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あのときの2秒の質問  ー読書メモ「先生を、死なせない」

「あれ? わたしって なんのために はたらいてるんだっけ?」

死んだ目をして働いていた時期に
ぽわん と心に浮かんでいた自分への質問。
子どもの口にパンをつっこんでダイニングテーブルでパソコンを開き資料を作っている上書き保存の待ち時間2秒。
見つからない自転車の鍵が資料でぐちゃぐちゃのカバンの中からお昼に食べ損ねてぺったんこになったおにぎりとともに出てきて「あ」と思った2秒。
いったん冷静になろうと言い聞かせてアサインされた業務量を洗い出しカレンダーを見つめて休もうと思った日に休めないことが確定したときに奥歯を噛み締める2秒。
1秒でぽわんと浮かんだその質問は 1秒ですぐぽわんと消える そんな隙間の2秒がたくさんあった。

***

大学院の同期、工藤祥子さんが本を出版されたので、読みました。
わたしは学校関係者ではないのだけど……。
でもそういう人にも届く、衝撃的なタイトルで、パワーあるよね。

と、教師ではないという立場で読み進めてはみたのだけど、
そして、主題は教師の働き方を考え直すための本ではあるけど
この本は、もっともっと普遍的に「仕事って、なんのためにするのか?」を問い直すための本でした。
それで読み終わった後、めちゃくちゃ久々に ぽわん と例の自分への質問が心に浮かんで「死んだ目期」の2秒を思い出したのです。

「なんのために はたらいてるんだっけ?」

先生じゃないひとも、学校関係者じゃなくても、
この質問が胸に浮かんだ経験がある人なら、ぜひ読んでみてほしい。


本書には、著者が独自に調査した、過労死をした教師たちの働き方の事例と、その傾向や共通点が記されています。

教師の過労と、サラリーマンの過労とはその背景にあるものが
違うんだなと知識として勉強になることがたくさんありました。
例えば、個人の側から見た時は子どものためと思うと歯止めが効かなくなる職業的な倫理観、環境の側から見た時は公務員として労働を監督する第三者機関がなく、勤務管理をする責任の所在も、教育委員会や現場の長学校長とで曖昧になりがちなこと。法律は教師を労働者として守るどころか守らなくてもよい根拠になっている側面すらあるということ(給特法という、教師はほぼタダで働かせるだけ働かせても問題にならないよだって本人が勝手にやってることだから的な謎がすぎる法律、恥ずかしながら著者の工藤さんと出会って初めて知った法律だった)

※著書のお一人の妹尾さんが出演されている番組でも給特法が扱われている


もちろんそういう要因となる背景は、この本の5章で提案されている通り、改善していかねばならないと思う。


でも、それはもちろんとしても、職業がなんであれ共通して大事なのが
あの2秒の質問に ちゃんと向き合わないといけないのだな、というのが
この本からわたしが受け取ったメッセージでした。


「なんのために はたらいてるんだっけ?」

過労死事例の中には
自分にも、そして友人たちの話の中にも思い当たるところがたくさんありました。
それがとても恐ろしかった。
自分が休めば人に迷惑がかかると思うと休めないとか
あと2日で休みだから頑張ろうとか
これが終わったら病院に行こうとか。
過労死は、特殊事例ではなく、自分にも、自分の家族や友人にも起こりうる、思った以上に身近なことに愕然とします。過労死に向かう小さな粒には、きっと多くの社会人が心当たりあることなんじゃないかな。

そんなときの2秒に、もしも「なんのために はたらいているんだっけ?」が思い浮かぶならば、それは決してぽわんと消してはいけない
とても大事な自分への質問なのだ。大事な2秒。無視しちゃいけない2秒。

