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演劇は 救い の 話。

2023年10月1日0時15分、私の母は息を引き取りました。

今年も残すところあとわずか。この一年を振りかえると、どうしても避けられない私の一番大きな出来事でした。

ついこの間、私の所属している劇団
:Aqua mode planning:
(Xじゃ文字数とるし、読み方わかりにくいし、アルファベット前後の:も劇団名に含まれることをほとんどの人が知らない…という劇団名。ちなみにアクアモードプランニングって読みます。どうかこの機会に、名前だけでも覚えて帰ってください…)の公演が終わりました。アクアモードプランニングは、短編を組み合わせて上演をするオムニバス形式の会話劇が多く、12/22(金)~24(日)に上演した『サリーの実験室』も短編3本立て公演でした。

『サリーの実験室』フライヤー1/2
『サリーの実験室』フライヤー2/2

ただし、今回は主宰が演出・脚本を担うのではなく、劇団員のサリーさん(長友美聡)が演出・脚本を担う初の試み、実験的な公演でした。

私はというと、3つある演目の中の1つ
「コウモリ」に出演していました。

「コウモリ」(サリーの実験室)

暗闇は、
たくさんの色が幾重にも重なってできる。
闇色に包まれた私はコウモリ。
誰の目にも触れず、
闇に紛れてこのまま消えてしまいたい。
ごめんなさい。ごめんなさい。

「コウモリ」フライヤーより

この物語、孤独を抱えた一人の女性にフォーカスをあてた結構重たい内容の会話劇でした。

「コウモリ」(サリーの実験室)

この演目は再演なんですが、当時(2016年)は私もアクアモードプランニングに所属していないし(私が劇団員になったのは2023年3月)、ましてやアクアモードプランニングという劇団すら知りませんでした。一応過去映像は拝見させていただいて、とにかくめっちゃ重たいなぁが第一印象でした。それでも、私としてはある意味得意分野の演目。演じるなら、この演目!!と、あれよあれよと出演が決まっていました。

この演目、登場人物は4人。
女(キムライヅミ)
男(サトモリサトル)
いつかの男(久保賢大)
母(高橋紗綾)

ざっくりどんな話なのかと言うと、女はいつかの男との間に過去子供をおろした経験があって、現在のパートナーである男との間に新しく子供を授かったんだけど、このまま産んでもいいのか不安になりながら、母との電話でのやり取りを経て、男との未来を想像していきます(ほんとざっくりですみません)。

「コウモリ」(サリーの実験室)

今回キャストのメンバーがとても素敵でした。『サリーの実験室』は3演目それぞれで稽古をするので、他の稽古場の進捗具合はまるでわからないわけで、それでも稽古1~2回で既に完成形に近かったと思います。そこから方言の微調整や細かい部分を深掘りしていった印象でした。実際、演出だったサリーさんが同じことを言っていたので間違いないです。

小劇場の舞台を観てきた人ならわかると思いますが、紗綾さんやサトルさんなんて小劇場でとても活躍してらっしゃるし、ぼたもち(久保さんの稽古場での呼び名)もブランクがかなりあいているのに、周りにしっかりあわせてくれていたので、本当に素敵なメンバーでした。

「コウモリ」の稽古場では、みんなそれぞれ演技プランを持ち寄って、ときには話し合い、そこにサリーさんの好みを足していくといった具合で稽古が行われていきました。

それにしても「コウモリ」はとにかく重たい話なわけで、いつもは登場人物の感情にのまれないように、ある程度心の距離を置くようにしているのですが、今回はかなり自分の感情をコントロールするのに苦労しました。


ここで冒頭の私の母のことについて、私と母の関係について語りたいと思います。

私の母は亡くなる最期まで、私が演劇をしていることは知らなかったと思います。

そもそも私が演劇を始めたきっかけは高校演劇から。私の母は割と厳格で演劇をすることにあまり快く思っていない人でした。それでも私の意思は尊重してくれていたようで、部活動だからと渋々了承。北海道で劇団に所属していたときも、趣味の延長だからと半ば諦めてくれていたところはありました。

しかし、演劇のために東京に住みたいとの話題になると母の態度は一変します。
そう、恐怖を感じる程に。
決して母と仲が悪いわけではありません。
ですが、演劇に対する考え方は水と油のようにまるで違いました。始めのうちは母の説得を試みようとしましたが、私と母との間では根本的に演劇への考え方が違いすぎて、これ以上決して交わらないのだと悟ってしまいました。
だから、どうしても東京で芝居がしたかった私は、説得することを諦め、母に演劇を辞めて東京で暮らす。と嘘を語り、母のそばを離れたのでした。

