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【日本史】なぜ平家は一門で仲良しなのに、源氏は内ゲバが多いのか?
なんで平安末〜鎌倉の源氏って内ゲバがやばくて、平家は仲良いのだろう?
前から不思議だったが、権力基盤の違いなのかもしれない。
平清盛は、祖父・父の代から平氏の中ではほぼ一強で中央貴族化が早かった。
中央集権化された一強なので、一族への権力もあくまで棟梁が与える形で統率が効いたし、保元・平治の乱のような中央の政争に強かった。
平将門の乱で中央と結びついた平氏が地方の平氏(将門)を鎮圧したのも、中央貴族化を促進したのかもしれない。
逆に源氏は、地方に土着する勢力が乱立していて、親子兄弟でも利害対立が大きかった。
当時は土地は分割相続だったのも、対立に拍車をかけたのではないだろうか。
地方に根ざしてはいるので、源平の戦いでは地方武士を味方につけて、地方(鎌倉)に独立政権を作るまで出来た。
が本質的に土地というダイレクトな部分が基盤なので揉めやすく、揉めると死活問題になるので、幕府内でも内ゲバが耐えなかった。
(逆に中央貴族は、国司になったり寄進したりで、保有する土地も流動する前提の面があるので、土地の為に血みどろにはなりにくい?)
もちろん、地方の平氏にも北条氏のように源氏についたり、城氏のように平家についたり、源頼政のような中央の源氏もいるので、一概に論じきれない面はあるが。
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■「みんなで仲良く」が出来ないジレンマ
また、組み入れる側にもそれなりに権力基盤が無いと、組入れれないという構造があるのだと認識した。
有力諸侯を大盤振る舞いで組み入れた室町幕府や豊臣政権は、結局、諸侯の内ゲバ(応仁の乱、関ヶ原)で崩壊した。
徳川政権が安定できたのも諸侯と段違いの領土(権力基盤)があってこそと言えるだろう。
院や貴族も強い平家政権では、源氏を中途半端に取り込むのはリスキーだった面もあるのかもしれない。
実際、源平の乱は、中央で平氏寄りだった源氏の一派(頼政)が皇族勢力に唆されて反乱したのが発端だった。
…という観点がどこまで正しいかまだ確信は持てない。
けれど「源氏は仲悪い」で思考停止するよりは、一歩踏み込めたのではないだろうか。