2秒を無視してしまうのは、個人の問題だとはさらさら思わない。
適応障害とされて休職した人が、会社側の環境が何も変わらない現場にただそのまま戻ってくるっていったいどうなの、と思う。(何人も続くならなおさら)
でも、環境を変えるためにはやっぱりひとりひとりが動かないといけないこともある。2秒の質問が浮かんだ時に、違和感があったら無視せずに考えて、もしもその上で少し元気が残っていたのなら、小さくでも、身近にいる人に話すとかそういうことだけでも、働きかける小さな点の集合が、環境を変えていくのかもしれない。
その2秒が、自分の人生を豊かにし、同じように困っている誰かを助けるのかもしれない。

著者の工藤さんは、中学校の教師だった配偶者を過労死で亡くしています。
本の中では、その過労死が認定されるまでに必要だった書類を、大切な夫を亡くした工藤さんが、1年以上かけて準備した過程にも触れられていました。
勤務内容や勤務時間を1日ごと詳細に記した工藤さんの手書きの書類の一部の写真が添えられていて。
これをどんな気持ちで工藤さんが書いたのか。
こんな世界誰も望んでいないよね…。

ただ、これはたまたまわたしが工藤さんご本人を知っているからなのだけど
ご本人はもちろん真剣だけど決して湿っぽくなくて前を向いていて
そこがとてもわたしは好き。
この本もブラックな現場を追求したいというよりも、どうすれば変えていけるかという思いに溢れていて、だから読後感は決して暗くないです。

そんな工藤さんからのメッセージが本書の冒頭に書かれています。

「人生を楽しむための仕事になりますように」(p,10)

自分の人生を楽しむことは、誰か(例えば同僚や家族や生徒やお客さん)のためになる行為と、トレードオフなんかじゃない。

先生はもちろんいろいろ考えさせられる内容だろうけど
わたしのように先生ではない人も、
「働く環境」を客観的に見直すヒントがたくさんある本でした。

もしも、今これを読んでくださっているあなたが(ここまで読んでくださってありがとうございます!)ふと「なんのために はたらいているんだっけ?」と思い浮かぶ瞬間があるのなら、ぜひこの本を手に取ってみてください。
ふと立ち止まって、自分の人生を考える時間は、自分を大切にできる時間だから、きっと必要な時間になると思います。



と、個人的なお気持ち表明になってしまった。
ここから、余談的に、じゃあ学校現場に直接関わっていないわたしが何ができるかなと考えたことを書いておきます。

もしも、学校の先生たちが、当事者として何かを変えていく力を持てないくらいに大変な毎日を過ごしているのだとしたら。
現場のそういう状況は、自分の経験から想像し思い当たることがあります。例えばわたしもけっこう限界だなと思ったとき「この仕事はできません」って上司に言うことは、それだけでもめちゃくちゃエネルギーがいることでした。割とはっきりなんでも主張するタイプのわたしでもそう。だから、元気じゃないとそれすら言えない。言った後は自己嫌悪になったりする。言ったことで結局誰かに皺寄せがいくなら言わない方がよかったかなとか。もう疲れすぎるとそれを引き受ける元気なんで出ないよね……。でも言わないと、動かないと、現場は「できてる」「回ってる」と思われて問題がないとみなされてしまう。悪循環。
先生たちが、自分の人生に向き合うエネルギーを、少しでも失わずにいるために、わたしができる本当にささやかなことは、保護者として関わる先生たちに「いつもありがとうございます!」「ここがとってもありがたいです!」「こんなふうに子どもと関わってくださってありがとうございます!」って具体的にポジティブなフィードバックをすることかもしれない。一般的にフィードバックって、ネガティブなものしかなかなか届かないから。それが「だからもっと頑張ろう」と過剰になっては本末転倒だけど、先生の仕事をリスペクトしています、先生の頑張りはちゃんと伝わっています、先生のことがとても大事なんです、という気持ちを、わたしは積極的に示そうと思います。

来年から娘は小学1年生。

先生の労働環境ってわたしにも無関係じゃないのだよね。


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