昨年の6月頃、突然母が入院したと姉から連絡が入りました。精密検査をしたところ肝臓に大小様々な腫瘍があるが、原発がわからない(原発不明癌)と医師から説明を受けたそうです。つまりは、末期癌ということでした。そこから母の闘病が始まりました。入退院を繰り返し、次第に痩せ細っていく母の姿にいたたまれない気持ちにはなりましたが、病状は一進一退を続け、闘病を始めて1年が過ぎていたので少し気が緩み始めていました。

その日は突然やって来ました。今年の9月上旬出演舞台の稽古場でした。舞台本番まであと数日。稽古中はスマホの音が鳴らないよう機内モードにしておくのですが、休憩時に解除すると、一気にLINEの通知が流れてきました。姉から母の余命があと1~2週間だと医師に宣告されたとの連絡でした。覚悟はしていたものの、その場で感情を整理できず、主宰に状況を説明しながらボロボロと泣いてしまって、本当にご迷惑をおかけしました。しかし舞台本番を控えた今、母の元に帰るわけにはいきません。それからの私は、かなり不安定でした。食事量は減り、常に腹痛に悩まされ、突然涙が止まらなくなるのです。それでも無事舞台が千穐楽を終えた日、入院中の母から電話がありました。母には余命の告知はされていません。劇場の外で他愛もない話をしていたところ、きっと何かを感じとっていたのだと思います。
「あんたがいてくれて良かった」
と母の一言。これが母との最後の電話でした。

それから3週間後、母が亡くなり、姉から母が闘病中に使用していたメモ帳を見せてくれました。そこには私宛の言葉が綴られていました。

いづみへ
そうながいこと生きては生けないと思います。あなたが東京行ってから長いことたちますね 2020年にコロナが発生してから3年ちかく帰えってこれませんでしたね。かあさんたちも、おまえの所に一度くらいあなたの所にいってどうゆうところに住んでいるか見て見たかったです。自分は病気になってしまってやはり、いくことができなくなりました。からだだけはきおって、仕事がんばって下さいね。

弱々しい文字で所々読みにくくなってはいたものの、間違いなく母の字でした。
演劇辞めるなんて嘘ついてごめんね。
そばにいられなくてごめんね。
親不孝な娘でごめんね。

次第に私の心は、罪悪感に埋め尽くされていったのです。


ここで、今回の演目「コウモリ」の話に戻っていくのですが、これを書いている時点でかなり消耗しています。涙が止まらなくなっています。だいたいこんな話されたって……ってお思いでしょうが、どうか最後までお付き合いください。

そう、何故母のことを語ったのかと言うと、「コウモリ」は母とのやり取りは全て電話のシーンなのです。紗綾さんが扮する宮崎弁で娘に語る母の姿は、私にとって本物の母との会話を呼び起こさせるものでした。だからこそ、電話のシーンはかけがえのない時間であったし、それと同時に辛いものでもありました。それでも電話の終盤にあるセリフ。

母「でんね、あんたでよかったって思っちょるよ。」

「コウモリ」より抜粋
「コウモリ」(サリーの実験室)

このセリフ。

『サリーの実験室』全体の最終通し稽古の日。そう、このセリフを紗綾さんが言葉にした時、ふと、あの劇場の外で電話した母との会話を思い出したのです。
「あんたがいてくれて良かった」
あぁ、そうか……と。
私、母の娘で良かったんだよね。
それからは、次第に自身の心が軽くなっていくのがわかりました。

演出のサリーさんが「コウモリ」の演目について、女が子供を産むことへの不安や葛藤が今後も絶対に続いていくはずだから、決して救いで終わる話ではないと語っていました。

私が演じた女はこれからも産まれてくる子供のことを筆頭に様々な不安が続いていくのだと思います。だからこそ、最後の女のセリフ

女「……元気よ。」

「コウモリ」より抜粋
「コウモリ」(サリーの実験室)

このセリフには、未来への希望だけじゃなく、不安や葛藤なども混ぜ込んだセリフに仕上げました。

それでも、この演目「コウモリ」を通して、私の心は確かに救われたのです。


そう、私は演劇に救われたのでした。


あらためて公演にご来場いただいたお客様ありがとうございました。

長々と語ってしまいましたが、これからも私は演劇を続けていきます。どこかでまた、あなたの救いとなるような舞台の一助になれたら嬉しいです。

年明けにお祝いの言葉は発せられないけれど、みなさんが2024年も素敵な一年を過ごせますように。

そして私に関わりのあるすべての方へ、
最大限の感謝を。

キムライヅミ


Thanks!
Photo by 一嶋琉衣 & 座組のみんな!!

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