長編小説 『蓮 月』 その十五
ニューヨーク三日目
清水滋郎氏の自宅は電車で小一時間はかかる。牧歌的な環境での生活が気に入られているが、支援するギャラリーのオーナーの計らいで、ソーホーの近くにアトリエを借りていて、作品作りはほとんどそこに閉じこもって没頭すると聞き及んでいる。
百合と静一は、そのアトリエを訪ねることとなっていたが、気分転換で北野ホテルまで、出向くと、清水氏から当日連絡が入った。
百合は、それでは地下の「白梅」のプライベートルームを予約するので懐石料理でお昼をご一緒しましょうと提案し、清水氏は喜んで受けられた。
プライベートルームで二人が待っていると、なんと涼しげな麻の葉模様の紺地の浴衣に臙脂の博多帯に雪駄という装いで現れた。彼なりのお洒落な礼儀と二人は受け取った。
食事の間は、最近のニューヨークのアートシーンや逆に日本の書の世界のことなどで雑談し、食後の珈琲を飲む段になって、百合の方から上元のほうから、日本での個展についての提案がありますので、お聞き下さいと静一にバトンを渡した。
それでは、ご説明させて頂きます。と簡単なA-4のレジュメを差し出し、静一は話始めた。
「私は、プランニングの仕事に入るまでは、一時ケアワーカーとしてしょうがい者の人達と関わっていました。今でも、時折ボランティアで施設を訪問しております。
それで、今回は清水さんに、京阪神の三都市で、しょうがい者の施設あるいは原因不明の病で多くの時間にケアが必要な子供達の施設で、大判の越前和紙を使った紙に、清水さんが即興で絵の中心となるものを描きます。そして、空いた処に子供達が思い想いに自由に描いて、所々は清水さんと子供が一緒になって絵を描き完成させます。それを娘さんにビデオ撮影して頂いて「ドキュメンタリー映画」として小劇場や各都市の市民劇場で自主上映をさせて頂きます。
季節は春、オープニングは神戸から大阪・京都の順で桜が花開くのを追いながら、撮影して頂きます。又清水さんの作品は、神戸は芦屋のギャラリー[ホワイ]・大阪は勿論ギャラリー[SHIRANAMI]・京都は三条駅から徒歩五分のギャラリー[たつみ]予定しています。
三カ所とも少し足を伸ばせば桜の名所があります。
子供達の施設は友人のケアワーカーの上田さんに話が前に進めばと打診しておりまして、子供達がとっても喜ぶと期待されています。
清水さんは筆だけ持って、娘さんはカメラだけを持って来て下さい。
滞在する宿はすべて白浪が手配致します。以上ですが、何かご質問がありますか?
清水氏は、微笑みながら席から立って、静一に握手を求めた。「とても素晴らしい提案をありがとう。只作品を展示するだけは興味がなくてねぇ・・・いや、子供達と一緒に描くなんて考えもしなかった。そして、娘にも活躍の場を用意して頂いた、ほんとうにありがとう。早速にメールしなければならないね・・・しかしどうして娘のことを知られたのですか?」「はい、櫻衣真穂という名前で、三年前から桜がさく季節には来日されて、各地で撮影と写真のミニワークショップを開かれているのを知人から聞き及んでいたのですが・・・まさか清水氏のご息女とは誰も知り得ていなかったのです。ある時、雑誌「カメラワーク」に桜大好き人間という特集を組まれた時、真穂さんが紹介されていて一度連絡させて頂いたことがありまして・・・実は私も桜大好き人間で・・・それで・・・はい」「そうでしたか、じゃ、帰るまでに真穂とも会っておいてください。連絡を入れさせます」ととても喜んで頂いた。
百合は話を予め聞いていなかったので清水氏の三都市巡回展覧とワークショップ及びドキュメンタリー映画の話を聞いて、ほんとうに驚いた。自分のギャラリーだけでの個展にこだわっていたことが、少し恥ずかしくなった。でも、これでギャラリー[SHIRANAMI]は清水との作品・仕事で大きな実績を残せることになったと、こゝろから喜びが満ちてきた。静一君ありがとう!とこゝろの裡で喝采した。
