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大企業を辞めて、フリーランスになってみて3ヶ月のまとめ10

9月末に退職をして3ヶ月が経ちました。
今年も終わりなので、未来の自分のためにも、今年のまとめ的なことを書いてみます。


無自覚だったのが、「わたしって大企業をやめたんだな」という部分。
ベネッセ を辞めてフリーになりましたって言うと、「勇気ある決断ですね」みたいなノリでコメントいただくことが多いのがとても意外でした。
みなさんがプラスの意味で言っているのか、マイナスの意味でいっているのかはわからないけれど、とにかく多くの人がそんなコメントをするのは、きっと、安定を捨てるなんてすごいね!って意味なんじゃないかと思っています。
ああ、そういえば、中に1人だけ「会社辞めたって仕事なんてないでしょう!?(よく辞めたね!)」みたいにダイレクトにマイナスの意味でコメントしてきた人もいたなあ笑
とにかく、そういう意味では確かに「安定」を捨てて、3ヶ月「不安定」をやってみた今のわたしの気持ちをまとめてみました。
いいことと悪いこと、半分ずつです。


■1 自分で時間を設計する。時間の単位が大きくなるとストレスは減る。


いちばん実感したのがコレ。会社員時代、わたしの1日を構成する時間の単位はだいたい「15分区切り」でした。会議が多かったこともあり、この15分で昼ごはんを買い、この15分で校正出して、この15分で初校に赤入れ、この15分でデザイナーさんに電話。みたいな。15分イレギュラーがあると予定は狂い始めるんですね。
一方、今の時間の単位は、ざっくり「午前中」と「午後」。今日の午前中に企画を1本まとめて、午後からは資料を読む。みたいな。もっと大きいくこの3日間で原稿を仕上げる、みたいに日をまたいだ時間単位になることも珍しくないです。これだと多少イレギュラーがあっても、バッファがたくさんあるからわりと余裕で巻き返せる。心が広くなる。人に優しくできる。
ストレス減ったなあと自覚している最も大きな要因はこれです。鼓動が早い動物は早死にをするなど言われますが、時間単位が短いと人間もストレス抱えるんだなとものすごく実感しています。たぶん、会社員だからストレス溜まってたんじゃない。「時間単位」が短すぎたんだ。「会社」のせいではあるけど「会社員」のせいじゃなかった!


■2 「拒否権」が自分の手の中にあることでストレスは減る。


当たり前だけど、今わたしに仕事をアサインしてくる人はいません。すべての仕事はわたしの意思でやっているもの。
会社員時代は自分に仕事の「拒否権」や「選択権」はないと思ってた。わたしは、控えめな性格ではまったくないので! 「拒否」もたくさんしたけれど、そんなわたしでも、「やりたくない」というのはすごくエネルギーが必要でした。めちゃくちゃ勇気いる。やりたい仕事をとりに行ったりもしていたけれど、それは与えられた仕事をこなした上で、自分の残業時間や余剰時間があるときだけしかできなかった。つまり、時短勤務でひーひーいってるわたしにそんな時間はなかったの。
今はいただける仕事はすべてありがたくやっているけれど、それは自分がやりたくて、受け入れてやっている仕事なのだし、嫌ならばわたし自身の責任で断ればいい(その後仕事が来なくなる可能性も含めての責任にはなるけれど)。
結局やっている仕事内容は変わらなかったりもするけれど、コントローラーを自分が握っていると思えれば、嫌いなことや苦手なことが含まれていたとしても、たいていのことは頑張れるような気もしています。今のところ。


