夢の描き方がわからない
過去のjournalの中で
人生において明確な夢や目標、こうなりたいというビジョンを持ったことがない
と書いたことがあります。
わたしは「○歳までにヨガスタジオを持ちたい」「○歳までにヨガの先生になりたい」と思ったことがありません。
同じように、今並行して取り組んでいるライターやホステスを目指すために何らかの努力をしたこともなく。
ピンときたことや自分にできることを続けていたら、然るべきときに目の前にポンとやるべきことや、役割や、仕事が現れて、それらを受け取り、淡々とこなす。
それはけして嫌々だったり漫然とこなしているわけではなくて。
ヨガもライターもホステスも、代わりはいくらでもいる。
だからこそ、わたしとヨガをしたいとか、わたしに文章を頼みたいとか、わたしが作るお酒や雰囲気にお金を払いたい、と仕事を依頼してくれる人に100%応じたいし、全力で取り組むのです。
でも、これからはそれだけじゃだめっぽい気がする。なんとなく。
ただただずっと、夢の描き方がわからない。
それは仕事だけでなく、生きていくこと全般においていえることで。
あまりにも恵まれすぎて周りの人や環境に甘えているのかもしれない。
気づかないうちに、その甘えが周りの人を傷つけたり今いる環境を澱ませているかもしれない。
あるいは前向きさとか、想像力とか、情熱みたいなものが欠落しているのかもしれない。
前向きさとか、想像力とか、情熱みたいなものから逃げ続けている、という見方もできますね。
ヨガの練習を通して、最近はそんなことを考えています。
こう動きたい、こうありたい、でも思うようにうまくいかない。
ここだ!みたいなところは一生こないかもしれない。
でもその気持ちがあるから試行錯誤を続けられる。
自分や他に甘えず、前向きに、未知の体の感覚を想像し、熱量を落とすことなく練習が続けられる。
日々の生活や生きていく上においても共通するものがあると思うのです。
今のままでも生きていけるのだろうけれど、漠然と今のままではよくない気がする。
大切な人や場所を、気づかぬうちに失い続けるような気がする。
誰かのために、自分のために、夢を描き動く人はまぶしい。
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