地下1階のBarが開くのは午後5時からなので、少し時間が早かったが、百合は静一と乾杯したくて、ホテルを出て、昼間でもお酒を出す店を探して入った。「先ずは、乾杯!」と二人で祝杯を挙げた。「おめでとうございます。良かったですね」
「ありがとう、君の提案があって決まったこと・・・ほんとうに感謝するわ」
「空港からのタクシーの中では詰問してごめんね」
「いえ、いえ、気にして頂いているのがわかったので・・・」
「だって、二人とも私を聾桟敷において、一切連絡しないってあんまりじゃん」
静一は何かを語るべきだと思いながらもすぐに言葉が出ずで微笑むしかなかった。
「何も語らないし、正直誰だって怒るでしょう・・・」
「御免なさい、百合さんの御陰があっての出会い、ほんとうに感謝しています・・・ちょと色々ありまして・・・もう少しでか・た・ちが視えてきますので、その時にすべてお話しします・・・だから、今は聞かないで下さい」
「ふ~ん、そうなの、仕方ないわね・・・でも、きっとすべてを話してね。二人が旨くいけば、私はそれで良い・・・でも、やはり、妬けるわ。誰かいい人紹介して・・・」
「百合さんは、あまりにも多くの男性と出会って、知らず知らず要求度がMaxになっていて、それで相手は引くんじゃないですか? そんなに頑張らなくても、自然に自分をさらけ出して、委ねるように対応すれば、男はほっときませんよ」
「言ったわね! でも、君は私のアプローチを遠回し迂回して傷つかないように、私との関係性のスタンスをオーナーとプランナー以上でも以下でもない関係に押しとどめて・・・だのに唯に会ったその瞬間にエンジン全開だものね・・・二人は前世からの縁でもあるのかしらね」
「さぁ、どうなんでしょう。神無月に秋風が吹く頃に、物語は落ち着いているはずですよ」「ふ~ん、十月じゃまだ暑いわよ・・・でも陽が落ちれば秋の気配ね。その頃必ず京都に私を招待してね」[はい、必ず三人で盃を重ねましょう!」
その日の夜遅く、清水さんの娘さんからは連絡を頂いたが、あいにくと予定があって滞在中にはいけないが、神無月に東京で友人の結婚式に招待されているので、その時に東京で会いましょうという運びとなった。それでメインの仕事の課題が解決したので、予定を早めて帰ることとなった。
帰りの飛行機での百合とは、清水氏の個展開催の具体的な対策を錬らなければならないことが二人にはわかっていたので・・・色々と意見交換をして話を詰めていったが・・・その過程で静一は、ニューヨークでの体験で気づいたことがあったので、それを切り口に大胆な提案を百合に話すこととなった。 それは要約すると以下のようになった。
①中之島にギャラリーを移転:川と桜が見えるギャラリーとして物件を
探す。より本格的な画廊にして、基本的には企画展しかしない。
一ヶ月を基準にして運営。常設画廊としても運営する。
目標は、小美術館を目指す。新たに学芸員を募集する。
②現在の南船場のギャラリーはリニューアルして、映像のミニ映画館と
して、ドキュメンタリー映画を中心に上映する。空間は可動式で大き
くも小さくも出来る。演劇のワークショップ及び小劇場の活動の場と
して提供 。若手の貸し画廊としても運営する。
責任者は主任の映画・演劇好きの藤原主任に殆ど運営権を委譲する。
③ニューヨークにギャラリー[SHIRANAMI]の支局を開設して、清水さん
の娘さんに依頼する。これは清水親子とのパイプをより深くして、二
人の日本での様々なアートイベントは、すべてギャラリー 「SIRANAMI]が握る。
百合は唸った。そこまで一気に行くということは、相当な覚悟がいる事が百合には、すぐにわかった。問題は中之島に移転する物件を見つけなければいけないということ。