■3 思った以上に、毎日過ごす「場所」は自分のエネルギーに影響している。


シェアオフィスを借りていて、基本毎日代官山に通ってます。退職の理由のひとつが、たまたま見つけたこのシェアオフィスがとても気に入って、ここで働きたいと思ったから。なんとなく検索して見つけたらたまたま1ブース空きがあり、勢いで内覧を申し込んでみたら、すごく「空気がよかった」。
クリエイター専用のオフィスで、多くはフリーランスの方達が利用しています。2の内容にも関わるけれど、「自分でやりたくてやってます」という人たちが作る空気が、本当に良かったんです。会社の空気とぜんぜんちがった! 内覧した日に、新しい企画2つも思い浮かんだ!
こういうのを集合的無意識っていうのでしょうか。そこに集まる人の気持ちが、その場の空気って作るんだなと感じました。これを書いている、この事務所のデスクがわたしはとても好きです。
そういう意味では「街」も重要で。どんなキャラの街で暮らしたいのか、というのは自分の生活への影響度高い気がしています。代官山という街についてはまた別に書いてみます。


■4 計算し始めると動けない。計算が苦手で本当によかった。


3に関わるのですが、シェアオフィスを借りているので、交通費とかも含めた固定費が毎月5万円くらいかかってます。毎月5万円は稼がないと赤字だし、+−ゼロではさすがに暮らしてゆけません。
わたしはまだあまり「原稿料」の相場に詳しくないですが、ウェブ記事1本1万円だとして、20本書いて20万円。
ありがたいことに9月末まで在籍したわたしは、前期分のボーナスを退職した会社からいただいたのですが、その額をみるとやはり後悔しなくないというか。稼ぐって大変だなあと思うのです。
そうやって「計算脳」になってしまうと、まったく動けなくなります。わたしは計算が本当に苦手で。ざっと暗算して皮算用するとか、めちゃくちゃ下手くそなんです。賢い人だったら、会社員時代の暮らしを維持するためには、だいたいどのくらい働いて、経費がどれくらいで、みたいなのをぱっと計算できるのかもしれないけれど、わたしはそういうの一切できないので、一切せずに見切り発車で辞めました。当てもそんなにありません笑
でも、計算が苦手でよかったと思ってます。計算得意だったらきっとえいやって動けなかった。わかりやすい「年収」とかもっと広く「生涯年収」とか以外にも豊かさの尺度ってあるんじゃないかしら(突然の綺麗事)。その理由が5になります。


■5 今日はいい日だったなと思って眠りにつけるって尊い。

総じて思うのは「辞めて良かったな、今のところ」ということ。今のところ。まだ三ヶ月しかたっていないのであくまで今のところを強調しておきます。
1〜3に書いたことを総合すると、本当にストレスは減りました。今日も楽しかったなと思えることが増えました。毎日お皿でお昼ご飯が食べられます(涙)←デスクで弁当を単なるカロリーとして摂取するランチタイムがなくなった(涙)
自分でも、驚くことですが「月曜日が待ち遠しい」んです。収入も減るし、明日わたしにお仕事があるのかはわからないけれど、わたしの心が豊かであること以上に自分の人生に大事な価値ってあるのだろうかと毎日幸せを噛み締めています。決して順風満帆ではないし、幸せとは真逆な出来事も経験する。だからこそ、今日という日を我慢したくないし、わたしは「今日死んでも後悔しない」と思える毎日を1日1日積み重ねていきたいという覚悟で、会社を辞めました。
3年後とか10年後とかの未来の自分のために今の自分を犠牲にするとか、できなかったんです。そもそも3年後とかわたしも家族も会社も日本もどうなってるかわかんねえ!! だったら今このときを心穏やかに豊かに生きたい。退職の決め手になったその気持ちが、3ヶ月たってもわたしをやっぱり支えています。
もし10年後わたしが圧倒的不幸になっていたとしても、計算が下手くそだったので仕方がないよね、と思うしかない!


