートして間がないものとして捉えられ、後々まで伝説として残るような音楽、語り継がれるようなミュージシャンというのは数えられるほどで(もちろんジョン・レノンが撃たれたとかは世界を駆け巡る一大ニュースになったのは言うまでもないが)、ミュージシャンが亡くなったからと言って新聞に訃報が載るとは限らず、音楽ファンの間ではミュージシャンの訃報というのは駆け巡るものではなく、ひっそりと耳に入ってきてひっそりと悼まれるものだった、ような記憶がある。

しかしそこからもうン10年という年月が流れ、2020年代も半ばに差し掛かってくる今、ロックとその周辺音楽であるポップ・ミュージックは数ヶ月で消費されて消えていく娯楽ではなく、人々の心に、記憶に、もっと長く刻まれていくアートであるという社会同意が定着している。

そして20世紀に活躍し、今も現役で活動しているミュージシャンの数はそれこそ星の数ほど。ある程度の年齢になってツアーから引退するアーティストもいるけど、70代でワールドツアーをやってるバンドも珍しくないご時世、当然健康寿命だけでなく、寿命そのものが伸びている現代、レジェンド級のミュージシャンの訃報に接する衝撃というのは加速度的に増えていく、だろう。そこは心してかかるしかない。だってその人数は増える一方なんだもの。

今日の1曲


今日のパンが食べられます。