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160 アメリカの大学の授業は、高校と同じだった。

授業について行けた?


「横浜って何県? あ、埼玉県か!」
東京育ちなのに、そんなことを言ってるぐらいおバカな娘なので、果たして名門大学の授業について行けるのか。
それが親として1番の心配でした。

まず、映画専攻の入門編の授業は、ひたすら楽しくて問題なかったようです。
映画史などは高校の選択授業ですでに学んでいたので、普通の学生たちは初めて知るような内容だったかもしれませんが、娘はだいたいわかっていることが多かったと。
また、脚本を書いたり映像制作をしたりするのも、ずっとやってきたこと。

しかし、作品の批評・分析については、さすが優秀な学生たちにはまったく及ばなかったそうです。

「みんなものすごく深く考えてるんだよ。
私には思いつかないような見方で、ディスカッションが難しかった。」


そう、日本の大学の授業なら、主に教授の一方的な講義を聞くだけで、あとはレポートを書いたりテストを受けたりぐらいがほとんどだと思いますが、アメリカの大学の授業はディスカッションが重要な部分。

授業で初めて教授の話を聞くのではなく、あらかじめ予習したり考えたりしてきた上で、授業でのディスカッションに臨みます。

その中で、どれだけ発言できるか。
それもただ発言すればいいんじゃなく、どれだけ有意義な議論に発展させられるか。
これが「授業に貢献する」とか「議論に貢献する」とか言われる、重要な評価ポイントだそうです。

だから、優秀な学生の意見を聞いて
「へー、すごいなぁ。そんな考え方もあるのか。」
で終わってちゃいけないんですね。


中学・高校でやっていたこと。


ただ、大学の授業のスタイル自体は、娘が中学・高校でやっていたこととほぼ同じでした。
授業のテーマについてディスカッションするのも、ずっとやってきたこと。

そのレベルが、高校時代とは比べ物にならないハイレベルになってしまったわけですが。
ネイティブなアメリカ人たちは発言のスピードも早く、ボキャブラリーも豊富。
そこにどれだけ食い込んでいくかというのが、難しいところだったようです。

「どんどん話が進んで、なかなか口が挟めないんだよ。
だから、ちょっとおとなしい人と思われちゃってるかも。」
と、困っていることもありました。

でも、そうやって学生たちが教授と対等に議論をしていくのは、娘が「ハーバード白熱教室」 を見て憧れていた部分でもあります。
頑張らないわけにはいきませんでした。


その授業の予習に何冊も本を読んだり、レポートを書いたりするのは本当に大変だったようです。
レポートを書くこと自体は慣れてたのでよかったんですが、簡単に書けるものではなく、深夜まで図書館で勉強する毎日。
よく聞くアメリカの厳しい大学生活ですね。

とはいえ、映画専攻以外の科目の授業も1年生はまだ入門的な内容だったので、そこまで難しくはなく、どうにかちゃんとついていけたそうなんです。

これは私もすごく不思議なんですけど、中学・高校で大量の本を読んでいく中で、識字障害が自然と改善されて、アルファベット26文字しかない英語に関しては、 ある程度普通に読めるようになっていたのかもしれません。


また、他の学生たちと一緒にプロジェクトをやっていくことについては、慣れてるし得意な部分で、とにかく楽しかったそうです。

娘の中学・高校の授業のスタイルは、こうした欧米の大学の授業に合わせてのことだったんだともわかり。
とにかく、すべてあの学校のおかげだと思います。


試験だけで成績がつくわけじゃない。


大学の成績評価も、定期テストだけで評価されるわけでなく、そうした日ごろのディスカッションやレポート、プロジェクトなど総合的に評価されるので、70点以上の点数が取れなくて退学、なんてことはありませんでした。

決してA+とかAとかのいい成績は取れなくて、概ねBくらいの成績だったようですが、それでも上出来だと思います。
優秀な大学で娘がついていけるのか、退学にならないかってヒヤヒヤだったのが、逆になんでついていけてるんだろう?って不思議に思いつつも、ともかく一安心。


ただ、やっぱりおバカが急に優秀になるわけじゃありません。
明らかに学力の差が出て、娘がどうしても単位が取れなかった科目が1つありました。

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