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【 文章力と表現力について考えてみた 】

魅力的な文章を書いて、人の心を引きつけたいと思う。

いや、「人の心を引きつけたい」というよりは、「人に上手く自分の気持ちを伝えれる人間」でいたい。
言葉でも文章でも「表現力がゆたか」で、なおかつ、相手にその気持ちを届けれる人間でありたいとそう思う。

自分の文章力については、ここではとりあえず棚上げにしておくが、色んな本や記事を読んでいると、その文章力の良さや悪さに気付くことが、結構やっかいだと最近思うのである。

過去に「億を稼ぐ」というある業界で働く人の本を読んだ事があった。
億を稼ぐと言うのだから、その方がどれほど凄いことをしているのか、またどんな生活習慣があるのかに興味を持ち、そこのところが知りたかったのだ。
ところが、いざ読んでみると、文章力が小学生の作文のようだった。(失礼します)
かわいそうに、この本には監修がいなかったのか?と思ってしまった。
文章力が高くなかったお陰で、残念ながら私が知りたかった「億を稼ぐこの女性の素晴らしさ」みたいなところが、その本からはちっとも伝わってこなかった。
また別の本で、投機系で億を稼ぐという女性の著書もそれに近くてがっかりした記憶があった。

逆にさすがだなと思ったのは、実業家であるというその当時20代後半の女性。
この方は、FBに投稿すると平均いいねが3000以上つくと言うことで知れ渡っていた人だった。確かにその文章力には、長文の活字を読むのが苦手な私でも、何か勢いよく吸い込まれる圧迫感というか、なんなのか、気付いた時には完読していた記憶がある。
文章力があるため、「次はどうなる?」や「もっと知りたい」が先行して、めくるページ数もどんどん進む。
彼女の文章力は、生い立ちからビジネスが成功するまでのストーリーに臨場感があり、彼女がどれだけの努力家であるかという事も伝わってきたため、本を読み切るまでにこの女性の男前らしさに惚れ惚れしてしまっていたくらいだった。

また、このnoteをランダム的に閲覧していても、短文であっても長文であっても、その文章が持つ「力強さ」を感じると、最後までスイスイ読み切りフォローまでしてしまう。
「文章に力」がある人は、バラバラと短い文章や語彙的なものをつなぎ合わせたみたいなものでも、その表現力のうまさに、思わず感動して涙してしまったりなんていうこともある。
また、文章が面白いと思う時は、大抵スキが沢山ついてたり、コピーライターさん(やっぱりね)であったりする場合が多い。逆に読みづらい文章に対しては、途中でやめて次にいってしまう。

別に、○○さんが書いた本がすごく良かったんですとか、〇〇さんの本は良くなかったとか、著者に対してレビューをつけたりディスったりするのが目的ではない。
ただ単に、文章力があるかその表現力がないかで読む側の受け取り方がこうも変わってきてしまうんだと思うと、とても残念に思う。例えばテレビやYouTubeで、誰かの事を知り、その上、本を出版されているとなると、もっと知りたいとなる。本を出版されるくらいの方は、きっと素晴らしい人に違いないし、そういう人はまた素晴らしいストーリーを持っているに違いない、というその期待からまんまと裏切られると、非常に残念に思い、その内容が読む側へ届かないのはもったいない、と思うだけなのである。
実際に普段面白おかしく話は出来る人で、「この人のおしゃべりは楽しいな」となんとなくスキ度が急上昇するのに、文章で表現しているのを見ると「あれ、何か違う」とギャップを感じ、ひゅるひゅるひゅる、と何か分からないナニかが下降してしまうこともアリなので。

エッセイ、自己啓発本、ノンフィクション、歴史、投資系、なんでも良いが、文章力が高く、読む側の心を動かされた時には、もう一周、もう2周と読みたくなる感が強まるのは思うのは当然の事だと思う。

文章で素晴らしい表現をする人に憧れるし、とても魅力的だと思う。
そういう意味で、自分も文章ででも人に気持ちを伝えれる人間でいたいと常々思う。
文章力は、ないよりあった方が良い。
とても大事なことだと思う。
私自身の文章力を向上させるためには、課題が山積みだと感じる今日この頃である。

どうぞよろしくお願いします😊