■6 会社を辞めても意外と「人」との繋がりは切れない。ありがとうSNS。


会社をやめるのを躊躇した理由は、大好きな人たちがそこにいるからというものがありました。(やりたい仕事ももちろん会社にあったけどそれは諦めた。できなかった)誰かと一緒に働く、チームで働くというのがわたしは好きです。一人でコツコツは苦手。こんなことがあったよとか、このチョコおいしいよとか、そういうのを日々誰かと共有したい。
そういうの、会社だからできると思っていたけど、会社を離れても意外とできました。会社で仲よかった人とは、毎日のようにLINEでやりとりもするし、SNSでつながっていれば近況だってわかる。むしろ、辞めたことをきっかけに「フリーランス同士のつながり」みたいな世界もあると知りました。メッセンジャーでやりとりしながら仕事とかね。ありがとうインターネット。おかげでわたしは、まだ孤独ではないよ。


■7 とはいえ、不安はいつもある。毎日ある。

ここからがマイナス部分のおはなしです。5で、めちゃくちゃ幸せ……! みたいなテンションだしたくせに、急にトーンが変わりますが、本当に毎日「不安」に押しつぶされそうです。突然不安はやってきてむくむくと心の中で広がっていくんです。
あさのみちゃん、そんなに自信満々なのに不安なの!? と驚かれたりします笑
わたしって虚勢張ってるのかしら。自信満々なんてことはまるでなく、普通に不安です。
やはり不安の多くは収入面。4でも書いたけれど、毎月5万円稼がないと赤字、原稿●本書かないとやばい、みたいにできもしない皮算用を始めるともうダメです。数をこなすしかない気もするけど、わたしは必要以上に深く考え込んじゃったりするので、たとえば1Pの仕事と20Pの仕事の思考量ってそんなに大きく変わらないんですよ。という理由で、数をこなすことが苦手な気もしているので、コツコツ積み重ねるスタイルってあってないんじゃないかな。このスタイル、コスパがめちゃ悪いです。
いちばん大きいのは、わたしにはやりたいことやできることはあるのだけれど、それが世間に必要とされるのだろうか、みたいな不安。わたしにどんな価値があるの? というのがダイレクトに試されている気がして、1社しか経験していないわたしは、社外で自分の力がどのくらい通用するのか自信がなかったりします。上に書いたように、コツコツが苦手だからなおさらなのかも。
誰かに必要としてもらわないと、今のわたしに価値は発生しません。会社員のときは、仕事って会社に行けば(死ぬほど!)あったし、アサインに対してきちんと成果を出す方法も12年もやっていればそれなりにわかってはいたし年に2回は評価面談でフィードバックもあったし自分の価値について深く考えることってなかったんだなと思います。シビアな世界に今更の尻込み。
ああ、わたしって何ができる人なんだろう。わたしは何をお金に変えられるんだろう。そういうところからわたしの不安はきています。まだはじめて3ヶ月なんだからすぐには見つからなくていいんだよと自分にいいきかせますが、きっと要領のいい人はそういうものを見つけてから会社を辞めるんでしょうね。もしできるなら、そのほうがいいと思います。

■8 過去の全盛期の自分と比較してしまうクセは意識してなおしたい。


7みたいにわたしを苦しめているのは、比較対象が過去の自分だからだと思います。収入面の比較は明らかに。出産前にガリガリ働いてた時代を経験した身としては、何をしても「減っている」みたいな気持ちにはなってしまいます。
そしてありがたいことに、ほめ上手な上司にたくさん出会い、みんなわたしのことを褒めてくれていたから、失敗経験が少ない。大企業だということもあり、失敗する前にきっと誰かが止めてくれるし、自分一人の責任にはならないし。だから思いっきり好きなことをやらせてもらえていた時代がありました。
そういう過去のいわゆる「栄光」みたいなものと比較して、あのステージに再び登りたいと思ってしまうときっとダメ。
そもそも出産前の当時とは可処分時間が圧倒的に違うし、自身の価値観も変わった。とはいえ、12年も勤めたのだから、大企業ならではのスケールの大きな仕事がわたしのデフォルト、みたいな感覚の麻痺はなかなか抜けないんだなという自覚もあります。
つい、楽しかった過去と比較して、「またそうなりたい」とか思ってしまうけど、そこと比べても再現性なくて意味ないし、かなり意識的に、失敗は怖くないはやっていこうと思います。失敗経験がすくないって人を不安にさせるんですね。


