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ポジティブとネガティブが同居する身体

数年前から「ボディポジティブ」という言葉が、SNSのハッシュタグを中心に散見されるようになりました。
ざっくりとした意味合いとしては「ありのままの今の自分の身体を受け入れ、愛そう」というもので、この「ありのままの自分の身体」には、体型や肌の色はもちろん身体に残る傷や先天・後天的なハンディキャップも含まれているととらえています。

「ボディポジティブ」という言葉が様々なメディアで発され、多くの人がこの言葉を、特に「体型におけるポジティブさ」として取り扱うようになるなかで、わたしはいまだにこの言葉を真正面から素直に歓迎できずにいます。

今の自分の体型をあるがままに愛そうとすること、そして他者の外見を否定したり揶揄したりすることのない状態はその言葉通りポジティブで素晴らしいことだと思います。
「ボディポジティブ」という言葉が持つ意味や、その言葉から派生するルッキズムに立ち向かうムーブメントは、わたし自身も心が明るくなる思いで追っています。
一方で、今の自分自身を「ボディポジティブ」の視点から見ようとすると、どうしても居心地の悪さを感じてしまう。
本当の意味で「ボディポジティブ」という言葉が、自分にとって歓迎できるものになるには、まだまだ長い道のりを感じるーーもっと言うと「歓迎できるようになる」ことに対して自分自身に疑問が残っているから、この言葉と自分の気持ちとを重ね合わせようとすると違和感がある…ともいえます。

この半年で、5キロ近く体重を落としました。
食生活を改善し、なるべくぐっすり眠れるように工夫をし、日々のヨガの練習に加え筋トレと有酸素運動を増やし、ほぼ毎日体型を写真に記録しました。
ウエストは細くなり、服のサイズは変わり、身体は軽く疲れにくく、肌の調子が良くなりました。
半年を経て、久しぶりに会う人ほぼ全員から、「痩せたね」「ダイエットしてるの?」と言われます。
かなり健康に、健全に痩せていると思います。

先日、長年時間を共に過ごしたかつてのパートナーとたまたま話をしたときにも、「痩せて脚の形がめちゃくちゃきれいになった」と言われました。

正直嬉しかったです。
そう、嬉しいのです。
「痩せてきれいになった」という言葉が、わたしは嬉しい。
半年前のむちむちした肉の質感とか、肩や腰の丸みとか、どこまでも柔らかく伸びるお腹とか、自分なりに愛していたつもりだったのに。
今は皮膚の下の骨の質感とか、鎖骨のくぼみとか、平らに近くなった下腹を眺めながら、「痩せて良かったなあ」と思うのです。
そう思う要因として、見た目の変化だけではなく、身体を動かす上での快適度が上がったこともあります。
逆立ちや後屈が動きやすくなり、たくさん動いても疲れにくい。たくさん動くとご飯がおいしいから、しっかり野菜や米を食べる。よってお菓子やジャンクフードの量が減る。以前よりよく眠れる。目覚めが良い。便秘と肌荒れの改善。
健康的に痩せたことで、自分の身体にとって快適で喜ばしいことが多い。
あるいは、健康な生活を自分なりに模索した結果の一つとして、「痩せた」という結果がついてきたと見ることもできる。
総じて、わたしは今の自分の身体に対してポジティブな思いを抱いています。

痩せる前を知る人から「痩せたね」と言われる一方で、「たくましい背中だね」「下半身ががっしりしてるね」と言われることはもちろんあります。
もともと瘦せ型ではないし、華奢な骨格でもない。今のわたしが体重を落としたところで、触れたら壊れそうな肩や、胸骨が浮き出たデコルテや、まっすぐな細い脚にはならない。
ここでのポイントは「たくましい」とか「がっしりしてる」と言われると、どうしても嬉しい気持ちになれないところにあります。
今の体つきは以前よりも快適で動きやすくて自分でも気に入っているはずなのに、「たくましい」とか「がっしりしている」という言葉に(たとえその言葉に悪意がなかったとしても)引っ掛かりを感じて、自分の身体にとって残念な、ネガティブなニュアンスの表現としてとらえてしまう。
先ほど登場した10代半ばから20代後半までを共に過ごしたパートナーからは常に「脚が太い」「痩せろ」と言われ続けていました。
不健康なダイエットを繰り返しては失敗し、その度にメンタルをやられていた時期が、人生の中でかなり長い期間を占めています。
他人からの、ことさら、好きな人からの言葉は大きくて重い。
そしてその言葉は今も自分の中に深く沈んでいる。

健康的に減量して身体がより快適になったことは心身にとってポジティブな、喜ばしいことです。
一方でそれ以上に、かつて散々体型を否定された、だけど大好きだった(誰よりも私の身体を近くで見てきた)人からの「痩せて脚がきれいになった」という言葉に喜んでいる自分がいる。そしてそんな自分になんともいえない嫌さを同時に感じている。
今の身体が快適で健康なはずなのに、「たくましいね」「がっしりしてるね」という言葉に落ち込む自分がいる。
ひとつの身体に対する周りからの言葉が、こんなにも気持ちを左右する。
いまの自分の体に対して、ポジティブな気持ちとネガティブな気持ちが同居している。
「ありのままの今の自分の身体を受け入れる」には程遠い。

日常の暮らしで、ヨガを練習するうえで、家族や友人と過ごす時間のなかで、わたしはできるだけ長く健康で、より快適に動ける身体でいたい、という気持ちがあります。
日々の生活習慣や練習によって、長く動ける快適な身体は作られます。
練習や生活の積み重ねを通して健康で快適な身体を作るとともに、自分の身体に対するポジティブな気持ちの割合がもう少し増えていくと良いなと思います。

自分の身体に対して「こうありたい」と思う以上、自分の身体に対してネガティブな気持ちが完全に消えることはない気がするのです。
どんなに頑張っても顔は小さくならないし、腕や脚は長くならないし、肩や首は華奢という言葉から遠いところにある。
顔が小さくて、腕や脚が細く長くて、華奢で均整のとれた体型を私は「美しい」と思います。その感覚を変えることは難しい。
だけど、他者の身体を美しいと思う対象は、小さな顔と細く長い腕と華奢で均整のとれた体型だけにとどまるわけがなくて。
年を重ねた身体の皺やたるみ、しっかりと肉が詰まった身体の丸みや柔らかな曲線、直線的な骨の感触…等、人の身体を美しいと感じるポイントは無限に広がっていて、ひとりひとりの身体にあるそれぞれの美しさを見出す感受性を、豊かに養っていきたい。
ひいては、自分自身の身体においても。

身体には、これまでの生きざまや歴史が詰まっている。
喜ばしいことも、辛いことも、誰かを傷つけたことも、誰かに傷つけられたことも。
自分自身の身体を以て得た学びや経験は、今まで見えなかった他者の美しさに気づき祝福するためのものでありたいね。
誰かを批判したり、揶揄したりするものでなく。

なんとなく今の気持ちでもう一度読み返したい本

最近刺さった文章
デザイナーさんの文章を読んで、夜中にひとりでわんわん泣いてしまった。


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