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長編小説 『蓮 月』 その壱

 今日は金曜日で月例の早朝ミーティングが千里のGホテルで行われる。事務所の売上げの3割強を占めるこのクライアントの無理難題に付き合って半年・・・上元静一は、やっとこちらのペースで企画が運ぶようになり安堵していた。
 父親が千里丘の不動産王で一人娘の白浪百合は、大阪市内の南船場にある大きな吹き抜けのあるビルの1階でアートギャラリーを運営している。若手のアーティストの発掘に力を入れて、2~3ヶ月に一度はニューヨークにも出かけて、海外のアーティストの紹介もしている。なみなみならぬ野心を抱いているかと言えばそうとも言えるかも知れないが、浅川マキ?のようなおかっぱ頭で、男を睥睨するので最初はみんなタジタジとなる。実は茶目っ気の多い浪花の女性である。この女史に、何故気に入られたか未だにわからないでいる。

 南茨木から乗ったモノレールは、其程混まずにいて、流れる風景を眼に留めることもなく、静一は朝の夢を何度も思い起こしていた。

夢はこうだった・・・

静一は、そう広くない河の土手沿いの細い道を歩いている。
そして、その道の両側には、向日葵が咲いていて、彼を視詰めていた。
<不思議だな?向日葵は太陽の方を向いて咲くのでは・・・?>と呟くと向日葵は、ゆっくりと反対を向いてしまった。
それでも、気にならずにその道を歩いていくと、さらに道幅が狭くなり、その先には橋が架かっていた。橋の架かりには、和服を着た、蛇の目傘を差した女性が一人、その横顔をこちらに向け微笑んでいた。

薄い桜色のルージュが、控えめに光っている。以前に似たような人と会ったような気もしたが、はっきりとは想い出すことが出来ない。着物柄をよく視ると、麻地に向日葵が墨一色で描かれていた。彼女の蛇の目傘が、急に風に煽られて、空に舞った。
祐一は、傘の行方を目で追っていた。くるくるくる・・・くるくるくる
・・・くるくるくる・・・ひゅー・・・ばしゃ!
傘は、河に落ちた。 再び橋の方へ目をやると、もう彼女はいなかった。しかし、彼女の代わりに等身大の向日葵が僕を凝視していた。
それは、その磁力に触れることさえ憚られる強い意志をもった視線だった。
僕は、それでもその向日葵に近づいて行こうと、歩を進めようとした。
その時不意に、目眩に襲われて、静一は蹲った。そして橋の前で、この橋を渡るべきかどうか迷っていた。

すると突然,ビートルズのA day in the life のポールのソロが聞こえてきた。

”Woke up, fell out of bed

Dragged a comb across my head

Found my way downstairs and drank a cup

And looking up I noticed I was late”

『目覚めた ベッドから転げ落ちるように起きた

櫛を立て、髪の毛を梳く いつものように階下に下りてお茶を飲み

見上げて、初めてわかった 遅刻じゃないか! 』

その楽曲がゆっくりとフェイドアウトして、静一は汗をびっしょりかいている自分に気づき目を覚ました。 朝の陽光が、今まさにその光を部屋に遍く照らし出そうという時だった

 静一はゆっくりと流れる北摂の山間の風景をうわの空で、朝の夢を何度も思い起こしていた。何故向日葵なのか、それが不思議であり、何かの象徴のように想えて、橋の上の女性の顔を想いだそうとするが、それが出来なかった。
むしろ、繰り返しの中で、思い浮かべる毎に輪郭はぼやけて、桜色のルージュだけが、闇に浮かび、唇だけが微笑み・・・白い波濤が岩に砕かれ、泡立つ波が風で消えるように唇は閉じられる。

 着信メールの音楽が流れた。白浪女史からだった。
<おはよう!朝の食事だけど、限定10食=古代米の和粥定食っていうのがあるんだけど、それで良い?> <はい、それでお願いします。><了解>
意識が現実に戻った。

 着信メールの音楽が流れ、彼は白浪女史からのメッセージを受け取った。「おはよう!朝の食事だけど、限定10食の古代米の和粥定食っていうのがあるんだけど、それで良い?」彼は「はい、それでお願いします」と返信し「了解」と白浪女史は返答した。
メールのやり取りで、やっと彼の意識は現実に立ち戻った。
Gホテルの最上階の展望は大変見晴らしが素晴らしく予約なしでは入れない時があるが・・・白浪女史は、一番眺めの良いテーブル席で人待ち顔で待っていた。
「ごめんんさい、待ちましたか?」 女史は軽く手を振って「私も、今来たところよ。
来月の情報誌出来ているわね。見せて・・・」
「はい、出来ています。」と鞄の中から、16ページで構成されたプレゼンの企画書を渡した。 1ページ毎を丹念に視て、何カ所かの修正を指摘して15分程で「O.K・・・、じゃぁ、朝ご飯食べよう。 ベルを鳴らしてウェイターを呼び、「予約した古代米の和粥定食を三つお願いします。」「三つ?二人前を食べるのですか?」
「まさか・・・」彼女は笑い、そして眼を入り口に向けた。
すると驚いたことに、夢さながらに向日葵柄の着物を着た女性が、こちらのテーブルにゆっくりと足を運んでいた。
「紹介するわ、 こちらは情報誌でお世話になっているizumi代表の上元静一さん。こちらは私の大学時代の同級生で陶芸家の鹿海 唯さん 作家名は蓮月」
静一はお辞儀しながら、不躾なほど彼女をまじまじと視つめ、彼女はそれを恥じることなくそれを受け止めていた。
「静一君、お知り合いだったの?」その声で、 現実に戻り、「ああ、ごめんなさい。初めまして、上元静一です。よろしくお願い申し上げます」と言って名刺を差し出した。
鹿海 唯も巾着から、名刺を差し出し、「 こちらこそ、よろしくお願いします。」と互いに交換した名刺を視やった。
彼女の名刺は、和紙で漉いたと思われる銀箔いりの名刺だった。住所に眼をやると
京都の北山だった。それで、「京都から、朝早く来られたのですか?」
「いいえ、そうやおまへん。昨日白浪さんの家に泊めてもらいました。私の師匠がこの隣のビルの病院で治療を受けてはるんで、お見舞いに来てたんどす」と優しい笑顔で
説明をする・・・静一はそのよく動く唇だけをじっと視つめていた。
「私の顔に何ぞ、ついてますかいな?」と笑みを絶やさず彼に問いかけた。
「いいえ、失礼しました。あまりお綺麗なので、吾を忘れて・・・」
「よう、いわんわ」
白浪女史は二人の会話を不思議そうに眺めていたが、「初めてやなのに何か息がおうてる・・・妬けるわ・・・ふふん冗談、さあ、座って食事にしましょう。」
二人の顔を見比べる静一。 文月の青い空が、大きなガラス越しに二人を写しだしている。なにかしら良い流れではないかとこゝろが動いた。
                          その弐に続く

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