無駄なことの価値
無駄なこと
意味の無いことにこそ価値がある
こう教わったことがあります。
例えば小さい頃夢中になって時間を忘れてやったことを思い出してみて下さい。
そんな風に教わりました。
生産性の無いことにこそ価値があるんですよ。
って。
その意味がずっと分からなかったんです。
でも、最近やっと分かりました。
これまで、いつの頃からか
ずっと生産性を追いかけて来た。
知らない間に。
役に立つ本しか読まなくなった。
役にたつ事を習いたかった。
何をすれば成長するね?
何をすれば私は良くなるの?
って、まるで何かに掻き立てられるように
貪る様に良くなろうとして来た、、涙。
最近、それを
ふと立ち止まる様になった。
何故だかは、分からない。
周りに、もしかしたら
役に立たなくて良いよって
教えてくれる人が増えて来たのかもしれない。
もう良くならなくてもいいやー。
と、少しずつ思い始めてる。
そうしたら
無駄なことの価値が見えて来た。
無駄なことこそが
豊かさだった。
どれだけ無駄なことを自由に出来るかが
本当にその人が寛ぎと豊かさに在るか。
なんだって分かった。
わたしは職業セラピスト
治療家では無いので
わたしの施術はある意味で無駄だと言えます。
その事がわたしの中で
ずっと小さいひっかかりになっていました。
お客様は、目に見えて役に立つ訳ではない
わたしのサロンによくずっと通って下さっているなあって。
だから、どこかで
いつも焦燥感があった。
付加価値を付けないと!
と、何が価値なのか?
と。
その答えが浮き上がって来た。
目に見える価値が無いこと
それにこそ価値があった。
そこに対価を支払い予約をして来る。
これこそが、価値だった。
目に見えない物を受け取る力。
自分に対して生産性に結びつかないことに
対価を支払える力。
これって
わたしは豊かであると決め続ける行為。
宣言。
それを事実にする行為。
そんなことに気付いた最近でした✨
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