父親に頼めば、力になってくれて、百合が探すより遙かに効率よく、安い物件が手に入るかも知れないが・・・何処までも自分の力で道を拓きたいという意地が邪魔になる。
飛行機の道中は長いので、静一に暫く考えさせて欲しいと言ったきり、百合は、全ての問題を書き出して、優先順位を付けて、商いとしてやっていけるかどうかを考え続けた。
静一は、やっと個の世界に入ることが出来て、唯の事を考えた。メールで連絡を続けているが、返信がないので気がかりだった。でもきっと、家で唯が待っててくれる筈だったが・・・唯の不在がこんなにも大きくなるとは想わなかった。時計を視るとまだ、三時間あまりあるので溜息が出た。百合はそれさえも気づかなかった。
百合は関空で別れる前に、引き留めて喫茶に入り、静一の提案に対する答えを話し出した。「ほんとうに素敵な提案をありがとう。今まで無意識に範囲を決めて、その中でしか思考してこなかったと反省したわ。 要は、あなたは、私にニューヨークのギャラリーオーナーのように、アートディーラーを目指せと言っているのね」「はい、その通りです」
「百合さんのこゝろの裡に秘めた情熱は、貸しギャラリーのオーナーで終わってはいけないと感じてていました。 清水氏と契約が締結されれば、飛躍への第一歩となる筈です。僕もできる限りお手伝いしますから・・・一歩踏み出しませんか?」「一歩じゃないでしょう!まぁ、三歩半かな・・・」と言って百合は破顔した。
静一は、そのジョークには関わらず意見を述べた。
「アートディーラーとしての仕事は多岐にわたりますが・・・まずは、アートの販売と仲介ですね。今までは多分個人の収集家が中心だったと思いますが、これからは、アーティスト・コレクター・ギャラリー・博物館・などの間でアート作品の売買を仲介まで視野に入れます。それと次にアーティストのプロモーション・・・これは今までもやられているので問題無しですね。
そして、市場調査とトレンド分析等で適切な作品を仕入れて、販売戦略を立てること。
後は、コレクターや投資家に対してコンサルティングによって適切なアドバイスの提供をしてサポートすること。後は、今まで以上に、アーティスト、コレクター、ギャラリーオーナー、博物館のキュレーターなど、業界内のさまざまな人々と強いネットワークを築くことだと想います。実質的には、全く白い地図と言うわけでは無いと感じます。
後は、どれだけ問題意識を持って行動するかどうかだと思いますが、百合さんなら出来ると僕は感じていました」百合は、改めて、この上元静一という人間をあまり活かしてこなかったことに気づいた。入り口が情報誌の提案と印刷だったから、どこかで・・・・・
「静一君、改めてお願いがあるのだけど・・・情報誌の企画とデザイン マネジメントだけの契約から、顧問契約に切り替えて欲しいんだけど
・・・どうかな?
とりあえず、三年契約で月三十万+ロイヤリティー(成果をあげれば別途その都度査定)を用意するわ。一年がかりであの手この手で清水氏を説得しようとしたけど、出来なかったのに、貴方は一回で、相手の懐に入って信頼された。とても感激しているの。
それに、今貴方が提案したことは、全く考えていなかった訳ではないけれど・・・足踏みしていた。頑張れば、実現可能なことだわ・・・」
静一の両手を握り絞めて、「これからも宜しくお願いね・・・」
静一は想わぬ展開で「あぁ、こちらこそ過分な評価を頂いて恐縮です。出来るだけ早く、他のクライアントを知人・友人に委ねて、ギャラリー「SIRANAMI]の専属顧問として、今まで以上に頑張ります」と言い切った。百合は安堵して「じゃぁ、とりあえずこれで、お開きにしましょうか・・・お疲れ様」「お疲れ様でした」二人は立って強く握手をした。
その一六に続く
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