■9 思った以上に大企業病に侵されている。


8も大企業病の一つだと思うのですが、無自覚だったのは、思った以上に自分に「待ち」の姿勢がしみついていたこと。
実績のない(大企業の名刺のない)わたしには、まだ何もできない、みたいな(よくないほうの)謙遜がわたしを動けなくさせていることがよくあります。いや、動けなくさせているというよりも、動いていないことにも気付いていないというか。最初から「できない」「やっちゃいけない」って思ってるんですね。
例えば「フリーになりたてのころに、SNSでベンチャー企業の社長に会いまくってニーズをヒアリングした。100人くらいにね」みたいな話を聞くと、え! 何者でもないわたしみたいな人が、そんなアポとってもいいんですか!? 人様にお時間ちょうだいしてもいいんですか!? 先方にメリットないですよね!? みたいな気持ちになります。でも別にやっていいんですよね。会うか会わないかは先方次第ですし。
フリーランスの大先輩と話していると、自分がいかに「待ち」の姿勢かを、非常に強く感じます。
「このウェブ媒体好きでけっこう読んでて」みたいな話をすると、「なんで売り込みいかないんですか?」と言われてはじめて「!うりこみ!いっていいんですね!?」みたいに思ったりとか。
「これ応募してみては!?」みたいなコンテスト情報をどんどんくれるフリーランスの方とか、ご自身が常に動いているからそういう情報キャッチできるんですね。
自分はむしろ積極的なほうだという自己認識だったので笑 「待ち体質」と自覚していなかったなあ。気づけてよかったです。

■10 形のないものを作る仕事は、お前は何ができるのか、何がやりたいのか、を言語化するのは難しい。時間がかかる。そのつもりで覚悟する。


そして、9のはなしの続き。こういうのやりたいとか、誰かに会いたいって思うには、まずわたし自身がちゃんとやりたいことやできることを明確にしないとなと思います。それがないと誰に何を話しにいっていいのか、どこに向かって動けばいいのかわからないもの。
フリーになったことで「こんな仕事ありそうだよ」みたいに声をかけてくださるかたもいて、ご縁にはできるだけ乗っかるのですが、わたしって、ワーママウリのライターなんだっけ? とか。そもそも、名刺には「企画・編集・ライティング」と書いてはいるけれど、わたしってライターなんだろうか?とか。文章を書いてそれを品物として納品する仕事がわたしの職業なんだろうか。もちろん、わたしの仕事の一部ではあるのだけれど。
本当は文章にする前のメッセージやコンセプトを掘り起こす部分がわたしの得意でもある気はするのだけど、それってどういう職業名なの?
今のところ、このツイートがヒントになりそうで心に残っています。


わたしは思考力ライターなのかな。技術力でゴリゴリいく感じじゃない。
アートディレクターとかそういう類のもののライターバージョン。
そういう仕事に需要があるかもよくわからない。
動きながら探せばいいんだし、相対的に気づく部分もあるから、恐れずに外にでてみよう。きた玉は打ち返してみよう。でも打ち返すことにだけ必死になるのはやめよう。その塩梅が難しいのだけど。
意外と貴重面で笑、明確にしないと動けないと思いがちなのもわたしのいいところでもあり悪いところでもある。きちんと明確にしてから動こうと思ってたらきっと時間ってもっともっとかかるよね。

来年1年の目標は、名刺を増刷するときに、自分にしっくりくる肩書きをつけること。少しでも自分の価値や未来を言語化すること、です! 1年かけてやろう! 
何にも言葉にできない自分に、焦らない焦らないと言い聞かせながら2019年を終えます。


6000字も書いてしまいました。

書いてみると、環境には満足してるけど、わたしこの先どうやって食べていけばいいかが見つかってない、みたいなこどもみたいな内容でした笑 よくいえばフレッシュ! 悪くいえばなんもしてねえ!

これからこれから!


ここまでお読みくださったかた、もしいらっしゃれば心から……読んでくださり、ありがとうございます。




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